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散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

福田・川崎市長、中学校完全給食実施へ~追随して見解を変える教育委員会

2013年11月30日 | 地方自治
昨日の記事では福田市長の施政方針の総論を紹介した。直ぐに、各論も動き出した。「待機児童問題」と「中学校完全給食実施」の二つで市長をトップとしたプロジェクトが発足した。意気込みが伝わってくる。

新聞報道では、教育委は「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた、とある。決めたのは市長で無かったのか?そういえば、最近、以下の報道に接した。下図のように、教育行政の決定権限を現状の教育委員会から首長へ移す構案を「中央教育審議会」が検討している。
 
 「NHKのHP」より

現状は教育委員を議会の同意を得て首長が任命する。しかし、教育委員会は、
 1)政治的中立性の確保
 2)継続性・安定性の確保
 3)地域住民の意向を反映
以上の理由によって、首長から独立した行政委員会になっている。

しかし、教育委員会の形骸化が指摘されているのも事実である。従って、上図右の「構想」が出されている。これに対して、首長の権限が強くなり過ぎ政治的中立が保たれないとの指摘もある。

今回の川崎市教育委員会の決定は以下の様に報道されている。
「川崎市教育委員会は29日までに、主食、おかず、牛乳がそろった「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた。市長も同日…「中学校給食推進会議」を設置することを発表。」

市教委が策定した「市立中学校給食の基本方針」では、完全給食を提供することで、食育の充実が図られることや、育ち盛りの生徒にとって栄養バランスがあり、安全・安心で温かい食事を取ることができると説明。「実施することが望ましいとの結論を得た」としている。

しかし、市教委の今までの見解はどうだったか。市議会ではH23/3/16に「中学校完全給食を求める決議」を採択している。更に、その後、同じ趣旨の陳情が2件提出され、総務委でH24/1/20及びH25/6/14にそれぞれ審査されている。

この時の教育委員会の見解は共に全く同じで、次の様になっている。
「本市の中学校の昼食は家庭からの弁当を基本…思春期を迎える中学生にとって、家族とのコミュニケーションの契機となる…発達段階から、個人の嗜好や食事量に違いがある…自ら食べるものを判断し、選択する力を養う…。その上で、弁当を持参できないときの補助としてランチサービス事業を実施…」

これに対して議員からは「議会は決議している。それを踏まえて教育委員が議論を行っていないというのでは話にならない。持ち帰って、協議で諮ること…」との発言があり、結局、陳情は継続審査で終わっている。

阿部前市長が先日の市長選挙の前後の記者会見でも明らかにしているように、弁当は阿部氏の生活体験からくる持論(出来るだけ生徒が作る)であった。市教委は、これまで阿部氏の考え方に同調し、今回の福田新市長の方針の給食実施を受けて、見解を変えたのは明らかである。

これでは、図で示された「構想」と全く同じ事で、川崎市教育委の機構的形式は「現状」であるが、実態は「構想」であることを証明したようなものだ。即ち、官僚機構であって、思想性がなく、権力を持つ人間になびいているだけなのだ。

だが、翻って考えると、すべての教育行政に教育委員会が決定を下すのには無理がある。少なくとも教科に絞って首長からの独立性を保つ等のやり方に変え、それでも相当な専門性と見識を合わせ持たないとできないが、実態に即した機能を設定すべきである。

      
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福田・川崎市長が所信表明~直ちに、市のHPに内容紹介

2013年11月29日 | 地方自治
本日、市議会において福田・川崎市長が就任初の所信表明演説を行った。早速、市のHP上に掲載されている。この姿勢、阿部前市長にはないものだ。

これまでもFB上で政治活動だけでなく、私的なことも紹介している。必ずしも選挙を考えてことではないだろう。明るく、開放的な雰囲気は本人の資質の反映だ。但し、前任者を意識しての振る舞いもプラスして含まれることも確かだ。

全体構成は以下になる。
1 歴史、時代認識 2 将来ビジョン 3 市政運営の基本姿勢
4 基本政策の方向性
 (1)子育て環境 (2)教育改革 (3)安心いきいき社会
 (4)都市整備  (5)防災対策 (6)市役所の改革
5 首都圏や世界の視点からの新たな産業都市
 (1)首都圏全体の機能分担
 (2)世界と競うまち
6 今後の計画行政のあり方 7 結び

