散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

橋下『共同管理構想』に潜むもの~法律万能の国際秩序観~

2012年09月29日 | 国際政治
筆者は『竹島・韓国との共同管理構想』を評して「橋下会長はいつから憲法第9条を上回る空想的平和主義者になったのか?」(@GHyoshii 9/24)とつぶやいた。更にいささか皮肉を込めて「竹島の韓国との共同管理構想は政治家としてライフワークの仕事になるだろう。」とも付け加えたが。

国際法とそれに基づく世界政府の樹立という空想ではなくても、両国の同意を支える国際的監視機構も必須であり、特使として世界を駈け巡る位のことは想定すべきで、大阪市長では出来ないはずだからだ。構想を政治家が出し、あとは官僚の仕事だ、という類いでは全くない。同じように、池田信夫氏が「軍事・外交では超ハト派に変身して驚いた」と書いている。
引用された9/28付けtwitterも読んだ覚えがあったのだが、筆者が注目したのは「法の支配という理想を抱きつつ、現実を直視する」という言葉だ。

やっぱり!筆者の感想だ。後述するが、内から行動規範を醸成する“制度型”よりも法律・組織を上から固める“機構型”のリーダーシップが橋下氏の特徴だ。筆者は“制度型”への転換を提案したが、現実の大阪はどうだろうか。

また、現実直視の具体的対応は「日本に必要な防衛力をしっかりと考える」「海防力強化が喫緊の課題」「集団的自衛権の行使も必要」「日米安保の強化も必要」だ。しかし、世界共通の理想へ向かって進む国が何の理由で上記の施策を必要とするのか?論理的に出てこない。即ち、防衛力、海防力、集団的自衛権、日米安保というが、すべては「力」であり「攻守」の区別などはない。自国にとって「守」を強化することは、他国からみれば「攻」の強化にしか見えない。

この現実直視論は自らのことだけを考える単独主義であり、対立する国も同じ考え方をすれば、果てしない軍拡競争の渦に互いに巻き込まれる。だが、「国際司法裁判所で法と正義に基づいて解決しようと言う姿勢は、国際社会で絶対に支持」「中国や韓国が嫌がっているのであれば、国際社会に強く訴えるべき」と氏は主張する。これについては、法(機構)の支配を説明した後、再考しよう。

国際政治における秩序観を機構型、制度型、状況型の三類型に整理して永井陽之助氏は説明した(「平和の代償」P6中央公論社)。機構型を『調和ある市民的秩序を、国際関係へ、直接、投射したアメリカ自由主義、法律万能の道議主義的アプローチ』『わが新憲法第9条の精神はこの最もラディカルな表現にほかならない』と指摘した。しかし、先の語録にあるように、永井氏は『憲法9条の規定は…「真理」でも「理想」でもなく…軍備コントロールを阻害する』とも喝破した。

弁護士としての経験を自己の政治活動に投射させている橋下氏の発想は、将に法律万能の機構型秩序観である。従って、「憲法第9条」と一致する部分が内面的にあるとしても不思議ではない。池田氏の超ハト派との指摘が的確である所以だ。しかし、超ハト派がひとたび、現実を直視すると、たちどころに軍拡競争に走る可能性が大きいのだ。当然、相手を邪悪なる存在として考える。これに国民感情が作用すれば、歯止めがきかない有り様になることも容易に予測できる。

永井氏は『村落者の平和哲学』と呼んで、禁酒法などの草の根に基盤をおくポピュリスト的な道徳哲学が「憲法第9条」の戦争放棄の哲学と思想的・イデオロギー系譜を同じくしていると指摘した。更に、『日本人の平和観が、等しく「自然村」秩序観の投射である点におもいをいたすならば、米国の「村落者の哲学」と内面で一致する理由も無理なく理解されるのだ。』と結ぶ。

ここまでくると、橋下氏において、先の単独主義的現実直視論は機構型秩序観と深く結びついていることが理解されよう。

ここから池田氏は、日本の過去に触れた橋下氏の論理を「日本教」と批判した。
しかし、9/28付け twitterを読むと、善悪二元論的に分け、悪を反省する態度であり、主張というよりは、説得的な記述と読み取れる。但し、反省すれば、相手が理解するとは書いていない。一方で、そう受け取られてもおかしくはない文章だ。それが自ずと日本教の考え方で展開されているとすれば、面白いことだ。

