散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

日本維新の会の政治的性格~衆院選挙での政策変更と橋下じゃんけん発言~

2012年11月25日 | 国内政治
日本維新の会・橋下代表代行は、みんなの党の渡辺喜美代表に「選挙区調整はじゃんけんで決めてもいい」と再度、合流を呼びかけたことが報道され、批判を呼んでいる。この批判は当然だが、そのなかに日本維新の会の性格を読み取ることができる。問題は人でも政策でもなく、合流するか否か、要するに勢力を拡大することが至上の課題であるとの意識である。

従って、「表現力の乏しい人が発言を取り上げる。どっちを取るか、政治決断を『じゃんけん』と表現した。最後はまとまろうという強烈なメッセージだ。」との反論になる。しかし、その意図があるなら、表現力の乏しいはどちらだろうか、との皮肉も思い浮かぶ。

一方、このことを鋭く指摘する知識人もいる。宗教学・島田裕巳氏だ。「日本維新の会の政策はなぜ変質するのか」(11/23付け アゴラ)において、氏は「明治維新は、権力を奪取するための戦い…政策によって二つの勢力が衝突し、競いあったわけではない。維新とはそういうもの…」と述べている。太陽の党との合流によって、政策が変わったことに対するコメントである。「じゃんけん」による候補決定までは考慮外であろうが、維新の会の性格を理解している。

宗教学者が指摘した点が非常に面白い。
言うまでもなく、明治維新は「選挙」ではない。欧米諸国からの開国を要求されていることを背景にした徳川幕府と薩長藩との武力を含む内戦的な権力闘争である。一つ間違えれば、英仏が介在した国際的内戦に発展する可能性も秘めていた。当然、当時の状況は国民が相違として政権を決定するわけでもなく、政策を掲げて争う環境でもない。「武力の優劣」と「権威としての天皇の所在」、更に「列国の介入」が問題であったのだ。

橋下氏は島田氏に対して「維新の会の政策を良く勉強しろ」と反論したようだ。それもそのはず、橋下氏は大阪市政に対するマスメディア、学者からの批判に対し、「政策を良く知れ!」と、常に強調していた。しかし、それが国政になると、「維新八策」を掲げたが、その具体的内容になると、不明確な部分が多いことも批判されていた。統治構造を変えるとは言っても、政治集団として国会に手がかりがなく、空中戦を戦っている観は免れなかった。

更に衆院選挙ともなれば、具体的政策が問われることになる。しかし、候補者数を確保し、かつ、得票を積み重ねるには、乱立する少数勢力のなかでのサバイバルレースに勝つこと第一に必要だ。政策の一致は度外視しても選挙後の「政局」へ向けて“維新”という言葉のイメージ戦略に賭けるようになった。結局、島田氏の見方に引きつけられた格好である。

橋下氏は首都圏エリアでの集票力を目当てに石原氏と組んだ。しかし、我欲としての権力欲によって行動する石原氏のイメージが余りにも強いので、橋下氏はその代理人と見られるようにも思える。ユニークな性格で政治家の地位を築いた橋下氏ではあるが、ふたりが並んだイメージへの選択を有権者へ求めたことが中途半端にならないとも限らない。

         

首相の「解散権」は王権神授説か~内閣に横並びの司法・学会の憲法解釈~

2012年11月18日 | 国内政治
野田首相の「解散権」に疑義があることを昨日の記事で述べた。内閣不信任案への対抗として衆院解散が憲法69条に規定されているにも拘わらず、内閣独自の「解散権」が何も明文化されずに、堂々とまかり回り通っているのか。ここに司法・学会の弱さがある。

最高裁大法廷は、高度の政治性があり裁判所の審査権外として憲法判断をせず、学会においても、基本的に解散は民意を問う方法であり、その可能性を限定せず、広く開放しておくべきとの判断が主流、とのことである。共に尤もらしい理由であるが、国民に対して判断を放棄していることに変わりはない。そういう理由であるならば、地方自治法で首長・議会に対して規定しているように、国民に対して直接請求権を認めるべきことであろう。

司法・学会が頼りにならなければ、私たち市民が改めて現在の「解散権」をもたらした理由を辿り、国会にその改革を図るように、要求することが必要になる。

米国は二元代表制であり、憲法制定過程で『天皇「1-8条」』規定の参考にしたのは英国憲法と推定できる。英国では解散権は国王大権であり、しかし、内閣の請求を拒否しないという運用であった。しかし、日本の戦前における天皇の地位に対する憲法解釈は、一般大衆向けに対する顕教(現人神)と政府内部での密教(天皇機関説)とに分離し、軍の台頭と共に顕教によって密教は駆逐された生々しい歴史がある。

従って、内閣の権限と責任を謳えば良いと考えたのは、無理からぬ処であった。ところが、英国内閣は本来、「解散権」は持たず、単なる請求機関であるが故に、実質的「解散権」を担保していたことを見落としたのか?そこで日本国憲法では、内閣「解散請求権」そのものは宙に浮き、「助言」を担ぎ出す以外になかった…しかし、現在は「解散権」が「王権神授説」のように罷り通っている。この逆転の中に日本人の法意識が隠されていると筆者は感じる。

