散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

立民党・公明党・宏池会~「小選挙区/二大政党制」への道

2017年11月19日 | 国内政治
衆院選挙の結果が判明したとき、先を見越して(十年後)、立憲民主党が憲法改正問題をトリガーとして公明党へ接近できるのか、それが二大政党制へのカギだと考えた。

一方、立民党・枝野党首は更にウィングを広げる構想を朝のテレビ番組で語ったという。

なるほど、正式な意思表明ではなく、インタビュー的な一般人向けの政治談議での話であることがミソだ。
野党が自民党に対抗できる勢力にならないと、「小選挙区/二大政党」制は機能しない。そこで主義主張の近い政党に接近するのは、野党のトップ政党にとって政治的アートに属する戦術的行動だ。当然、立民党では党内の左翼・市民派を抑えることは必須になる。

これを初めから直球を投げるように党機関向けに話をするのは政治家の態度ではない。一般人向けのくだけた談話の中で観測気球を飛ばすのが常識というものだ。予想通り党内からは反発はなく、第一歩としては成功だった。

話の内容は、
(1)「座右の銘」を十七条憲法冒頭「和を以て貴しとなす」と紹介。
(2)以来、日本の伝統は『リベラル』である。
(3)保守系とリベラル系を対立させるには間違いだ。
(4)自身は「保守」と定義した上で、
(5)「リベラル」でもあるとする。
(6)多様性を認めて寛容で社会的な助け合いを大事にする。
(7)30年前なら自民党宏池会(大平正芳派)に相当する。

最後に共産党・社民党は本来の「リベラル」とは異なる。対して自民党を「保守」とするのも間違いとまで述べた。

大平正芳を遡れば、所得倍増計画・池田勇人首相から戦後日本の骨格を形成したワンマン首相・吉田茂に遡る。戦後民主主義の正統派だ。それが聖徳太子に繋がるのであるから、歴史は塗り替えていかれるものだと誰しも関心 (寒心) する。

このテレビの話を真に受けたのか、安全保障問題で論陣を張る篠田英明氏はブログで「枝野幸男氏が「30年前の宏池会」の継承者とは言えない」と論陣を張る。氏のブログに書かれていることは正確であろう。

但し、ここでの問題はその正しさではない。枝野氏の発言が今の政治状況のなかで占める意味である。

枝野氏は公明党を跳び越えて自民党のなかに着地した。それを30年前として現在ではない。現在は空席なのだろうか?それなら自分たちが占めるチャンスもある。こんな考え方も成り立つ。自民党を割って「リベラル自公民」を窺い、かつ、社共をけん制するポジションに先ずは観測気球を飛ばしたのだ。

そう考えれば、日本の政治状況では大きな意味を持つと考えられる。