散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

補遺 橋下徹対山下真(昨日投稿)~過去の橋下論

2023年04月25日 | 国内政治

昨日は「以下は本件と関係する例を示す」として過去のブログの「題名」を示したが、全くの説明不足!

お詫びすると共に以下に説明を書いて再掲する。

筆者は論争当時の橋下氏及び維新の会に注目、「政治学的な視点」も含めて『橋下徹論』を本ブログで展開していた(以下は本件と関係する例を掲載日と共に示す)。

特に“政治的リーダーシップ”について、現代政治学をベースにした分析・考察を示す。

11/12/11  独裁か、リーダーシップか
~橋下発言をめぐる政治言語の機能

11/12/25 状況型リーダーシップ
~橋下徹市長の統治機構変革

12/02/12 スイミーとしての橋下徹(1)
~再論・スイミーモデル・新党「自治体」へ

12/02/14 スイミーとしての橋下徹(2)
~再論・スイミーモデル・住民自治へ向けて

12/03/05  スイミーとしての橋下徹(3)
~状況型リーダーシップの登場

12/03/24 政治問題と社会問題の区別-政治への不信と過信
~橋下徹・状況型リーダーシップの研究

12/04/01 敵の特定と“内戦”への傾斜、政治と組織の論理
~橋下徹・状況型リーダーシップの研究

12/05/05 有効な支配を継続する分岐点
~橋下徹・制度型への移行は可能か?~

12/09/14 根無し草化する維新の会
~全国のオポチュニストの集まり?

12/09/25 橋下・維新の会は「日本」と「大阪」を分離すべき

12/12/24 浮遊する改革志向層、小泉、民主から維新・みんなへ
~過去3回・衆院選挙

13/01/13 国民的視点からみた「日本維新の会」の位置
~限定政党から全国政党へ

13/01/31 「維新・みんな連合=全国政党化」へ向けて
~走り出した橋下・江田体制

 

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橋下徹対山下真~after ten years

2023年04月24日 | 国内政治

 

当ブログのPV(1週間分)が月曜日にメールに送られてくる。その4/17付けが先週に引続き、「600PV」を越えた。異例の多さ!
偶に、いや!偶々…起こることだ。何か社会的事象であって、当ブログで書かれたことが引用されたときだ。当然、滅多に起こらないが…誘われたように調べてみる。

橋下徹氏の「連ツイ(2月1日付け)」の一部に当ブログが引用されているのを見出した。
但し、筆者の言葉を引用しているわけではない。内容は統一地方選挙において、奈良県知事選に「日本維新の会」から立候補、見事当選した山下へ…“賛歌”ではなく、維新からの立候補に関しての“批判”であった。氏は、筆者が引用した山下氏の「文献」が、既に削除されていたのを見出し、論難していたのだ。

筆者はハッとして、「そうか、ヴァレリーだったのか!」…薄っすらと記憶が蘇る。

当ブログのリストを過去に戻してみる。
何と、2012年、10年以上も前のこと…山下の「橋下徹論」による批判から両者の確執が起こったようだ。
これに対し、ブログ「山下真・生駒市長『橋下徹論』とヴァレリー『党派』(1) ~「政治家のウソ」に関する一考察」(2012年5月30日付)において、ポール・ヴァレリーのアフォリズムを引用しながら、政治家・橋下徹の政治的言動をやんわりと擁護しつつ、狭まる彼の「政治街道」(半分は自らの言動、行動によるのだが…)を冷静に進むように、激励した。

また、次のブログ(2012年6月2日付)において、更にヴァレリー「気質から、創造派であるものと保守派であるものと破壊派であるものとがある。各個人は、その言葉の党やその念願の党ではない、その存在と行動様式、反動様式の党であるその真の党に入れられるべきだ」(「党派」P46)を引用した。

橋下氏は連続ツイッター(23年2月1日)の三番目において、筆者ブログ(2)を引用、その中で参考文献として引用した“山下氏のツイログ”が読めなくなっていることを強く批判している。

(以下は本件と関係する例を示す)