この辺も、当たり前だが、前任者との対比が鮮やかだ。
1)基本政策が身近な「福祉祉政策」と「社会インフラ整備」とに分かれる。
2)また、財政問題については触れていない。
3)更に風呂敷を大きく広げて産業都市を位置づける。
4)一方で、「区役所の改革」を住民自治の立場で捉える。

福田市長の場合は、市民にとって身近な問題から始め、おそらく地域の課題が間に入り、インフラ及び産業政策になる。これは構造的な政策体系を成す。一方、阿部前市長の場合は、市政運営の柱に「行財政改革」をおき、政策は「人間都市」「安全快適都市」「元気都市」「安定持続都市」「オンリーワン都市」が並列的に配置されており、羅列的な政策体系である。

阿部市政の最終段階では、「産業政策」及び「都市拠点の整備」がクローズアップされた感がある。臨海地域での特区指定あるは武蔵小杉地区の超高層マンション群がマスメディアにも取り上げられることになり、後者は地価が上がることも話題となった。これは「光」の部分である。

しかし、その一方で、待機児童問題は横浜市のゼロ達成の大ニュースの前に、悪例として喧伝され、小学校では生徒数増加でプレハブ校舎を新たに設置する学校もでてきた。これが「影」の部分である。

福田氏は市民に身近な政策と産業・インフラ政策とのバランスを取るように、構造的な政策体系を作ったように思われる。そこで、世界へまで、産業政策の枠組を拡大し、スケールを広げることにより、政策を意図的に曖昧なものにしているかのようだ。実態は阿部市政を越えるものではない。

財政問題に触れなかったのは、阿部市政の成果を認め、その踏襲との意図であろう。しかし、福祉政策の展開にはリソースが必要であり、それによって内容が制約される。来年度予算編成に注目する所以である。

最後に、行政改革は住民自治の一環として推進するようなので、是非期待したい。阿部市政では区民会議を展開してきたが、市議会のデッドコピーのような規定のなかで運営が行われているようであり、市民からは役所の審議会にようにみられている。ここも阿部カラーを打ち破る必要がある。






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道徳の授業は万人に必要か~「心」へ還元・閉鎖される短絡反応

2013年11月28日 | 教育
文科省の「道徳教育の充実に関する懇談会」の報告骨子案は『道徳教育は、万人に必須、教育活動の根本に据えるべき、諸外国の教育でも大切にされている。』しかし、『道徳教育は機能していないとの指摘もある』と述べる。

だれでも必要なことは、睡眠・食事・排泄に始まって個人・家庭・社会で身につけるものであるが、学校の授業として特別に身につけるのはどんなものだろうか。俗に「読み書きソロバン」と言われていることがそれに相当するだろう。では、「道徳」もその範疇だろうか?

上記の骨子案には「道徳教育は万人に必須」と述べていた。しかし、仮にそうだとしても、学校での「道徳の授業」が必要であると言えるわけでもない。「教育=学校の授業」ではないのだ。その点、骨子案は最初から教育を学校の授業にすり替えて議論している。文科省の懇談会であるから官僚主導であることは間違いないが。

文科省が道徳教育にしゃしゃり出る理由として、諸外国には宗教教育が広く道徳教育を担っているが、日本はそれがなく、学校教育が代替しているとの説だ。例えば、「トムソーヤの冒険」で教会の日曜学校へ行く場面を想い出した。

しかし、そこでは近くの人たちが集まって祈りを捧げるのであって、牧師さんの説教の一つもあるかもしれないが、学校の授業が代替機能を果たすのか、いささか疑問ではあるのだ。

宗教は個人と神、あるいは信者による集団での一体感、また、キリスト教の教会の様に、音楽、建築、絵画を含めて全体の醸し出す雰囲気のなかでの宗教感覚、これらのものが基盤にあり、それが生活基盤の一部をなして、その教義の中に道徳的なるものが含まれる。

これが無味乾燥な学校の授業で代替できるかというと疑問とならざるを得ない。翻って考えると『(学校での授業としての)道徳教育は機能していない』とも言われて、課題として『道徳の時間に何を学んだのかが印象に残るものになっていない』とも報告していることを、今更、どうしようとするのだ。

骨子案では「心のノート」を全面改訂する案が提起されており、用意の良いことに文科省の官僚はその案も一例として資料配付する準備の良さだ。中味を見たが、特に論評もない。それは「心」という言葉に象徴されているからだ。