一つは、橋下氏が政治家として、読者層向けの論理として使った論法が、知らずのうちに日本教にはまったのかもしれない。あるいは、国際政治について素人である人間が、突然、大所高所から、既存政党を批判しつつ、自らの見解を急拵えする必要にかられ、これまで蓄積された固定観念が自然に出たのかも知れない。

それなら、今後も起こりうること、拡大された維新の会なら尚更だ。何故なら、「常識ある人間なら誰だって知っているとは言えない問題に関して自分の考えを述べずには、政治をすることはできない」(ポール・ヴァレリー)。

        
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『平和の代償』の衝撃~永井陽之助語録3

2012年09月26日 | 永井陽之助
防衛とは自国のためだけでは決してないのだ。隣人のためなのである。』
『日本の安全保障の問題で、多くの論者がまったく視野の外においている盲点は、米国に対する防衛の問題である。』
憲法9条の規定は、そのままでは、かならずしも「真理」でも「理想」でもなく、戦争と平和の基本的見方において、「軍備コントロール」の問題を妨げるものである。』
『本書に一貫している議論の基調は、この世で美しいもの、価値あるものも、なんらかの代償なしには何も得られないという素朴な日常的英知の再確認にほかならない。』

 「平和の代償」中央公論社(1967) 所収、上から順に、
 『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』P65,(初出1965)
 『日本外交の拘束と選択』P117(初出1966)
 『国家目標としての安全と独立』P164(初出1966)
 『あとがき』P224

「筆者コメント」
 40年以上も前、大学2年生の時に読んだ。その時は、日本の政治、防衛等について、それほど知識があったわけではない。それでも、

 「防衛とは自国を守ること」
 「米国は民主主義の手本で仲間」
 「憲法9条は理想の表現」

 と何となく、疑わずに、そう思っていたのは確かだった。それをひっくり返された。これらが既成概念であって、いつの頃からか、自らの政治的思考を制約していたわけだ。最初の言葉には『若い女性が身だしなみを整えるのは、彼女のためだけではない』と付け加えてあったので、おう!そうか、と納得した。
以下の言葉は入学したての頃、新入生向きの本に書かれていた。固定観念から、自己を解放する学問として「永井政治学」は偶然にも自分の前に姿を現した。これを読んでいなければ、おそらく、「平和の代償」も読まなかったのではないか?

『われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。』
 『政治的認識の構造』「学問と読書」(大河内一男編・東大出版会)

      
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橋下・維新の会は「日本」と「大阪」を分離すべき~民主主義下での“法皇院政”を防ぐ~

2012年09月25日 | 国内政治
維新の会討論会を開催してから、何かボロが出てきた。初回は国会議員の採用テストだった。報道では、予定調和・お見合い気分と書かれ、これもボロの一つ。先の記事で「土着性に基盤を置いた維新の会が根無し草化」「全国各地に点在するオポチュニストの集まり」と懸念したが、早くも表面化した。更に、第2回目は田原総一朗氏が登場、鋭い突っ込みで問題の発言を誘発した。

松井幹事長は沖縄・米軍基地負担軽減の問題で「全国知事会で応分負担を議論すべき」「普天間を負担する覚悟がある」と田原氏に、府知事として言わされた。しかし、府庁にいたら、できない発言だ。この「大阪が普天間の負担を引き受ける」発言は「日本」幹事長・「大阪」知事をゴッチャにして象徴的である!

