散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

トランプ現象の底流、「米国社会見直し」への視座~中山俊宏対会田弘継

2016年04月23日 | 現代社会
「トランプは西側先進諸国が共通に抱える問題を集約して表現する…」、
「改めて日本は米国をきちんと見ていかなければいけない…」(中山)。
「米国白人45-54歳の死亡率が上昇…原因は自殺、薬物中毒…」
「トランプが刺激しているのは不安、閉塞感…」(会田)。

トランプ現象を説明する記事、評論を探しが、深みのあるものはなく、「探しものは何ですか?…探すのをやめた時、見つかる事もよくある話で…」(井上陽水「夢のなかへ」)の様に、出てくるのを待つ姿勢にした。
 『トランプ現象と米国社会の全体像~1971年、永井の認識方法』

すると、“中山のつぶやき”(対談掲載(公研4月号))に出会った。対談であるから長くはないが、筆者自身の問題意識を基にまとめてみる。

「迷路の入り込んだ米国の保守主義」で共和党を論じることから始まり、「トランプが爆発させた人々の不満」で貧困層の拡大が下層中間層の不安を焚きかけ、“草の根保守”がそれと重なり、トランプ支持に回るとの分析だ。

続いて、「米国の社会主義運動は絶えずに続く」から「米国社会を支えてきた制度に対する不信感」では、サンダース現象を分析する。ウォール街占拠運動(2011/9)が格差という言葉を定着させ、以降も格差拡大は進む。従って、運動の考え方は“経済こそすべて”のクリントンを中道右派として、拡大する。また、政党政治に資本が結びつき、資本に有利なシステムが多くでき、法律も変えられた。

更に、冷戦終焉以降の世代にとって西欧・北欧の社会民主主議がモデルであることを意味し、ソ連共産主義というイメージから離れ、反共リベラル的な発想からは自由で、比較的抵抗なく受け入れられる。

ここで中山が面白いコメント、「米国では社会主義はないと言われるが…労働運動はビッグビジネスに対して欧州よりは戦闘的だったりもする」を付ける。永井陽之助「なぜアメリカに社会主義はあるか」(年報政治学1966)を反射的に想い起こさせる発言だ。この相反する表現を解く鍵は人種問題にある。

話は佳境に入り、「トランプを生み出したのはオバマ」となる。トランプ現象の先駆けは“ディーパーティ運動”であることに両者は一致する。そこで、中山はそれを保守主義運動が解体していく兆候だと捉え、それ以前は“極端な思想”を排除していたとする。その機能がなくなり、そこにトランプが入り込んだ。

リーマンショックでの大企業救済、更にオバマケアによる大きな政府路線に刺激もあった。加えて、オバマは“戦略的忍耐”という言葉で、米国の卓越性が国際政治における解決策を与えないとして没落を容認した、と受け取られた。

“ディーパーティ運動”の継続としての“トランプ運動”との見解に会田も賛意を示す。それは“米国をもう一回偉大な国にしよう”というトランプの言葉に象徴される。従って、“トランプ現象”は一過性ではない。また、経済環境の変化にも起因することから先進諸国に共通の現象になるとの予測が成り立つ。

米国はIT、バイオに象徴される様に技術力は高く、知識産業へ移行する。米国就労人口の八割がサービス産業で、知識産業に携わるのは少数だ。サービス労働者は宿泊、飲食、交通、清掃等の知的労働者に奉仕する仕事に就く。この様に、日本も含め先進国はサービス産業化が進み、製造は国外、中進国へ移行し、財政赤字を積上げる。新たな社会構造の中では、福祉をはじめ工業化時代につくった制度を税金では維持できない。

対談した中山、会田の両氏共に自らの認識を率直に提示し、当然それぞれは仮説であるが、会話は成立し、米国の底流に潜むエネルギーの不気味さを提示し、日本への警告としていることが理解できる。
筆者として不足の点を感じるとすれば、黒人、エスニックグループを含めた人種の問題、団塊世代を含めた個人主義の変貌、ネット社会の影響等とそれらによる国際情勢への影響である。これも優れた研究を見出す他はない。