「道徳=心の問題」であり、個人・家族・社会の問題がすべて「心」に還元され、そこで周囲から閉鎖されるのだ。戦前の「修身」はそれでも「身」という実体があった。それは「自身を修める」ことを意味する。個々の人間に戻る。

しかし、「心」には個の実体が感じられない。「心を一つにして」ということは、閉鎖的な集団の中にいる人々がすべて溶け合い、個々の区別ができない状態になることだ。それは空気(山本七平)が支配する状態とも言える。「心のノート」を聖書のように読ませようというのが、文科官僚、それを取り巻く有識者、保守右派の政治家たちの狙いなのだ。

価値の多様化が進む現在、「心を一つにする」道徳教育は時代錯誤との指摘をする人も多い。しかし、それは道徳教育を推進しようとする人たちにとっては逆なのだ。価値が多様化するが故に、自らの存在基盤を犯されると感じているのだ。

しかし、問題は自らの価値を説得によって広めようとするのではなく、「万人に必須」として公権力を用い、学校の授業で教え込もうとする姿勢だ。この方法は短絡した近道反応と言うべきことであって、より良い社会を形成するアプローチとしては間違っているのだ。時間は掛かるが、説得と納得が必須だ。

      
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ハンナ・アーレント(4)~アイヒマンとは、映画鑑賞の手引

2013年11月26日 | 読書
岩波ホールで上映中の映画を鑑賞する前に、アーレントの本を振り返ったのだが、話がそこまで到達せずに、時間が経った。振り出しに戻って、「イェルサレムのアイヒマン」のアーレント自身による『あとがき』に触れる。
  
これは見開き、上から「ハンナ・アーレント」「大久保和郎訳」「エルサレムのアイヒマン」「悪の陳腐さに関する報告」「みすず書房」と書いてある。因みに1969/9刊行。下の写真はすべてアイヒマン、左から軍人時代、南米在住、エルサレム在だ。


副題の「悪の陳腐さに関する報告」に注目する。この裏に「A Report On the Banality of Evil」とある。これはあくまで報告なのだ。悪の陳腐さを論じたというよりも、アイヒマンという人間に顕著にみられたものを報告したのだ。

「私が悪の陳腐さをについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中、誰も目をそむける事ができなかった或る不思議な事実に触れているときである。」とアーレントは言う。

「アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。しかも<悪人になって見せよう>というリチャード三世の決心ほど彼に無縁のものはなかっただろう。自分の昇進にはおそろしく熱心だったという他に彼には動機もなかったのだ。そしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。…彼は自分のしていることが全然わかっていなかったのだ。」

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性―これは愚かさとは決して同じではないー、それが、彼があの時代の最大の犯罪者の一人となる素因だった。このことが<陳腐>であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。」これがアーレントによるアイヒマンの素描だ。

「無思想性と悪との奇妙な関連」とアーレントが言うとき、出版される前からの論争が、騒ぎだけが大きく、噛み合わないものであったことは容易に理解できる。『あとがき』には、抗議運動の対象になり、世論操作も動員され、論争のほうが運動の雑音の中に飲み込まれたとも言う。それは<克服されていない過去>であることを鮮やかに示している。

映画「ハンナ・アーレント」が「報告」それ自体の意味と騒ぎの中味とをどのように織り交ぜて描くのか興味深い処である。  


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ハンナ・アーレント(3)~「革命論」についての永井陽之助のコメント

2013年11月25日 | 永井陽之助
「政治的人間」(永井編 平凡社1968)に取り上げられたアーレントの著作は「革命について」である。「解説 政治的人間」ではその解説をする前に「全体主義の起源」「人間の条件」を説明する必要があった。その意味で“革命”を理解するには、その前の二つの主著を読むことが必要なのだ。

アーレントは「革命論」の中で、フランス革命とアメリカ革命を対比させ、前者の失敗と後者の成功とを浮き彫りにする。

アメリカ革命は市民の生命・自由・財産権などの消極的な保護を制度化しただけではなく、積極的に市民が政治に参加するという「積極的な自由」を保障した。公共の領域で、市民が討論と決定に参加するような共和国を創り出そうとする処に革命の使命を見たのだ。それは何よりも先ず、“政治革命”であった。

一方、フランス革命は、市民の政治参加への関心を失って、社会問題、即ち、貧困の解決に国家権力を使用するという誘惑に陥った。そこで、「政治的手段によって、貧窮から人類を解放する試みほど、時代遅れのもの、不毛で、危険なものはない。」との強い言葉になる。