橋下会長の「竹島・日韓共同管理―国際司法裁判所共同提訴」も話題だ。しかし、この話は橋下氏が“特使”になって、世界中を説得するほどの大きな話、構想を出したからあとは外務官僚の仕事という部類ではない。現実のインターナショナルの世界に対して、トランスナショナルな考え方で対処するからである。憲法第九条を信奉する非武装平和論者よりも更に、空想的に思える。

頭に浮かぶのは、第二次大戦“直後”の独仏中心の「石炭鉄鉱共同体」である。これは独を抑え、三度、独に欧州大戦を起こさせず、更に経済的利得も得る構想であった。竹島、尖閣諸島はそのタイミングではなく、バイタルインタレストも関わらない。また、共同管理を監視する国際機構も必要になりそうだ。

当然、「維新八策」に似て、漠然としており、全体の繋がりも見えてこない。大阪維新の会の活動と全くかけ離れた内容になっている。翻って考えれば、「大阪」は地域政党で、全国レベルの「日本」から独立が大原則にはずである。先に述べた松井発言程度であれば「覚悟を示しただけ」との言い訳で、「トラストミー」の鳩山発言並みと揶揄される程度で、今は済む。しかし、現実の国政で起きたら、取り返しがつかない。従って、「大阪」と「日本」は分離すべきである。

「維新八策」に道州制もある。日本、各道州はそれぞれ独立の政治領域に対して責任をもつ。日本は大阪市長による操作の対象ではない。橋下氏は衆院選に立候補が必要だ。法皇院政が民主主義下で蘇るような政治体制はゴメンだ。

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戦後日本の復興を担う首相は「肉体政治」で決まる~吉田茂 in『負けて、勝つ』~

2012年09月22日 | 政治
戦後初の総選挙に自由党党首として勝利し、首相の座を射止めたはずの鳩山一郎。しかし、その瞬間にGHQから戦犯として追放される。軍の後押しで戦意を昂揚した、日和見主義者としての戦前の言動を外国人記者会見で追及された。
鳩山一郎と吉田茂との夜の料亭での会合。ここは密約説、吉田に首相を委ねて戻ったら鳩山を首相にする…、を実質的に取り交わした場面だろう。描写は、吉田が帰るのを古島一雄?(『宰相吉田茂』から類推)が足にしがみついて止めた。場面が変わって、吉田は「やめたいときはやめる」などの留保を付けて首相を引き受けた。この間、丸山真男が論じた「肉体政治」が鮮やかに描写されている!

丸山は言う。「…道徳なり社会規範が既知の関係のみで通用すること、既知の関係における義理堅さと未知の関係における破廉恥的なふるまいとが共存すること、…」、これを「関係を含んだ人間関係」と表現し、感性的=自然的所与から精神的次元の独立を妨げる日本的な肉感的風土を鋭く批判した(「肉体文学から肉体政治まで」『現代政治の思想と行動』(岩波)所収、初出(1949))。1970年頃に出された『甘えの構造』(土居健郎)、『成熟と喪失』(江藤淳)は、この肉感的風土における“父母―子ども”の関係に焦点を当て、同様の問題意識で論じている。

閑話休題。第2回のハイライト!と言いたくなるが、そうだろうか?その一方で、新憲法案の天皇の地位、象徴性について、吉田は日本政府の見解をマッカーサーに申し入れる場面がある。この場面では、長期にわたり日本の政治状況を規定した大問題が話されたのであるから、本来、料亭政治よりは重要なはずである。しかし、単に吉田が申し入れ、マッカーサーがはね除けた簡単な描写だ。現実に何が話されたのか、記録、手記等が残っているのか、筆者は調べていないが。

ドラマを構成する以上は、状況に合わせて山場を構成する想像力を必要とする。「外交で勝った」という吉田の言葉を、単なる負け惜しみの修辞でないと表現したいならば、である。先の論考で丸山は、ジャン・コクトーの映画「恐るべき親達」を見た感想を「親子や兄弟の間でまきちらされる言葉が実にトリヴィアルな問答まで一つ一つピチピチとした生気を湛えているのには圧倒されたね」と述べ、社交的精神が欧米社会とその政治の基盤にあることを示唆した。
三島由紀夫の戯曲に匹敵させることは望むべくもないが、「肉体政治」の描写を超えなければ、すなわち、吉田とマッカーサーの間にある「政治的精神」を“劇”として表現できなければ、このドラマは失敗作になるだろう。

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尖閣諸島問題と占領国側の義務~領土を守る意識が希薄な日本~