11/12/11  独裁か、リーダーシップか~橋下発言をめぐる政治言語の機能
11/12/25 状況型リーダーシップ~橋下徹市長の統治機構変革
12/02/12 スイミーとしての橋下徹(1)~再論・スイミーモデル・新党「自治体」へ
12/02/14 スイミーとしての橋下徹(2)~再論・スイミーモデル~住民自治へ向けて
12/03/05  スイミーとしての橋下徹(3)~状況型リーダーシップの登場
12/03/24 政治問題と社会問題の区別-政治への不信と過信
~橋下徹・状況型リーダーシップの研究
12/04/01 敵の特定と“内戦”への傾斜~政治と組織の論理
~橋下徹・状況型リーダーシップの研究
12/05/05 有効な支配を継続する分岐点~橋下徹・制度型への移行は可能か?~
12/09/14 根無し草化する維新の会~全国のオポチュニストの集まり?
12/09/25橋下・維新の会は「日本」と「大阪」を分離すべき
12/12/24浮遊する改革志向層、小泉、民主から維新・みんなへ~過去3回・衆院選挙~
13/01/13 国民的視点からみた「日本維新の会」の位置~限定政党から全国政党へ
13/01/31「維新・みんな連合=全国政党化」へ向けて走り出した~橋下・江田体制へ

 

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国葬を再考する(9月8日付記事に対して)~法的問題

2022年09月17日 | 国内政治

安倍元首相の「国葬」を考えると、先ずは首相期間が今までの首相のなかで「最長」が挙げられる。一方、唯一の国葬である吉田茂元首相の場合、「講和条約」、「高度経済成長の基盤作り」が挙げられる。亡くなられた時期(1967年9月20日)はその高度成長が終焉に至った頃だ。国葬は、時の佐藤栄作首相の思い入れの発想と言われており、その事情は岸田首相と変わりなさそうだ。その佐藤首相の期間を安倍元首相は更新したわけだ。
顧みて佐藤首相の場合、沖縄返還、ノーベル平和賞受賞があったが、国葬の話はなかった。「非核三原則」での密約も後に明らかになって、平和賞も含めてグシャグシャな話となったことも影響したのだろう。

そこで、吉田茂との比較が安倍国葬の唯一の比較になり、結局は「講和条約」、「高度経済成長の基盤作り」に対して政策では対抗できない。従って、「首相期間最長」が残されるだけだ。しかし、首相の業績はその寿命だけで図られるものではない。

吉田の場合、国民が国葬に納得したのはその政策(戦後日本の進むべき方向性を定めて実行したこと)を高く評価した故と考えるからだ。また、そうであれば、安倍元首相の場合は、改めて政策内容を議論する必要はなく、単に「法制化」されていないことを挙げるだけでその行事に反対すれば良いと思う。

今の時点においては!

 

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安倍元首相の「国葬」~特段の業績は?

2022年09月08日 | 国内政治

安倍元首相の死は突然のテロによってもたらされた、参院選挙の遊説中に。それは辞任から余りにも早かった。即ち、辞任後も党内第一の派閥を率い、党内に睨みを利かし、場合によっては三度目の首相も狙おうか、とも思われる勢いも示していたからだ。

従って、歴代最長の在職日数を記録した首相に対するその業績への一定の評価は当然あるが、他の首相経験者との比較等、必ずしも定まっていなかった。そのような状況にあって、首相退任から約2年後の突発的なテロによる死であった。

以前のブログ(7/16付、安倍元首相の死(2)~社会の深淵で何が…)において、次のように述べた。
会田弘継氏(ツイッター:7/11)の言葉に「ズバリ」の衝撃を受けた。
『「民主主義の否定」とか「言論への暴力」に違和感を持ったのは、それよりもっと深刻なことが起きている気がしたからだ。』…『「政治制度ではなく、もっと奥深いところでなにかが壊れてしまっているような思いがしています。」

その言葉から、筆者は次のような「思い」が浮かんだ。
地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から四半世紀の後、社会秩序への集団性暴力が「個人」へと解体したような、そんな気がした。しかし、相模原、京都との違いは、個人の思いが)…政治指導者個人へと及んだことだ。

そんな状況の中で安倍元首相の「国葬」が決まった!