永井教授は「大量貧困の除去が、長期的には技術革新による経済成長以外にはあり得ない。…その意味でアーレント女史の主張に一面の真理を認めるにしても…大量飢餓と貧困の存在する現代において、例外的に幸運な環境で成功したアメリカ革命をモデルにその窮状から脱却できるのか、疑問である。」と述べる。

現実は、多くの革命家たちが貧困から脱出する近道として、政治権力に訴えたのだ。しかし、教授は次の様にアーレントを評価する。

「だが、核兵器の出現によって、戦争を正当化する理由付けが一切不可能になった以上、逆に大国間の恐怖の均衡が、権力政治の手詰まりを生み出すに至った。そのため、暴力行使の内政化を生み、過去二十世紀を通じてよりも、もっと革命が重大なものになるという、女史の鋭い洞察とやや悲観的な危機意識のなかに、「革命について」の真価があるように思われる。」

「解説 政治的人間」のエピグラムにも「今日、世界を二分し、そこに多くが賭けられているコンテストにおいて、おそらく革命を理解するものが勝利を収めるだろう。」が掲げられている。

現実の世界は、ロシア革命、中国革命からアジア・アフリカ諸国の独立、そしてイスラム革命に移っている。アメリカもまた、建国の理念よりは覇権国家としての役割に徹しているかのようだ。しかし、その覇権も中国の台頭で揺るぎ始めているかに見える。国際的内戦の時代はどこまで続くのだろうか。

      






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ハンナ・アーレント(2)~「人間の条件」への永井陽之助のコメント

2013年11月24日 | 永井陽之助
ハンナ・アーレントのもう一つの主著「人間の条件」に関しても永井教授は「解説 政治的人間」(「柔構造社会と暴力」所収(中央公論社1971))の中で紹介している。ここまで書いたときに、志水速雄氏の翻訳(中央公論社1973)の「腰帯」を想い起こした。とっておいたのだ!

 「人間の条件」の腰帯(筆者のノートから)

「眼から鱗が落ちる、というのが、かつて私がH・アーレント女史の本書を読んだときの実感だった…」という言葉は大学4年生での「総合講義第二」という十人程度のゼミ形式の授業においても、聞いた覚えのある言葉だ。

この腰帯よりも、もう少し詳しく「政治的人間」の中では書いてある。先ず、アーレントの政治理論家としての位置づけだ。「…女史の基本的な政治哲学が、…政治の復権を主張した数少ない思想を代表している…」

続いて、アーレントの政治哲学が体系的に展開されている「人間の条件」は「…女性のみにゆるされる繊細、鋭敏な感受性で現代工業社会の疎外状況を解剖し、その止揚をさぐるユニークな思想…」と評する。

「人間の条件」でアーレントは人間行動を労働、仕事、活動の三つのカテゴリに分ける。そして「第三の『活動』こそは、人間的営みの最高の次元として公共の善をそこに見出すものである。」「政治、芸術、学問などの公共の領域が属する。」

ところが、「近代社会になって、マルクスが他のブルジョワ思想家と同様に、労働を不当に尊重し、社会問題の解決のみが人間生活のすべてであるかのような錯覚に陥った。」

「永遠と不死の観念に導かれた一大記念碑を打ち立てる政治、芸術の活動領域の重要性が忘却された。」「女史は、この点こそ近代社会の、真の疎外状況の源泉を見出すのである。」

「労働を不当に尊重し」「活動領域の重要性を忘却する」ことが「真の疎外状況の源泉」との説が、激動のヨーロッパを生き抜き、政治の復権を主張する人物から発せられたことに驚きを禁じ得なかった。

ともあれ、「働かざる者、喰うべからず」との言葉がとの発想を、押し付けがましいと思うことはあっても、何となくだが、疑うことはなかったからだ。社会認識の幅を広げられたという意味で、ごく僅かな文章ではあったが得る処が大きかったことは確かだ。

      
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ハンナ・アーレント(1)~「全体主義の起源」への永井陽之助のコメント

2013年11月23日 | 永井陽之助
タイトルが「ハンナ・アーレント」で映画が作られたのには驚きであった。偶々、パンフレットが手元に届いたからわかったのであるが。どうして届いたのか、忘れてしまったが、それを見たとたん、必ずこの映画を観ようと決めた。岩波ホールで12/15までだ。

