いわゆるポピュリズムを克服する一つの道は、迂遠であっても「孤独な群衆」がコミュニティの一員として各自の社会的存在感を回復させることにある。ここでコミュニティとは、自発的な参加者が広く社会への働きかけを行っている組織としておこう。トランプ現象だけが目立つ米国に注目する所以である。
表題の主題は筆者の問題意識である…。
一方、本は2013年再刊(新潮社選書)であるが、初出は2005-2007年に同社の『考える人』に連載された「カウンターアメリカ」であり、それを下敷きにしている。従って、時期は約20年前だ。しかし、米国人の生活意識の一端を知り、合わせて紹介されている活動の意義、課題、ひいては位置づけを知ることができる。即ち、著者の学識と広い視野がコラボし、深い知見が展開されている。
更に、再刊に際し、序文『アメリカを見つめて』が書き下ろされる。それが、九つのコミュニティを紹介した後の総括には、終章『アメリカとコミュニティ~国家と個人が交差する場所』に対し、近年の状況を含めた感想が述べられる。
連載の表題は、謂わば、それぞれが「もう一つのアメリカ」であることを示すものだ。そこで、序文にはカウンターディスコース(対抗言説)の最たるものとして2008年、黒人初の大統領・オバマが挙げられるのは当然だ。
更に、オバマのアメリカへの対抗言説として、草の根保守の「ティーパーティ」と「ウォール街を占領せよ」運動を挙げる。ここからトランプ現象及びサンダース現象までは次の一歩である。従って、渡辺氏の描写と論議の中には、筆者の問題意識に何か示唆を与える洞察が含まれているはずだと感じた。
戻って、九つのコミュニティの中で筆者が関心を引いた事項を紹介する。
「アメリカン・サモア/南太平洋」を除いて白人が主体となり、特に
「セレブレーション/フロリダ州オーランド~ディズニーが創った町」、
「ゲーティッド・コミュニティ/カルフォルニア州コト・デ・カサ~資本・恐怖・コミュニティの二つは、
富裕層中心の自治体みたいな構成である。続いて、
「ミドルタウン/インディアナ州マンシー~最も典型的な「アメリカ」」、
「ビッグスカイ・カントリー/モンタナ州~連帯する農牧業」の二つは、
古き良きアメリカを未だ軸にして生活が営まれている感が強い。対して、
「ダドリー・ストリート/マサチューセッツ州サウス・ボストン」は、
南部から北部へ移動した黒人が住み、中産階級の白人は郊外へ移動し、下層のアイルランド系中心の白人が残り、更に、南米及びアフリカからの移民が流入し、典型的な都市問題を抱える地域、それを再生したコミュニティの話だ。
白人人口が95%(1950年)から、75%(1970年)を経て、7%(1990年)と激変し、自宅での二つは、英語以外の言語を使う家庭が40%(2000年)にのぼる。NPO組織を立ち上げて住民自治を築き上げた経緯は、日本では出来ないことと感じる。
「刑務所の町/テキサス州ハンツビル~アメリカにおける死の首都」は、その背景及び現実の風景が暗く描かれるのもいたしかたない。米国人口は、白人70%、黒人13%であるが、刑務所内の収監者の50%は黒人、全体の70%が非白人だ。著者は「そこにアメリカはあるのか」との自問となる。
以上の四つのコミュニティでは、今日に至って、最初の二つと後の二つとでは、その数及び質において、更に差が広がっているように思える。
草の根民主主義の米国で、根なし草の人口が多くなり、その人たちのある部分がコミュニティならぬネット中心の疑似コミュニティを構成し、不安を掻き立て、怒りを発散させる断片的で、かつ断定的な情報に頼って自らの考え方を決め、それを互いに拡散・伝搬することで、トランプ現象も生成されるのだろうか。
「メガチャーチ/アリゾナ州サプライズ~「クールな教会」宗教右派の草の根」は、共和党右派の牙城といわれるところだ。ショッピングセンターあるいはイべント広場のような雰囲気でカジュアルな対応をする教会を描く。ターゲットを定めたマーケティング活動を行っている様子が興味深い。これも、世俗を離れた宗教心が基盤にあるからだろうか。
2011年での米国人口は、白人78.1%、黒人13.1%、その他8.8%。都市の中で下層階級が住む地域はコミュニティが欠如しがちだ。白人警官と黒人が対峙する状況は、50年前から報道され、最近は極めて悲惨な事件になっている。