    
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日本経済低迷の主因~米国在住・冷泉彰彦氏の見立て

2016年04月13日 | 現代社会
年明け後に公表された経済指標はマイナス基調が多く、消費・生産ともに低迷、今年1-3月期のGDPもマイナスとなる可能性が高い。前年同期比の消費は、1月-0.6%、2月-1.5%。3月に大きな回復がない限り、マイナスは必至である。

需要が高まらないから生産も低迷する。鉱工業生産指数は3月+3.9%の見込みを入れても横這いになるだけ。更に、世界経済の鈍化懸念から設備投資も抑制気味となっている。10~12月期に続いて2期連続のマイナスになれば、景気後退が本格的に意識されるであろう。

筆者は一昨年の末、齋藤誠教授が日経に寄稿したアベノミクスの診断・処方について紹介した。改めて教授の説を確認すれば、「政策総動員の熱病」に罹り、「成長よりも生産維持を目標」にすべし、とのことだ。
 『デフレの診断・処方を誤る~2年後のアベノミクス141212』

更に昨年の末、一見は華々しく、円安・株高を導き、デフレ心理を和らげたが、実質的な成果に乏しい3年間と総括した。その後は新アベノミクスにも関心を向けることはなく、経済現象を社会の中に位置づけ、その全体像と先行きを考えることに注力している。
 『「派手な空体語」と「隠せぬ現実」~3年目のアベノミクス151222』

消費税引き上げ延期説も出るなかで、日本経済の低迷について、概要をまとめて問題提起した論考がJMM(Japan Mail Media) No.892に出てきた。それを「表題」にとって紹介する。

そこで、冷泉氏は外部要因(世界経済一般に共通の問題)と内部要因(日本独自の問題)に分けて整理する。重複部分をまとめて簡易化すると以下。

外部要因は、
(1-1)大量生産品は人件費の安い地域へシフトして低コスト化。
(1-2)エネルギー源の多様化が進み、エネルギー価格が安値安定。
(1-3)IT化による事務コストの削減が進む。
(1-4)機械製品・食料品等は生産技術が進展し、コストが下落。
(1-5)電子機器端末の多機能化と標準化、ハードの市場と価格は縮小。
 以上が構造的な変化、結果としての現象は、
(1-6)中、伯、露、トルコ等新興国経済の急速なスローダウン。
(1-7)欧州だけでなく、北米にもスローダウンの兆し。

内部要因は、
(2-1)人口減・債務累積による投資、消費の減退。
(2-2)高人件費にため、大量生産拠点の地位を奪い返せない。
(2-3)「現地生産化」により生産量と雇用が流出。
(2-4)エレクトロニクス産業は重電(法人・公共需要)と部品産業へ逃避。
(2-5)長期的でリスクを選好する資金が国内に決定的に不足、
     一方、国際的な資金調達にも躊躇。結果として、
     技術や人材に比べ、慢性的な資金不足のため産業が拡大できない。
(2-6)リスク選好資金の不足のため、金融業の発展を阻害。
(2-7)プログラムやコーディングを担う人材の社会的・経済的地位が低い。
     従って、高付加価値を生み出す人材の育成ができない。
     一方で、「ハード製造復興」のセンチメントが根強い。
(2-8)農業、事務部門、サービス業において生産性が低い。
(2-9)資本主義の根幹にある制度インフラに実効性が伴わない。
(2-10)実用的な英語教育が実践できていない。
(2-11)非就労人口の世論形成への関与が増大。

整理されていない部分、米国的な見方の部分が目立つように感じる。しかし、問題提起としては一つの全体像を提起している。日本の中でも先ずは全体像の整理、味方を多くの学者、研究機関が提起することが必要であろう。

      
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定常の中で生活を営む術~成長ではなく質の向上を-日本がモデル