 岩波ホール「ハンナ・アーレント」

映画の中味は「エルサレムのアイヒマン」(大久保和郎訳(みすず書房)1969)が巻き起こした激しい論争を巡ってのもので、著者が本のエピローグでも触れ、訳者も出版された論争集に触れている。

それにしても、日本では同じ様な例があるのだろうか、と考えると、日本と欧米との知識人のあり方、論争に対する評価などの違いが鮮やかに示されていることになる。しかし、筆者がアーレントの著作を読み始めた時のことを考えると、別な感想が浮かんでくる。

大学紛争による学生ストは筆者の2年次に始まり、3年次の夏まで続いた。2年次に履修していた永井陽之助教授の政治学はリースマン「政治について」(永井訳 みすず書房)のレポート提出が求められ、それほど理解したとも思えないが、問題意識には強く関心を持ったことは確かだった。また、教授の大学紛争に関連した論文も読み興味を持った。
 『序にかえてー追悼の辞~永井政治学に学ぶ 110502』

他の著作を探した処、「現代人の思想」というアンソロジーのシリーズに「政治的人間」(永井編 平凡社1968)があり、教授も「解説 政治的人間」を書いていた。判るかな?と少し迷ったが、図書館から借りて(後で買ったが)、読んでみた。

アンソロジーのトップにアーレント「革命について」が取り上げられ、「解説」でアーレントの思想を丁寧に紹介していた。丁度同じ時期に、志水速雄氏が同じ本を訳している。アーレントを日本に紹介したのは、このふたりが嚆矢であろう。教授の次の言葉は、大学紛争で焙り出されている革新系知識人の革命に対するロマンティックな思い入れを厳しく批判するものであった。

「1950年を境に、西洋知識人に衝撃的な影響を与えた三冊の書物が、相前後して出版された。D・リースマン『孤独な群衆』(1950年)、J・オーウェル『1984年』(1949年)、H.アーレント『全体主義の起源』(1951年)がそれである。わが国では、幸か不幸か、後の二冊は、わが国知識人社会で殆ど無視された。」

「…わが国知識人は…スターリン体制をナチ体制と同じ全体主義の語で一括することに、大きなためらいがあり、今日でも依然そうである。フルシショフのスターリン批判とハンガリ事件の、わが国知識人に与えたショックの大きさは、そうした認識のズレを明白に露呈していた。」

確かに、オーウェルは受験英語でお目に掛かり、親しみがあるが、そのエッセイが本格的に紹介され論じられたことがあっただろうか。筆者の記憶に残っているのは旺文社の受験勉強番組の英語で「Shooting an Elephant」を読んだこと。象を撃ち、それが倒れるときの描写は印象深い。

また、アーレントは、この頃から翻訳が出されるようになり、「全体主義の起原」全3巻は聖アウグスティヌスの言葉「始まりが為されんがために人間は創られた」を最後に、1974年12月に第3巻が出版され、全体が終了した。

その頃は、過激派学生が1971年の「よど号事件」を“始まり”として、大学紛争から外に向けてテロ活動に走っていた時期になる。あそらく、アーレントの著作のインパクトは雑音にかき消されていたかもしれない。とんでもない始まりに、アーレントは何を考えただろうか。

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自然村秩序における明治日本の近代化~家制度による組織化

2013年11月22日 | 政治
衆院委員会(11/20)において「婚外子の遺産相続分を嫡出子と同等とする民法改正案」は可決され」、野党提案の「出生届に嫡出子か婚外子かの記載を義務付けた規定を削除する戸籍法改正案」は否決された(自民反対・公明賛成)。
 『与党内野党としての公明党131122』

自民党右派は「実」を捨てたが、「名」を残し、政治的には満足したように思われる。しかし、この問題は日本における「家制度」について深い意見対立が依然として残されていることを示している。何故か?