一方、1955年の政治体制が確立され、自民党による単独政権が安定していた時代は、この「解散権」は目立つ存在ではなかった。だが、自民党、社会党それぞれの内部抗争から新党結成、合従連衡の時代に移るにつれて、いつ解散をするのか、政治的というか、政局的な視点も含めてタイミングが問題となってきた。
それを象徴するのが2005/9の小泉郵政改革選挙である。シングルイッシュー、党内抗争、参院での郵政改革法案否決、これが解散の大義名分かとの議論もある中で、小泉自民党は国民の圧倒的な支持を受けて大勝し、「解散権」が改めてクローズアップされた。90年代以降、今回で8回目、約3年ごとの衆院選、参院選を含め、煩雑な選挙であることは間違いない。

昨日の記事で紹介したように、英国は任期固定制に変更され、独も基本的に同じ形になっている。内閣の「解散権」が固有のものとの理由はどこにもない。また、弊害も懸念される状況だ。
長期的展望を視野に入れた選挙へと切り替える必要がある。

        

もう一つの違憲状態?~内閣の助言による解散~

2012年11月17日 | 国内政治
野田首相による衆議院解散を何と命名するのか、議論を呼んでいる。しかし、抜き打ち的であることは確かだ。過去、吉田内閣が1952/8に「抜き打ち解散」を行っている。従って、同じ名前は使わないだろうが、この時、解散決定が、憲法違反か否か議論が提起された(苫米地事件)。解散が憲法7条「天皇の国事行為」を根拠として行われたからだ(7条解散)。

日本国憲法では、「第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」、「第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う」ことになる。更に、その国事行為の具体的中味の一つとして、「第3号 衆議院を解散すること」を規定している。

しかし、内閣の助言は何に基づいて行われるのか?「第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とある。従って、憲法69条の規定によって、内閣が議院解散を決めれば、自動的に第7条に引き継がれる。これを通称、「69条解散」と呼ぶ。

憲法の規定はこれだけだ。戻って、内閣は常に衆議院の解散権を有するというのが、7条解散の解釈になる。これはおかしいのではないか?国政にとって、最も大切なことの一つである衆議院選挙が、何の明文も持たずに解釈によって、内閣の判断に委ねられているのだ。

一方、首長と議員を別々の選挙で選出する地方自治体においては、不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会を解散することができる(地方自治法第178条第1項)。でなければ、失職する(同第2項)。何もなしで、首長は議会を解散できない。両者を共に失職させることができるのは住民だけである。名古屋市・河村市長が旗を振って、議会解散へ導いた所以である。

以上が首相の「解散権・専権事項」と言われることの法的実態である。この状況に対し、最近では、片山善博前総務相が違憲との説を再提起している(「日本を診る」(岩波)2010年)。

片山氏によれば、戦後初の解散(1948/12)は69条解散であった。ときの吉田首相は、野党と相談して、不信任案を出させ、否決せずに、そのまま通した。そこで「なれ合い解散」と呼ばれた。吉田は首相として不便さを感じた似違いない。
当時の英国では、解散権は国王大権であるが、内閣の請求によってできる。また、これまで、請求が拒否された例はない。そこで、内閣として決めれば「助言と承認」によって、国事行為が成り立つとの解釈は特に不可能では無い、と考えたはずだ。

しかし、その英国も2011/9に任期固定制議会法を成立させた。内閣不信任決議以外に、議会下院が2/3以上の賛成で解散を議決した場合を除き、解散はない。違憲状態の一票の格差、参院のあり方を含めて日本の議会制度の大本は揺らいでいるのだ。

      

石原慎太郎、最後の我欲~『太陽の季節』の帰結としての権力欲~

2012年11月04日 | 政治理論
石原慎太郎氏は東京都知事時代の2011/3/14、震災への国民の対応について記者団に問われ、「津波をうまく利用して我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」などと発言したことが報道されている。あとから、陳謝して取り消したそうだが。

政治家・石原知事であるから取り消したのだろうが、作家・石原慎太郎であれば取り消しなど、しなかったろうに…。作家から政治家への道に進んだ処に石原氏自身の我欲が表現されている。即ち、“権力欲”である。1955年に発表され、石原氏の名前を一挙に、社会に晒した作品『太陽の季節』をウィキでは次のように紹介している。『裕福な家庭に育った若者の無軌道な生き様を通して、感情を物質化する新世代を描く』『弟・裕次郎の噂話が題材という』『倫理性の点で、一般社会に賞賛と非難を巻き起こした作品』。

「感情を物質化」とは良くわからない表現であるが、感じたことを具体的に欲する、とでも解釈しておこう。要するに“我欲”である。それが本の中では、として表現されている。裕福な家庭に育った新世代の若者は、その後に続く戦後世代の象徴であり、先駆けでもある。

