日本維新の会・橋下代表代行は、みんなの党の渡辺喜美代表に「選挙区調整はじゃんけんで決めてもいい」と再度、合流を呼びかけたことが報道され、批判を呼んでいる。この批判は当然だが、そのなかに日本維新の会の性格を読み取ることができる。問題は人でも政策でもなく、合流するか否か、要するに勢力を拡大することが至上の課題であるとの意識である。
従って、「表現力の乏しい人が発言を取り上げる。どっちを取るか、政治決断を『じゃんけん』と表現した。最後はまとまろうという強烈なメッセージだ。」との反論になる。しかし、その意図があるなら、表現力の乏しいはどちらだろうか、との皮肉も思い浮かぶ。
一方、このことを鋭く指摘する知識人もいる。宗教学・島田裕巳氏だ。「日本維新の会の政策はなぜ変質するのか」(11/23付け アゴラ)において、氏は「明治維新は、権力を奪取するための戦い…政策によって二つの勢力が衝突し、競いあったわけではない。維新とはそういうもの…」と述べている。太陽の党との合流によって、政策が変わったことに対するコメントである。「じゃんけん」による候補決定までは考慮外であろうが、維新の会の性格を理解している。
宗教学者が指摘した点が非常に面白い。
言うまでもなく、明治維新は「選挙」ではない。欧米諸国からの開国を要求されていることを背景にした徳川幕府と薩長藩との武力を含む内戦的な権力闘争である。一つ間違えれば、英仏が介在した国際的内戦に発展する可能性も秘めていた。当然、当時の状況は国民が相違として政権を決定するわけでもなく、政策を掲げて争う環境でもない。「武力の優劣」と「権威としての天皇の所在」、更に「列国の介入」が問題であったのだ。
橋下氏は島田氏に対して「維新の会の政策を良く勉強しろ」と反論したようだ。それもそのはず、橋下氏は大阪市政に対するマスメディア、学者からの批判に対し、「政策を良く知れ!」と、常に強調していた。しかし、それが国政になると、「維新八策」を掲げたが、その具体的内容になると、不明確な部分が多いことも批判されていた。統治構造を変えるとは言っても、政治集団として国会に手がかりがなく、空中戦を戦っている観は免れなかった。
更に衆院選挙ともなれば、具体的政策が問われることになる。しかし、候補者数を確保し、かつ、得票を積み重ねるには、乱立する少数勢力のなかでのサバイバルレースに勝つこと第一に必要だ。政策の一致は度外視しても選挙後の「政局」へ向けて“維新”という言葉のイメージ戦略に賭けるようになった。結局、島田氏の見方に引きつけられた格好である。
橋下氏は首都圏エリアでの集票力を目当てに石原氏と組んだ。しかし、我欲としての権力欲によって行動する石原氏のイメージが余りにも強いので、橋下氏はその代理人と見られるようにも思える。ユニークな性格で政治家の地位を築いた橋下氏ではあるが、ふたりが並んだイメージへの選択を有権者へ求めたことが中途半端にならないとも限らない。
従って、「表現力の乏しい人が発言を取り上げる。どっちを取るか、政治決断を『じゃんけん』と表現した。最後はまとまろうという強烈なメッセージだ。」との反論になる。しかし、その意図があるなら、表現力の乏しいはどちらだろうか、との皮肉も思い浮かぶ。
一方、このことを鋭く指摘する知識人もいる。宗教学・島田裕巳氏だ。「日本維新の会の政策はなぜ変質するのか」(11/23付け アゴラ)において、氏は「明治維新は、権力を奪取するための戦い…政策によって二つの勢力が衝突し、競いあったわけではない。維新とはそういうもの…」と述べている。太陽の党との合流によって、政策が変わったことに対するコメントである。「じゃんけん」による候補決定までは考慮外であろうが、維新の会の性格を理解している。
宗教学者が指摘した点が非常に面白い。
言うまでもなく、明治維新は「選挙」ではない。欧米諸国からの開国を要求されていることを背景にした徳川幕府と薩長藩との武力を含む内戦的な権力闘争である。一つ間違えれば、英仏が介在した国際的内戦に発展する可能性も秘めていた。当然、当時の状況は国民が相違として政権を決定するわけでもなく、政策を掲げて争う環境でもない。「武力の優劣」と「権威としての天皇の所在」、更に「列国の介入」が問題であったのだ。
橋下氏は島田氏に対して「維新の会の政策を良く勉強しろ」と反論したようだ。それもそのはず、橋下氏は大阪市政に対するマスメディア、学者からの批判に対し、「政策を良く知れ!」と、常に強調していた。しかし、それが国政になると、「維新八策」を掲げたが、その具体的内容になると、不明確な部分が多いことも批判されていた。統治構造を変えるとは言っても、政治集団として国会に手がかりがなく、空中戦を戦っている観は免れなかった。
更に衆院選挙ともなれば、具体的政策が問われることになる。しかし、候補者数を確保し、かつ、得票を積み重ねるには、乱立する少数勢力のなかでのサバイバルレースに勝つこと第一に必要だ。政策の一致は度外視しても選挙後の「政局」へ向けて“維新”という言葉のイメージ戦略に賭けるようになった。結局、島田氏の見方に引きつけられた格好である。
橋下氏は首都圏エリアでの集票力を目当てに石原氏と組んだ。しかし、我欲としての権力欲によって行動する石原氏のイメージが余りにも強いので、橋下氏はその代理人と見られるようにも思える。ユニークな性格で政治家の地位を築いた橋下氏ではあるが、ふたりが並んだイメージへの選択を有権者へ求めたことが中途半端にならないとも限らない。