それは「自然村」秩序という言葉を中心概念に説明される(神島二郎「近代日本の精神構造」(P24、岩波書店1961)。自然村は江戸時代の村(ムラ)を想起させ、明治以降はに相当し、行政村(ソン)とは区別される。

自然村秩序は「アミニズム」「長老支配」「家主義」「身分制度」「自給自足」をキーワードとし、相互に関連して構成される。なお、「アミニズム」は「神道」、「家主義」は「家族主義」と表現されているが、神島の意を汲み、本稿では、書き換える。

家主義は一系型家族の家長に集中された権限を中心に形成された同族団に由来し、明治以降の近代国家建設においては、事実上できた小家族に擬制され、一方では、国家社会にも拡大転用され、天皇制イデオロギーの中核となる。

明治日本の近代化では、この秩序意識を基盤にして、機構(組織)としての法体系は西洋からの輸入という形態をとり、家父長国家を構成した。しかし、戦後の民主主義は、個人を社会の構成単位とすることを中心におき、自由、人権、平等を理念として成立し、小家族(世帯)もマイホーム主義として定着している。

但し、交通機関、インターネットが発達し、金融経済が実体経済を支配するかの様なグローバル化世界の中で、マイホーム主義だけで社会秩序(制度)を安定化することはできない。その意味で現代日本社会は人々の意識においても、状況化が激しいのだ。

今回の婚外子問題に対する自民党右派の言動から、私たちは、彼らが人々の価値観の変化に基づく意識の潮流を理解できず、自らの状況認識の枠組に対する不協和から心理的に逃れようとしているさまを見ることができる。

最高裁大法廷は、法律婚という制度自体が定着しているとしても「子にとって選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、権利を保障すべきだという考えが確立されている」とし、「嫡出子と婚外子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていた」と結論づけ、審理を各高裁に差し戻した。

また、判決分の中で、婚外子の出生数や離婚・再婚件数の増加など「婚姻、家族の在り方に対する国民意識の多様化が大きく進んだ」「諸外国が婚外子の相続格差を撤廃」「国内でも1996年に法制審議会が相続分の同等化を盛り込んだ改正要綱を答申していた」ことに言及した。

この最高裁判決の考え方の中で「選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されない」「子を個人として尊重し、権利を保障する」に対する正面からの議論は見当たらない。

個々の事情で摘出子に不満が残る場合を例に出しているだけだ。これは逆の場合も大いに考えられし、複数の摘出子のケースにおいても、言い出したらキリがないことになるだろう。また、婚姻共同体との言葉もあるが、父親が婚外子母子と生活する部分もあり、曖昧な言葉で法的な考え方には馴染まないだろう。

そこで「伝統を守る」とのスローガン的言葉にならざるを得ない。しかし、先にも述べた様に、機構としての法律は西洋の輸入であり、一方、残る「家主義」は戦前のイデオロギーそのものであって「個人の尊厳」からは、かけ離れている。

それでも、認識の枠組を変えられなければ、西洋からの輸入した近代的機構と近代以前の日本の農村社会生活のイメージを繋ぎ併せるというアクロバットを演じることになる。それが例えば、夫婦同姓への固執であり、現在、通称(婚姻以前の苗字)と本名(婚姻後の苗字)の使い分けにも表れている。
おかしなことをいつまで続けるのだろうか?任意に選べば良いのではないか。

      

      
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与党内野党としての公明党~野党4党提出の「戸籍法」改正に賛成

2013年11月21日 | 政治
報道によれば、衆院法務委が開かれ、結婚していない両親の子ども、いわゆる「婚外子」の遺産相続を「嫡出子」と同等にする民法の改正案が賛成多数で可決された。一方、民法と合わせて出生届の記載を見直す戸籍法改正(婚外子の記載をなくす)も野党4党から提出されたが、公明党は賛成したのに対して自民党は反対し、多数で否決された。

9月に最高裁が、婚外子の遺産相続を嫡出子の半分と定めた民法の規定を違憲と判断したことを受けたものだ。「婚外子」の遺産相続を「嫡出子」と同等にしたことから、戸籍法改正も可決されて当然だ。

しかし、自民党は反対した。違憲判決が出された際に、自民党の法務部会では「婚外子への格差をなくせば、法律で認める結婚制度が軽視されかねない」「伝統的な『夫婦』や『家族』が崩壊する」という意見が出され、また、高市早苗政調会長は「ものすごく悔しい」と発言したという。

一方、同じ与党の公明党が賛成したことが目立った。公明党は、記者団に対し「自民党と判断が分かれたが、民法や戸籍法という家族の価値観に関わる問題で考え方が違うことはある。それぞれの党の立場を明らかにすることは議会制民主主義のなかで時にはあると思うと述べている。

先の参院選挙後の記事で述べたが、公明党は“与党内野党”として自民の監視をすると共に、自ら掲げた政策を与党案に入れ込むように動いている。野党が再編論議で分裂するなかで、極めて有効な働きをしている。