2012年09月19日 | 政治
尖閣諸島の国有化の報道を契機に広がった中国でのデモは百都市以上にものぼっている。また、中国の監視船も10台以上、尖閣の近辺に出没しているとの報道だ。誤解が誤解を生み、煽るメデイアと乗る不満分子によって誰もが予測しなかった展開になった。外交は油断すると、一寸先は闇の世界に入る。

領土問題に対する一貫性ある非対称的対応」(2012年08月18日)では、占領国と被占領国との非対称性を述べ、占領国は問題・話題になるのを避け、被占領国は占領国の非を訴えれば良いこと、領土の管理は占領国の義務、相互の誤解により実際の紛争になるのは周囲の国にとって迷惑になる、と書いた。

それとは逆に、現状は一気に問題が全世界へ広まり、領土問題に限って言えば、日本の立場を著しく窮屈にした。パネッタ米国防長官は、安保条約の適用を前提とするが、尖閣諸島の領有権に関しては従来通り中立との立場を強調し、中国を宥める立場に立った。アジア諸国では、先ず中国と同様に領有権を主張する台湾が旗幟を鮮明にせざるを得ない立場になる。また、報道によれば、ロシア、韓国が東北アジアの安定を懸念し、フィリピン、ベトナムは中国との領土問題を抱え、我がことのように考えざるを得なくなっている。

更に、「領土問題における“国家”と“社会”」(2012年08月25日)において、国民に国家と一体になって行動をけしかける佐藤優氏を厳しく批判し、社会(国民)が行うべきは人間関係のネットワークを世界に拡大すること、と主張した。

この問題は石原都知事の尖閣諸島買い取りに根がある。それに加え、才気はあるが、権力にへつらい気味の猪瀬副知事が募金を集め出した。最悪である!これは佐藤と同じ発想である。国家の問題に国民を引きずり込む形にしたからだ。結局、野田政権は国有化によって事態の沈静化を図ったが、国家間交渉の専門家である外務省は、中国の経済等に起因する燃え易い状況を具体的に理解できなかった。

これまでの経緯で筆者に印象深いのは、領土を実行支配している日本国家に、それを守ることが国際的な義務であるという意識が希薄なことである。実はこの意識が、北朝鮮による日本人拉致を許したことと同じ根にあるように思える。


     
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『負けて、勝つ』の間にあるもの~マッカーサー・戦後改革の上に立つ吉田茂~

2012年09月17日 | 現代史
今頃何でNHKが吉田茂を取り上げるのか?我が国を鼓舞するときに使われるネタは「明治維新・日露戦争」と決まっている。しかし、橋下徹・大阪市長が率いる「維新の会」が国政への進出を決めた今、イシン、イシンと言えないので、急遽!代替が必要になったからか?『負けて、勝つ』の第1回をみながら、穿った見方が先ず頭に浮かんだ。

実は正月、40年振りに高坂正堯『宰相吉田茂論』を読み、以下の記事を書いた。
宰相吉田茂の残したもの~哲学と現実の間~』(2012/1/9)。ドラマの表題「負けて、勝つ」は高坂が強調した吉田の言葉「戦争で負けても外交で勝った歴史はある」から取ったものだ。

しかし、戦後改革の主役はまぎれもなく、マッカーサーであって、日本人ではない。それは、第2回の憲法制定時の経緯に示される。上から、横からの民主主義に代表される“奇妙な革命”は占領軍の絶大な権威によってのみ可能であった。その基盤の上に、高坂の表現を借りれば、吉田の『商人的国際政治観』が展開されたのだ。その意味で吉田の言葉は負け惜しみを含んでいる。

「すべてを失った終戦後、日本の命運は一人の男に託された―誇りを失わず日本を再生に導いた男・吉田茂の激動の日々!」とは、ドラマのキャッチコピーである。しかし、正確に言えば、「すべてを失った終戦後、マッカーサー革命によって“復興の基盤”が作られた、日本の命運は…」になるはずではないか?この欠落したNHK史観のなかに日本の今の混迷の根幹が潜んでいるならば…。