2016年04月10日 | 現代社会
特集『低成長時代をどう生き抜くか』(Foreign Affairs Report 2016/3)」の諸論文の中で、筆者は「長期停滞を恐れるな――重要なのはGDPではなく、生活レベルだ」(ザチャリー・カラベル(エンベスネット))に注目した。

表題「定常の中で生活を営む術~成長ではなく質の向上を-日本の様に」は筆者の意訳、英文表記は以下で邦訳も意訳であるから、筆者なりに考えてみた。
「Learning to Love Stagnation-Growth Isn't Everything-Just Ask Japan」。

Loveの訳として”楽しむ”が第一感で思い浮かんだが、少し軽いと感じて”営み”としてみた。逆にLearningを真面目に訳さずに“術”にしてみた。成長は量であるから邦訳の対比は倣ったが、文言は“質”にしてみた。

問題はStagnation (停滞)。
低成長でも、経済学的には停滞で正しいのだろう。しかし、一般的な言葉のイメージでは、止まって、淀んでいる様子を表現し、方丈記「淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて、久しく止まりたるためしなし」を想い起こす。

そこで、最近読んだ、経済学者・齋藤誠氏の近著「経済学私小説 〈定常〉の中の豊かさ」(日経BP社)から“定常”を借用させてもらった。カラベル氏の着想も齋藤教授の問題意識と重なる部分があると思われる。筆者の発想としては一連の「成長から成熟へ」と同じであり、表現は異なっていても注目した所以である。
 『様々な「成熟時間の腐蝕」、現代的状況~成長から“成熟”への軌跡(13)140826』

ネットに掲載されているのは目次と概要だけで、後ほど、国会図書館で全文を読むつもりでいる。目次に概要を細切れにして当て嵌めると次の様になる。

 1.アメリカの格差と所得の停滞
  ・先進国は依然としてデフレから抜け出せずにいる。
  ・所得格差の危険を警告する声がますます大きくなる。
 2.失速した新興市場
   ・中国は投資主導から消費主導型経済への不安定な移行時期へ。

 3.GDP依存の弊害
  ・経済の先行きが各国で悲観的観測。
  ・この見立ては基本的に間違い。
  ・GDPはデジタルの時代の経済を判断する適切な指標ではない。

 4.低下する財とサービスの価格
  ・世界的に生活コストが低下している。
  ・賃金レベルが停滞しても、生活レベルの維持向上は可能。

 5.日本シンドロームからポスト成長モデルへ
  ・デフレと低需要は成長を抑え込むが、繁栄を損なうとは限らない。
  ・身をもって理解しているのが日本。
  ・世界は「成長の限界」、だが、繁栄の限界は未だ視野の外に。
 6.「成長の限界」VER2

カラベル氏は「4.低下する財とサービスの価格」に着目する。スタグフレーションにはならないわけだ。石油価格が大きく下落して、この冬の灯油料金は大きく下がった。数量的・平均的には、賃金上昇と同じ効果だ。

しかし、財とサービスの価格が下がった理由が問題であろう。成長が限界に達しても生活レベルという意味での繁栄は限界にきていない。それを理解しているのが日本だと言われると、ドキッとするわけだ。

「成長から“成熟”へ」を考えた際に、成長が相似型に大きくなるイメージに対して成熟は変化・脱皮のイメージと想定した。更に、動植物の変化・脱皮はその形、行動に関わるが、人間の場合は個人の知識・智恵をベースに社会的・文化的活動に関わるものとしてみた。
従って、人間としての成熟とは、内面的なことの表出が主になるはずだ。

カラベルの論文が「ポスト成長モデル」と「成長の限界VER2」についてどのように展開されているのか、興味深い。

      
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トランプ現象と米国社会の全体像~1971年、永井の認識方法

2016年04月09日 | 永井陽之助
「アメリカ社会の冷徹な観察者の調査報告や論文を広く集め、自分なりの方法論で、その集められた部分像の重ね合せから、モンタージュ写真を作る手法で全体像を描いてみようと思いたった。」
(『解体するアメリカ~危機の生態学』(中央公論1971/9月号)