参院選後の記事で次の様に述べた。山口公明党委員長は「ねじれ解消」を主張すると共に、公明党による「自民党監視」の必要性を強調する戦術をとった。これは、与党の中で野党的な機能を設定したことになる。即ち、安倍政権の反動的性格に対する不安感を持ちながら、消極的に支持する層に訴えたと思われる。」

「それが、公明党が頼りになる政党に見える理由であって、与党内野党としての公明党の躍進が理解できる。今後の動きは注目する必要がある。」
 『与党及び野党の中の「野党」 130730』

今回の戸籍法改正に賛成する公明党の態度は支持層の考え方を反映しているのだろう。公明党は、高度経済成長時代において日本の人口構造がかわる中で、共産党と共に都市のロアーミドルクラスを組織化したと言われている。それがある意味で「不動層」として社会の安定に役立っているように思われる。

現状の安倍政権は経済政策の推進で手一杯であり、自民党右派に対する親和的な政策はそれほど目立っていない。しかし、経済問題が落ち着くと共に旧来の右派的思考が頭をもたげてくるかも知れない。

それに対する抵抗勢力として機能する第一番手は公明党をおいて他にない。何故なら、野党の民主党、維新の会、みんなの党は、権力奪取を目指して急成長した時期があり、イデオロギー的には野合となっているからだ。また、それぞれの組織内に多くの機会主義者も抱えているように思える。

現状は、与党内野党に健全野党の機能を期待しよう。

      
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グローバル的金融抑圧の時代~「ゲームの規則」を構築できるか?

2013年11月19日 | 経済
経済雑誌「週刊DM誌」の今週号の表紙は「守る資産運用」「あなたの預金が危ない」と華々しい警告と勧誘で飾る。その心は、グローバル金融抑圧の時代のサバイバル術と云った処だろうか?以下の様に解説する。
 
「じわじわと物価が上昇し始め、来年4月の消費増税も決まった。デフレ時代には、預金は持っているだけで実質価値が増えた。今後インフレが進むとすれば、預金は逆に目減りするリスク資産となる。」

「だからといって、いきなり預金を投資に振り向けるのも、元本が減ってしまいそうで怖い。そんな読者のために、資産を減らさないことに重点を置いた、「守り」の資産運用術を伝授する。」

同じ経済雑誌でも「TK誌」よりは大衆的で、話題つくりにも長けているだろうか。しかし、ここは雑誌の比較が主題ではない。また、テーマの解説や論評を試みるつもりもない。何故、このようなテーマが、云われてみれば尤もなのだが、先駆け的に出てきたのか。それを考えてみることだ。

イエレン米連邦準備理事会次期議長は失業率の低下が十分でないとの理由で、金融緩和政策を続けると発言した。また、ドラギ欧州中央銀行総裁が金融緩和を決断した。一方、黒田日銀は着々と長期国債を買い込み、マネタリーベースを拡張し、長期国債の利率を抑え込み、実質金利をマイナス化して欧米の仲間入りする勢いだ。即ち、先進諸国はグローバル的に金融抑圧体制を持つことになる。

そこで私たちの認識はDM誌のPRに戻ることになる。昨日の記事で触れたように、先進諸国は金融抑圧というホテルに共にいる。チェックアウトはできるが、立ち去ることはできない。立ち去らずに何を為すか?それが問題だ。
 『金融政策、緩和から抑圧への道筋~131118』

この場合、各国の経済状況は、これまで以上に連動する。従って、一国の行動が全体に悪影響を及ぼすことはさせるという暗黙の「ゲームの規則」が共有化されるだろう。当然、具体的な政策にも、相互に意見の交換があるはずだ。例えば、日本には、債務超過の抑制、年金・医療の資金調達等の注文が付くだろう。

おそらく、少しずつ具体的な「ゲームの規則」を経験的につくりながら、全体の枠組を設定するようにし、その中で少しずつ金融抑圧を解いていくことが考えられる。逆説的に言えば、一国でも簡単には金融破綻をさせられないのだ。これはギリシャの例が実証している。

この場合、国内は政府・中銀が中心になり、銀行・企業に対する指導を強めていく筋書きができるかもしれない。そうなると、多くの資産家(大小関わらず)は自らがリスクを掛けてその資産を守らざるを得なくなる。今や、複雑で、やっかいな時代に突入している。

      
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