ディズニーの町、ゲート付き集合住宅による自己中心主義をエリート集団が超えない限りは、トランプ現象は形を変えて、拡散しながら現れ、米国社会は常に不安定性に悩まされる様に思われる。
表題の主題は筆者の問題意識である…。
一方、本は2013年再刊(新潮社選書)であるが、初出は2005-2007年に同社の『考える人』に連載された「カウンターアメリカ」であり、それを下敷きにしている。従って、時期は約20年前だ。しかし、米国人の生活意識の一端を知り、合わせて紹介されている活動の意義、課題、ひいては位置づけを知ることができる。即ち、著者の学識と広い視野がコラボし、深い知見が展開されている。
更に、再刊に際し、序文『アメリカを見つめて』が書き下ろされる。それが、九つのコミュニティを紹介した後の総括には、終章『アメリカとコミュニティ~国家と個人が交差する場所』に対し、近年の状況を含めた感想が述べられる。
連載の表題は、謂わば、それぞれが「もう一つのアメリカ」であることを示すものだ。そこで、序文にはカウンターディスコース(対抗言説)の最たるものとして2008年、黒人初の大統領・オバマが挙げられるのは当然だ。
更に、オバマのアメリカへの対抗言説として、草の根保守の「ティーパーティ」と「ウォール街を占領せよ」運動を挙げる。ここからトランプ現象及びサンダース現象までは次の一歩である。従って、渡辺氏の描写と論議の中には、筆者の問題意識に何か示唆を与える洞察が含まれているはずだと感じた。
戻って、九つのコミュニティの中で筆者が関心を引いた事項を紹介する。
「アメリカン・サモア/南太平洋」を除いて白人が主体となり、特に
「セレブレーション/フロリダ州オーランド~ディズニーが創った町」、
「ゲーティッド・コミュニティ/カルフォルニア州コト・デ・カサ~資本・恐怖・コミュニティの二つは、
富裕層中心の自治体みたいな構成である。続いて、
「ミドルタウン/インディアナ州マンシー~最も典型的な「アメリカ」」、
「ビッグスカイ・カントリー/モンタナ州~連帯する農牧業」の二つは、
古き良きアメリカを未だ軸にして生活が営まれている感が強い。対して、
「ダドリー・ストリート/マサチューセッツ州サウス・ボストン」は、
南部から北部へ移動した黒人が住み、中産階級の白人は郊外へ移動し、下層のアイルランド系中心の白人が残り、更に、南米及びアフリカからの移民が流入し、典型的な都市問題を抱える地域、それを再生したコミュニティの話だ。
白人人口が95%(1950年)から、75%(1970年)を経て、7%(1990年)と激変し、自宅での二つは、英語以外の言語を使う家庭が40%(2000年)にのぼる。NPO組織を立ち上げて住民自治を築き上げた経緯は、日本では出来ないことと感じる。
「刑務所の町/テキサス州ハンツビル~アメリカにおける死の首都」は、その背景及び現実の風景が暗く描かれるのもいたしかたない。米国人口は、白人70%、黒人13%であるが、刑務所内の収監者の50%は黒人、全体の70%が非白人だ。著者は「そこにアメリカはあるのか」との自問となる。
以上の四つのコミュニティでは、今日に至って、最初の二つと後の二つとでは、その数及び質において、更に差が広がっているように思える。
草の根民主主義の米国で、根なし草の人口が多くなり、その人たちのある部分がコミュニティならぬネット中心の疑似コミュニティを構成し、不安を掻き立て、怒りを発散させる断片的で、かつ断定的な情報に頼って自らの考え方を決め、それを互いに拡散・伝搬することで、トランプ現象も生成されるのだろうか。
「メガチャーチ/アリゾナ州サプライズ~「クールな教会」宗教右派の草の根」は、共和党右派の牙城といわれるところだ。ショッピングセンターあるいはイべント広場のような雰囲気でカジュアルな対応をする教会を描く。ターゲットを定めたマーケティング活動を行っている様子が興味深い。これも、世俗を離れた宗教心が基盤にあるからだろうか。
2011年での米国人口は、白人78.1%、黒人13.1%、その他8.8%。都市の中で下層階級が住む地域はコミュニティが欠如しがちだ。白人警官と黒人が対峙する状況は、50年前から報道され、最近は極めて悲惨な事件になっている。
ディズニーの町、ゲート付き集合住宅による自己中心主義をエリート集団が超えない限りは、トランプ現象は形を変えて、拡散しながら現れ、米国社会は常に不安定性に悩まされる様に思われる。