マッカーサーは、日本の政治家に意思決定の意識が欠落していることを冷ややかに指摘している。それは単なる史実として描かれているだけで、作者・坂元裕二と制作者集団が自覚的に表現している様子は窺われない。結局、“復興の基盤”の最大の問題、憲法制定は、天皇の地位のみに焦点が当てられる。

吉田は、その後の復興の仕事において成果をあげ、外交で勝ったとうそぶいた。しかし、戦争は「国家間の総力戦」であり、無条件降伏もあり得る。一方、外交は「国家間の関係の調整」になり、限定的な妥協の世界である。この言葉の綾をどのようにドラマは表現していくのだろうか。

        
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根無し草化する維新の会~全国のオポチュニストの集まり?~

2012年09月14日 | 国内政治
大阪維新の会は、うやむやのうちに国会議員を入れて全国政党になった。政策の曖昧さも含めて矛盾に遭遇しながら進むだろう。「One大阪」とは言い得て妙であった。矛盾があっても、大阪という一地方が一つの方向へ進むという意思を表現しているように読めるからだ。

地域の課題を掲げているうちは、具体的で有り、その進む処、先ずは行財政改革へ収斂していくことは常識的である。しかし、そこからどう進むのか、これは地方自治体政府だけでコントロールできる問題ではない。世界の中の都市間競争をみても、国の政策、経済主体の動向、人口の集中等が重なって活動が同期していくのだ。それが「大阪都構想」の核心にある考え方だ。

「One大阪」があって、その中で大阪市が解体され、特別区に編成変えするのが第一歩であり、次に日本の中で第2の都として大阪が認知され、神戸、京都を含めて“第2都圏”が形成され、実質的な関西州へ進む必要があるのだ。

しかし、橋下市長の大飯原発再開時のエネルギー問題に対する態度のふらつき、即ち、内部のアドバイザーを抑えきれないリーダーシップの揺らぎは、経済界の不信感を増幅させた。それと相まって、シャープ、パナソニックに代表される関西系の大企業の凋落は「One大阪」の基盤を揺るがす状況になっている。

この状況の打開にあたって、鋭い政治感覚をもつ橋下市長がターゲットの選んだのが、既存の政治勢力とその基盤となる政治機構であった。元来、法律家であり、大阪市長になってからもトップ指示、罰則適用、条例制定等により、職員の行動を制御している。その戯画的な様相が「君が代に対する唇チェック」である。

有効な支配を継続する分岐点-制度型/機構型』(2012/5/5)
この論考において、機構型ではなく、制度型への移行を提案していたが、権力を直接的に使用する発想は免れようがなく現在に至っているようだ。

結局、政治機構改革(維新八策)を掲げ、日本維新の会を設立し、橋下人気を日本の政治へ投げかけ、大阪都問題も一気に解決を図る方法を選んだのだ。しかし、土着性に基盤を置いた維新の会が一気に空中戦に移り、根無し草化したことも確かだ。政策も憲法改正以下、政策が網羅的に並べられ、方向性も人それぞれだろう。全国各地に点在するオポチュニストの集まりになるのだろうか。


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柔構造社会における存在証明~永井陽之助語録2

2012年09月09日 | 永井陽之助
戦後日本の若年層の自殺率は、1959年ないし1960年を転機として質的に変化し、いわゆるアジア型からヨーロッパ型に移り始めたといわれる。…これは、日本経済の復興と、ゆたかな社会の成立を意味する象徴的事件であるばかりではなく、自己主張のつよい、あたらしい価値感覚や態度を身につけた若い世代が出現し、旧時代とは異なった文化(若者文化)を形成し始めたことを意味しているようにおもわれる。とくに、1967,8年ごろ、戦後ベビー・ブームで生まれた世代が大量に大学を占拠するにつれて、大学の空気も一変してきた。…これは日本のことだけでなく、また、「大学」の問題にかぎらない。1967,8年を変わり目として、世界は何かが変わったのだ。…