国葬としての前例、吉田茂氏は第一次46年9月―第1次吉田茂内閣は1946年5月に誕生、以後47年5月~48年10月の中断の後、第2次~第5次まで首相を務め、54年12月辞任した。計7年余り、その死は68年10月20日、辞任後、約14年である。また、その間に『回想十年』全四巻を執筆している。
本を読むまでもなく、吉田は「敗戦日本」を率い、マッカーサー率いる占領軍に対応しつつ、国の復興へ尽くした。それが高度経済成長へと結びつくことになる。その国葬は当時の佐藤首相の思い入れで実現されたのだが、吉田自身の政治的業績は疑う余地はない。

しかし、安倍元首相については以下の理由で国葬は不適切と筆者は考える。

1)業績の評価をしっかりできる時期には至っていない。
  ・経済:日本は世界全体からみれば追いつかれ、追越されている
  ・外交:「米、印、豪、日」連合の成果は今後の課題
2)統一教会問題が自民党全体を覆っており、当時の安倍氏の姿勢が不明
3)安倍氏個人の政治問題の関連で国家公務員に自殺者がいたこと

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政治の底流は動く!~総選挙、川崎市の結果から

2021年12月08日 | 国内政治

先の衆院選挙の結果は様々な形で報告されている。また、岸田政権は順調に動きだしたかに見える。ここでは大都市の一角、川崎市(人口150)の結果を検証してみよう。

(参考データは後半に掲載)

 特徴的なことは、全国的な維新の躍進に倣って得票数が伸びたことだ。比例代表では公明、共産を抜いて第三党の地位に付け、立民に迫る躍進を示す。また、第10区は海側で保守が強い処であるが、投票数からは、保守票を食っている可能性が高い。

 集会、会合等で得た感触では、政治に関心を持ち、それを関与まで高め、活動を考える若い方たちの受皿に、例えば勉強会等、維新が機能しているように思える。ここはひとつのバリヤであって、既存政党は敷居が高そうに感じられるであろう。しかし、ここを乗り超えると、本格的な参加へと進む。即ち、『関心→関与→参加』へと進み易くなる。


 筆者は次回の市議会選挙(13年4月)において、維新は川崎市の7区(行政区~各区定員7-9名)の中で立候補者を揃え、各区1名当選の可能性は大いにあると感じる。

 一方、令和新撰組も得票を伸長させ、国民民主党に迫る勢いを示す。
 選挙全体を通じて、比例代表3名の議席数を獲得、参院2名を含めて5名となる。政党要件(得票数2%、議席数5名のどちらか)両者ともにクリアーしたことになり、国会に足場を築いた。所謂、野党共闘の見直しの中で、立民、維新に対するスタンス(距離感)が注目される。

 いずれにしても、維新、令和の支持向上は、国民意識の底流に潜む現状批判の感情を表現しているように、筆者は感じる。

川崎市・第49回衆議員選挙(2021(R3)年10月31日) 

比例代表 自民 228 立民 135 維新 109 公明 72
     共産  61 国民  43 令和  31
小選挙区
  第10区     第18区     第9区 
 川崎・幸・中原  高津・中原・宮前 多摩・宮前・麻生 (区)
  田中 自民 104 山際 自民 120  笠  立民 83
  金村 維新  69 三村 立民  90  中山 自民 68
  共産 畑野  49 維新 横田  41  維新 吉田 24
  国民 鈴木  40           共産 斎藤 20

選挙区計  自(公) 292 立・国 213(-α)  維新 134 共産69(+α)

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分配か、成長か、どちらが先か~総選挙のテーマ

2021年10月22日 | 国内政治

先ずは緊急の分配が必要だ。また、本格的な政策議論としては並行に議論を進める以外に道はない。言うまでもなく、コロナ禍の緊急対策として生活に困っているひとたちへの給付が必要だ。例えば、持続化給付金の減収規模に応じて再支給、家賃支援の継続的支給、国民への給付金も特に生活困窮の方には必須だ。これは政府の役割だ。

一方、成長は企業が積極的な投資を行うことが先決だ。そのためには規制緩和等が必要ではあるが、民間の領域のはずだ。従って、その効果が個々の国民にまで回るには、それなりの時間が必要だ。従って、どちらが先と言うことではないと筆者は考える。