現在、米国大統領選挙の候補者として、ドナルド・トランプ氏が過激な発言を繰り返しながら、共和党内を席巻している。これを「トランプ現象」と呼んで有識者達が解説・意見を公表している。

しかし、永井陽之助が試みたように、米国の政治社会の状況に関して「1)冷徹な観察による情報を集め、2)部分像を重ね合せ、3)モンタージュ写真を作る手法で、4)全体像を描く試みは日本の中でなされていない様だ。

上記論文の中では、ニューズウィークの特集から、ケネディ政権を支えた知識人として著名なA・シュレジンガー、ラディカルリベラルと自らを規定するR・ホッフシュタッターを始めとして保守派、左翼、リベラルの論調をそれぞれ引用し、米国での多様な見方(様々な部分像)を紹介する。

そこから、60年代、米国の社会変動の全体像を以下の様に述べる。
 1)人口移動―黒人の余剰労働力の南部から北部への移動
 2)世代交代―戦後ベビーブーム世代の登場
 3)資本構成―経済繁栄による期待上昇と巨額の公共投資
 4)情報革命―情報空間の著しい拡大
 『60年代米国の社会構造変化と政治的時間の短縮~成長から“成熟”への軌跡140608』

その中で、米国の政治社会は次の様に描写される。
「現在のアメリカを動かしているものは、大統領でも一握りの指導者層でも専門家でもない。彼らは巨大な社会変動の波に押し流されまいと必死にボートを漕いでいるが、ぐるぐる元の場所を回って押し戻されている」(同上)。

一方、日本社会における高度経済成長による構造変化も基本的に同じである。それが現在に至るまで継続的に累加しているのだ。例えば、以下のことだ。
 1)人口移動―大都市への人口集中、極点都市の出現予測
 2)世代交代―少子超高齢化社会への進行
 3)資本構成―資本主義のグローバル化と貧富の差の拡大
 4)情報革命―ネットメディアの日常化による地球規模の即時性

“トランプ現象”とは、今やトランプ発言だけではなく、直接的な聴衆の反応、そのまま即時に情報を流す報道、レッテルを貼る評論の四者を合わせた現象なのだ。それらが互いにシンクロナイズしている。

しかし、その現象が何であれ、筆者がトランプ発言から感じるのは、政治的な感情にすっかり依存している本人の異様な姿だ。支持者の反応がトランプを刺激する。但し、オープンな形で支持者を拡大するのではなく、竜巻の様に回りを引き込んでいくのだが、どこか一過性とも受け取れる軽い発言が多い。

これに対して、日本での報道及び有識者の評論は、トランプ発言にシンクロナイズするかの様に、同じ言葉の繰り返しである。例えば、トランプ発言に「孤立主義」を見出すこと、支持者は「反エスタブリッシュメント」を標榜していることを指摘する程度だ。

永井は、例えば、
1952-1968年における人口移動についてデータ(郊外37%上昇、都心21%減少)を示しながら、都市での黒人と白人貧困層との分極を説明する。そこから、G・ウォレス(1968年大統領選挙で独立党から立候補)は南部だけでなく、北部の白人層からも支持されていることを指摘する。
更に、その理由として、「ウォレスは働く者の味方だ」との言葉を引用して、ウォレスがポピュリスト心情を巧みに組織化していると述べる。

なお、以下は蛇足だが、永井が授業のなかで話したことを覚えている。
その時の副大統領候補が第二次世界大戦で空襲による日本への無差別爆撃を指揮したK・ルメー(ベトナム戦争での強硬政策を主張)であった。

閑話休題。断片的な引用になった。
しかし、ここでは様々な立場の見解を参考にしていること、マクロな社会変動を把握すること、サイレント・マジョリティと呼ばれた人々の生の声を加えて個々の状況をリアルに認識すること等、永井が米国社会の全体像を描く手法を示している。米国大統領が誰になるにせよ、その行動はマクロ、ミクロの状況によって制約を受けるはずだから。

      
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