社会における、都市と農村、旧世代と新世代、知識・情報の生産と配分、資本の生産・蓄積と消費など、従来存在していた、ある種の精妙なバランスがどこかでくずれ、狂い始めた。自然環境の破壊だけではなく、この社会生態系の均衡破壊は、50年代から60年代にかけての、狂気じみた技術革新と、高度経済成長、情報化社会のもたらした、偶発革命に由来する。エリック・エリクソンのいう、ヒストリカルディスロケーション (historical dislocation)と、そこでのアイデンティティの危機感は、現代人に共通の日常感覚となった。

…ハンナ・アーレント女史がruled by nobody とよんだ、顔のない、のっぺらぼうの、奇妙な管理社会の非人格的支配。すべてのものは、何らかのマス・メディアを通じて情報化されることによって、ヴィジブルな社会的存在となりうるが、そのことによって、自己が空虚な、実体のない存在となっていく世界。こういう虚実の交錯する世界で、われわれの存在証明はいかにして可能だろうか。おそらく、この問いのなかに、現代の狂気と暴力の深淵がよこたわっているようにおもわれる。

…“柔構造”社会という語は、こうした私の、いわくいいがたい存在感覚を言葉で表現しようとした造語であり、…当時、新装なったばかりの、霞ヶ関ビルの36階がくっきりと浮かんでいた。“柔構造”社会という語を思いついたのはそのときである。この語をおもいつくと、いままでバラバラだった想念が、しだいに明確な形をとってまとまるように思われた。

『あとがき』「柔構造社会と暴力」P232,1971中央公論社(初出 同左)

「筆者コメント」
最後の“柔構造”の思いつきが永井氏特有の発想のようで面白い。

         
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現代政治における権力と心理の相互作用~永井陽之助 語録1

2012年09月08日 | 永井陽之助
資本主義の発展は、各生活領域に錯綜とした利害の分化をうながし、その利害の調整を国家権力にまつ問題はますます増加の一途をたどっている。そのうえ、テクノロジーの発達にともなって、様々なシンボルを操作し、大衆を一挙に把握しうる装置や技術が異常に発達した結果、政治権力は著しくその浸透力と機動性を増大し、傍若無人にどこへでも浸入しうるようになった。…

政治権力のインパクトが増大したということは、他面においてその圧力に触発された、もろもろの反応が巨大な政治的エネルギーとして逆に政治の世界へ動員されることを意味する。

あたかも極微の世界における原子構造の破壊から恐るべき物質的エネルギーが放出されたように、“人間心理の外殻を破って浸透する権力は、逆にその深層に潜むエネルギーを政治の世界へと解放するに至った。

こうして、権力と心理は相互に媒介しあい、権力の安定は心理に依存し、心理の安定もまた権力の安定を前提とするに至った。”

『政治を動かすもの』「政治意識の研究」P1,1970岩波書店(初出1955)

「筆者コメント」
処女論文に示された永井の現代政治社会に対する基本的認識である。このブログも、その表題を戴いている。

何故、私たちは日々のニュースに一喜一憂し、批判し、怒り、…ツイッターは罵詈雑言の山になるのだろうか?「原発推進派を殺す」と公言する入れ墨の女性が代表である官邸デモに、何故、唯々諾々と多くの人が参加するのだろうか?
半世紀以上も前の研究成果を今でも読む意味があることが、この状況と「権力と心理の相互作用」を示す永井の文章との比較から直感的に判るだろう。

原子構造を政治社会における心理的エネルギーの比喩に使ったのは、偶然ではあろうが、現時点の政治状況を暗示しているかのようだ。地震のショックに対して原発は制御棒が機能し、核分裂の連鎖作用は未然に防がれた。

あとは放射線の程度に沿って対応すべき問題が、マスメディア、ITメディアを媒介として政治問題化され、一気に大衆の深層に潜むエネルギーを解放したかに見える。これに対し、政治的リーダーシップの未熟さのみならず、経済・産業界のだらしのなさも露呈した。戦後日本は政治的英知(Political Wisdom)を有する指導者を育成するに至っていないのだ。

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横浜・川崎に跨がる首都圏ベッドタウンベルトの様相~統計・昼夜人口比率のからくり~

