昨日の記事では福田市長の施政方針の総論を紹介した。直ぐに、各論も動き出した。「待機児童問題」と「中学校完全給食実施」の二つで市長をトップとしたプロジェクトが発足した。意気込みが伝わってくる。
新聞報道では、教育委は「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた、とある。決めたのは市長で無かったのか?そういえば、最近、以下の報道に接した。下図のように、教育行政の決定権限を現状の教育委員会から首長へ移す構案を「中央教育審議会」が検討している。
「NHKのHP」より
現状は教育委員を議会の同意を得て首長が任命する。しかし、教育委員会は、
1)政治的中立性の確保
2)継続性・安定性の確保
3)地域住民の意向を反映
以上の理由によって、首長から独立した行政委員会になっている。
しかし、教育委員会の形骸化が指摘されているのも事実である。従って、上図右の「構想」が出されている。これに対して、首長の権限が強くなり過ぎ政治的中立が保たれないとの指摘もある。
今回の川崎市教育委員会の決定は以下の様に報道されている。
「川崎市教育委員会は29日までに、主食、おかず、牛乳がそろった「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた。市長も同日…「中学校給食推進会議」を設置することを発表。」
市教委が策定した「市立中学校給食の基本方針」では、完全給食を提供することで、食育の充実が図られることや、育ち盛りの生徒にとって栄養バランスがあり、安全・安心で温かい食事を取ることができると説明。「実施することが望ましいとの結論を得た」としている。
しかし、市教委の今までの見解はどうだったか。市議会ではH23/3/16に「中学校完全給食を求める決議」を採択している。更に、その後、同じ趣旨の陳情が2件提出され、総務委でH24/1/20及びH25/6/14にそれぞれ審査されている。
この時の教育委員会の見解は共に全く同じで、次の様になっている。
「本市の中学校の昼食は家庭からの弁当を基本…思春期を迎える中学生にとって、家族とのコミュニケーションの契機となる…発達段階から、個人の嗜好や食事量に違いがある…自ら食べるものを判断し、選択する力を養う…。その上で、弁当を持参できないときの補助としてランチサービス事業を実施…」
これに対して議員からは「議会は決議している。それを踏まえて教育委員が議論を行っていないというのでは話にならない。持ち帰って、協議で諮ること…」との発言があり、結局、陳情は継続審査で終わっている。
阿部前市長が先日の市長選挙の前後の記者会見でも明らかにしているように、弁当は阿部氏の生活体験からくる持論(出来るだけ生徒が作る)であった。市教委は、これまで阿部氏の考え方に同調し、今回の福田新市長の方針の給食実施を受けて、見解を変えたのは明らかである。
これでは、図で示された「構想」と全く同じ事で、川崎市教育委の機構的形式は「現状」であるが、実態は「構想」であることを証明したようなものだ。即ち、官僚機構であって、思想性がなく、権力を持つ人間になびいているだけなのだ。
だが、翻って考えると、すべての教育行政に教育委員会が決定を下すのには無理がある。少なくとも教科に絞って首長からの独立性を保つ等のやり方に変え、それでも相当な専門性と見識を合わせ持たないとできないが、実態に即した機能を設定すべきである。
新聞報道では、教育委は「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた、とある。決めたのは市長で無かったのか?そういえば、最近、以下の報道に接した。下図のように、教育行政の決定権限を現状の教育委員会から首長へ移す構案を「中央教育審議会」が検討している。
「NHKのHP」より
現状は教育委員を議会の同意を得て首長が任命する。しかし、教育委員会は、
1)政治的中立性の確保
2)継続性・安定性の確保
3)地域住民の意向を反映
以上の理由によって、首長から独立した行政委員会になっている。
しかし、教育委員会の形骸化が指摘されているのも事実である。従って、上図右の「構想」が出されている。これに対して、首長の権限が強くなり過ぎ政治的中立が保たれないとの指摘もある。
今回の川崎市教育委員会の決定は以下の様に報道されている。
「川崎市教育委員会は29日までに、主食、おかず、牛乳がそろった「完全給食」を市立中学校で早期に実施することを決めた。市長も同日…「中学校給食推進会議」を設置することを発表。」
市教委が策定した「市立中学校給食の基本方針」では、完全給食を提供することで、食育の充実が図られることや、育ち盛りの生徒にとって栄養バランスがあり、安全・安心で温かい食事を取ることができると説明。「実施することが望ましいとの結論を得た」としている。
しかし、市教委の今までの見解はどうだったか。市議会ではH23/3/16に「中学校完全給食を求める決議」を採択している。更に、その後、同じ趣旨の陳情が2件提出され、総務委でH24/1/20及びH25/6/14にそれぞれ審査されている。
この時の教育委員会の見解は共に全く同じで、次の様になっている。
「本市の中学校の昼食は家庭からの弁当を基本…思春期を迎える中学生にとって、家族とのコミュニケーションの契機となる…発達段階から、個人の嗜好や食事量に違いがある…自ら食べるものを判断し、選択する力を養う…。その上で、弁当を持参できないときの補助としてランチサービス事業を実施…」
これに対して議員からは「議会は決議している。それを踏まえて教育委員が議論を行っていないというのでは話にならない。持ち帰って、協議で諮ること…」との発言があり、結局、陳情は継続審査で終わっている。
阿部前市長が先日の市長選挙の前後の記者会見でも明らかにしているように、弁当は阿部氏の生活体験からくる持論(出来るだけ生徒が作る)であった。市教委は、これまで阿部氏の考え方に同調し、今回の福田新市長の方針の給食実施を受けて、見解を変えたのは明らかである。
これでは、図で示された「構想」と全く同じ事で、川崎市教育委の機構的形式は「現状」であるが、実態は「構想」であることを証明したようなものだ。即ち、官僚機構であって、思想性がなく、権力を持つ人間になびいているだけなのだ。
だが、翻って考えると、すべての教育行政に教育委員会が決定を下すのには無理がある。少なくとも教科に絞って首長からの独立性を保つ等のやり方に変え、それでも相当な専門性と見識を合わせ持たないとできないが、実態に即した機能を設定すべきである。