しかし、日経新聞(21年10月6日)は、「日本の年収、30年横ばい 新政権は分配へ先ず成長」と主張する。

その論拠は、以下の二つである。

(1)90年代以降の30年間に日本の経済成長は停滞したままだったこと。
(2)日本における富の偏在は米英と比べて小さく、
   「ジニ係数」によれば、2010年代に所得格差は縮小している

(1)については、OECD加盟国平均よりも低いことは勿論だ!
アベノミクス・異次元金融緩和は、企業の内部留保と株価上昇により富裕層の財産を増やしただけで、トリクルダウンなどは起こり様がなかった。

では何故、(2)が起きたのか?いや、「ジニ係数」の魔術なのか?

例えば、年収が一億万円の人及び百万円の人が百人いた場合、
    上記から百万円の人が百人増加して二百人になった場合、
両者を比較すれば、「ジニ係数」の考え方から、前者と比較して後者が小さくなると思われる。
あるいは、年収一億円が九千万円になってもジニ係数は小さくなるだろう。しかし、この場合、日常生活に対する影響はないはずだ。

「記事には2019年の就業者数は10年前と比べて400万人増え、なかでも65歳以上の高齢者。女性の雇用が拡大した」と書かれている。
 しかし、ここまで書きながら、「富裕層も含めた国民全体の生活水準が地盤沈下」とも書いている。確かに間違いはない。だが、貧困層を含めた一般国民の視点から見れば、この記者が詭弁を弄しているように見えるであろう。

次のコメントが読者から「ひとこと解説」として付けられている。
特に日本で深刻なのは、所得が20年、30年停滞する一方、社会保険料や税金、大学授業料などは高騰を続けており、現役世代の生活が厳しくなり続けていることです。

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緩衝政党としての公明党~小さな声を、聴く力

2021年10月03日 | 国内政治

緩衝政党とは筆者の造語だ。政党間における調整機能を有する政党を意味する。

例えば、政党が三つ以上集まる場合、真ん中の政党が仲介してまとめることが挙げられる。55年体制以前、社会主義政党は保守と共産党の間で「共産主義」及び「戦前軍国主義」を牽制する役割を果たしていた。それ故、社会党の成立が保守合同の自民党を導き、自共の激突を抑える位置となった。

一方、55年の共産党六全協で暴力革命を放棄したことで役割が半減するが、それでも自民党の改憲路線を抑える意味で、二大政党制ではなく、1・1/2政党制の1/2の部分を占め、極右・極左を抑える緩衝役を果たしていた。

その後、上記の体制は少しずつ解体していく。
資本主義対社会主義の対立のなかで、社会党を割り、民主社会党(60年~)ができる。一方、高度経済成長とそれに伴う民族大移動の合間を載って、戦後の新興宗教も都会を中心に成長、その中から創価学会を支持母体とした公明党(64年~)が勢力を伸ばす。
この両党が自社の間で一定の勢力を持つ。

高度経済成長後(佐藤政権後)、自民党の派閥争いが「三角大福中」で一巡する。次の竹下以降、平成年代(89年~)では統治能力が衰え、混乱の中の合従連衡の時代となり、公明党も一時、分党、解党、新党などの試行錯誤の後、再結成して公明党を名乗る(98年~)。そこから自自公連立、自公連立政権へ至る(03年~)。
その後、民主党政権(09年)は共に野党、再度復帰する(12年~)。

自公連立で緩衝政党の強みが発揮されるようになる。
一つには自民党の軍事増強派を抑える役目が挙げられる。

だが、それよりも「国民」と「政権の中核与党(自民党)」を繋げる新しい役目だ。

公明党のキャッチコピー、「小さな声を、聴く力」がそれを示している。

具体的な国民の困り事を政策として提起、政策決定の正式ルートへ載せることだ。与党の一角であればこそ、議員の口利きとは全く違う形になる。両党の政策関係会議で決定、官僚機構を動かし、素早くできることだ。自党の地方議員がいないエリアであっても、地方自治体議員、党員レベルで課題を探し出すことはいくらも出来る。それを中央の与党機関へ結びつけ、国政レベルの具体的政策とする。