2012年09月01日 | 地方自治
昼夜人口比率は首都圏を考えるうえで、重要な指標の一つ。これまでは、2005年度版の国勢調査結果までであったが、ようやく最新2010年版の結果が横浜市統計局から公表された。

横浜市の昼夜人口比率が回復、林市長「企業誘致などの成果」』カナロコ 8/30

上記の新聞記事から横浜市が市長記者会見で発表したのを知り、政策局統計情報課の
横浜市統計ポータルサイト』に掲載されていることを確かめた。

同局は情報を積極的に公開しており、メルマガも配布され、筆者も親しんでいる。地味な仕事であるが、政治・行政の世界ではもっと活用されて良いのではとの感覚を持っている。もちろん、私たち住民も世の中の出来事を理解するうえで、大切なことであろう。

今回の昼夜人口比率を知るには、上記のサイト中で記者会見資料
平成22年国勢調査 従業地・通学地による人口・産業等集計結果 横浜市の概要」が簡便。

横浜市 人口(万人) 昼夜人口比率 夜人口―昼人口 就業者数 通学者数 
2005年  354.6    90.4     32.1    173.6万  19.3万
2010年  368.8    91.5     31.4    170.3万  19.1万
川崎市 人口(万人) 昼夜人口比率 夜人口―昼人口
2005年  132.6    87.1     17.5
2010年  142.5    89.5     15.0

結局、横浜、川崎両市の昼夜人口比率は前回比較で増加している。横浜市の人口増が4%、川崎市が7.5%であり人口流入が続く中、夜人口―昼人口の差は小さくなっているのが目立つ。横浜市の傾向について林市長は「積極的な企業誘致の成果。みなとみらい21(MM21)地区の開発や企業立地促進条例の制定などの成果が表れた。」と述べている。しかし、本当にそうだろうか?

ここで考えるのは65歳以上の老齢年齢者の増加である。当然、団塊世代の定年退職時期とも重なる。更に若者の就職難である。生活保護受給者も増えている。従って、その人たちが何もしないで横浜市にいれば、昼人口は増えるはずである。

改めて、資料を漁ってみると、65歳以上の人口は以下に示すように急激に増加している。就業者そのものが減少していることを確かだ。
 平成12年…13.9% 17年…16.9% 22年…20.1%

更に、「平成22年国勢調査 産業等集計結果 横浜市の概要」では、労働力人口が戦後初の減少、17年「183万人」に対して22年「180万人」と「3万人減」であり、完全失業者は「9万9千人」、戦後最多、と報告している。そこで上記の表に戻ると、横浜市の就業者数は「173.6万人」から「170.3万人」へ、通学者数は「19.3万人」から「19.1万人」へそれぞれ低下、当然、市内外の就業者数はそれぞれ約1.8万人、約1.2万人減少している。人口増加にも拘わらずである。見掛けの回復である。

従って、横浜市の昼夜人口比率が回復したのは「老齢化・若者の就職難・失業者の増大」によるものと推定される。「企業誘致などの成果」は含まれるが、数値的には陰に隠れている。林市長は行政当局の口当り良い説明に納得したのか、数字の意味を判っているのか、はなはだ心許ない。

更に続けて、市長は「100に近づけたい」と意欲を見せたが、東京への流出過剰は約38万人、現状を肯定し、リタイアが増えていけば、良いだけという情けないオチがつく。しかし、首都圏全体のダイナミズムからは、横浜市の昼夜人口比率が「100」に近づくこと自体に意味はない。それよりも危機意識の欠如に唖然とするだけだ。川崎市も同じ状況であろう。阿部市長の認識は如何?

首都圏の経済・社会活動は市町村都道府県などの行政の範疇を超えていることは、企業人としての林氏は人一倍判っているはずだ。官僚機構の御輿に載っているだけでなく、そろそろ政治家としての意思を表明する必要がある。「大都市制度」に対する見解も、中田前市長時代から変わっていない。しかし、前市長は「大阪市解体・区独立」の旗印の下、橋下市長の特別顧問として活動している。

これが政治の世界の皮肉な巡り合わせとしても、問題は横浜市役所の権限ではなく、住民自治とそれに基づく生活こそが市政の基盤にあるはずだ。

        
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