『ナンパした少女と肉体関係を結び、その後、付き纏われるのに嫌気がさし、兄に彼女を売りつける』。ここには、裕福さで物質欲を満たした孤独な若者が、次に肉欲を満たすと共に性を通して女に対する征服欲に目覚め、その負の表現として、金銭を介して少女を捨てたことが描かれている。これが我欲に関する作家・石原慎太郎の表現であれば、賞とそれを介した名誉欲だけに我欲が終わる作家に飽き足らず、本人の行動として政治へと向かうのは成行きとも言える。

『性と政治は、性衝動と権力欲という「要注意」の爆発物にかかわる点で、きわめてアナロジカルな関係に立つ』(永井陽之助「現代政治学入門」P7(有斐閣))。そこで、「英雄、色を好む」という言葉も頷ける。性欲と身近な権力欲(征服欲)を合わせて満たす対象になるのだ。更に、そこから生まれる世継ぎは、自らの権力の継承を意味し、その権力は永遠へ近づく。

今回の都知事辞任、新党結成のタイミングは、長男・石原伸晃が所属の自民党総裁選で敗れたことから選ばれた、と言われている。1989年の自民党総裁選に出馬したが、海部俊樹に敗れ、その後、1990年の衆院選挙で、石原伸晃が立候補し、親子揃っての議員ができあがった。それが、1995年の議員在職25年表彰において辞意を表明し、議員としての後継は長男に譲り、満を持して1995年の東京都知事に打って出た。成る程と思わせる経緯である。

都知事四選出馬も自民党幹事長としての石原伸晃からの出馬を要請があった。これも『我欲がいつまで続くのか?』との見方ができる。更に、その知事も途中放棄で新党結成に走った。橋下維新との接触は、政策の議論ではなく、は何が何でも国家権力へ近づこうという姿しか、見えてこない。結局、石原の最後の我欲は『太陽の季節』の帰結としての権力欲であり、橋下氏もまた、それに巻き込まれる存在なのか、試されている。

        

日本の核武装を巡って~脱原発からの思わぬ展開~

2012年11月03日 | 国内政治
報道によれば、民主党政権が2030年代に原発ゼロを目指すという方針を打ち出したと思ったら、閣議決定せずに、数日して突然、目標に切り下げた。これも報道から、米国の圧力があったという。日本のエネルギー政策の問題に、意見があったとしても、米国が首を突っ込む理由が良くわからなかったが、何と原発の使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは核兵器への転用が可能、という日本の“核武装”の問題が秘められていたのだ。

「青森県六カ所村には国際監視の目が光っている」と取材した石井孝明氏がアゴラ(2012/11/2)で報告している。以下、氏の報告から引用する。
六カ所村には「ウラン濃縮工場」から「再処理工場」を経て、「高レベル放射性廃棄物センター」に至る施設が揃っている。これは、原発用であるが、軍事転用されないようにIAEA(国際原子力機関)の査察官が常駐し、抜き打ち検査も行っている。

再処理は資源のない日本が核燃料を増やして使用する試みで有り、「核燃料サイクル」と呼ばれている。これを実行するため、日本は平和利用に徹することを、アメリカを始めとした各国と「原子力協定」を結んで徹底している。ところが、原発ゼロになれば、必然的にプルトニウムは不要になる。それでも現時点で日本は約45トンのプルトニウムを持つ。これまでの監視体制と今回の米国の態度は、日本の核武装は国際的に極めて警戒されていることを示している。では、「原発ゼロ ー 核燃料サイクル放棄」へ進むのか?残ったプルトニウムをどうするのか?「核武装」か?と問われる。

逆に考えれば、核兵器製造能力が暴露されたことにより、「原発利用(核の平和利用)」「潜在的核保有」となり、エネルギー資源を節約しながら国際政治におけるバーゲニングパワーは拡大可能である。しかし、これを政策として実行するためには、国内的な政治的安定と共に、“核兵器を持たないことの強み”を世界へ向けて発信することも必要だ。

一方、新党結成を宣言した石原慎太郎氏と『立ち上がれ日本』のメンバーは憲法改正・核武装を目指すだろう。しかし、こういう政治勢力がいる限り、第9条だけでなく、他の条文に関しても手を付けることが難しくなる。すべてを抱き合わせにする改正があり得るからだ。

「平和の代償」(P164)において永井陽之助は、憲法改正すべき、と述べた。しかし、『…憲法改正は、ひとつの重大な政治問題であり、「いつ、だれが、どの箇所を、いかにして、いかなる方向で、変えるか」の問題である』と述べる。更に「いつ」については、保守勢力の反動派(自民党右派)が力を喪失した時期以降が最低条件、「だれか」は、共産党のみで保守政権に資格なし、「どの箇所」は、軍備コントロールの視点に立って、国土防衛隊を整備、としている。何のことはなく、憲法改正は“実質的に棚上げ”と言っているのだ。

「核の平和利用 ー 憲法改正棚上げ」は日本の周辺諸国に対してこれまで通り、日本は基本的な国際関係に関して、現状維持国家であることを宣言することになるはずだ。