その意味で国民と政権との間の「緩衝政党」の役割を果たしている。即ち、自民党が見落としがちな政策を提案、政権として政策の幅を広げる効果がある。

 一方、特に問題となるのは憲法改正の発議であろう。自民党提案との隙間を埋める提案をできるのか?その真骨頂が問われている。

 

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岸田氏の突破力と説得力~自民党総裁選

2021年10月01日 | 国内政治

安倍長期政権のしっぽにぶら下がった形の菅政権のためか、前回の総裁選の内容は全く記憶にない。岸田、石破の立候補についても。今回は四人が立候補、それも混戦模様となり、久し振りの本格的総裁選であった。本格的とは、実質的に内閣総理大臣を選ぶことに他ならないからだ。それでも制度としては単なる一つの「党」だ。

丁度このとき、ドイツのメルケル首相が引退、総選挙が注目されていた。おそらく、ドイツ国民も投票しつつ、結果を注視していたはずだ。それは「党」を選ぶ選挙(連立を含む)であった。翻って日本では、自民党員だけで決める首相選挙の様相を示した。ここに大きな違いがある。

 しかし、マスメディアは党首選挙ではなく、首相選挙として報道する。これに立候補者も巻き込まれる。テレビ放映での呼びかけも、「国民の皆様!」であって、「党員、党友の方へ」ではなかった。
国民も戸惑ったに違いない。当初、菅総裁が無投票で選ばれると多くの方は思ったであろう。ところが菅首相の思惑を外れて、コロナ第五波は急激に発達する。政権は硬直したように見え、世論調査の支持率は大幅に落ちる。しかし、菅は総裁継続を意思表示する。

一方、自民の若手が「首相がこのままでは選挙が戦えない」と騒ぎ出す。これに対して二階幹事長は記者の質問を介して「失礼だろう」「自分がどうするかだ!」と強く反論する。筆者はこの話を聴き、「流石だ!混沌とした政治状況を生き抜いて今の位置を築いた方の言葉だ」と感じる。

一方、選挙公示後、岸田氏は対抗馬として立候補を最初に意思表示する。なかで、党内の閉塞感を打破する方法として党内の役職を「任期一年・継続三年」に定めると述べる。これは二階幹事長の長期留年をターゲットにしたと巷に解説が流れる。その後の経緯は良く知られている…菅の引退、岸田総裁の誕生だ。

今回の結果は岸田氏が決断即行動した結果だ。菅は混乱し、一気に政治活動が縛られ、政治過程は一気に状況化(予測せざる混沌状態)、退任へと追い詰められる。これがすべてだった。皮肉にも、コロナ禍の状況は回復基調となるのだが。

岸田の決断が結果として菅の退任を導く。その後の三名の立候補者は岸田によって新たに作られた「状況」にタダ乗りしたに過ぎない。河野、野田は管体制の中で立候補は慎み、残るは石破が立候補するのか、そんな「状況」だったからだ。

岸田の「突破力」は本物であった。また、その後の活動も地味ながら「説得力」があった。一方、河野は旗印にした「突破力」が本物ではなかった。立候補後の言動も顰蹙を買うことがあり、「取消―陳謝」にも追い込まれた。正直な感想は、人物的な限界を見る思いであった。

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コロナ禍の政治過程~変わらない国家体制

2021年05月30日 | 国内政治

緊急事態宣言は延長され、肝心のワクチン接種は先進諸国に後れをとっている。オリンピックの開催に関しても政府の判断はなし崩しに開始するかのようだ。明確な判断基準も示されていない。特に自民「菅―二階」の政治体制はその権力を平時の国内調整でたたき上げた政治家によるものであるから、準有事体制を必要とするコロナ禍においては全くの処、不向きと言わざるを得ない。

日経新聞(5/20)で秋田浩之氏は日本の国家体制は平時から準有事体制への切換ができない「欠点」を持つ。それは戦後の日米安保に由来すると指摘する。法的強制力はなく、外出自粛や休業を行政が国民に「お願い」しかない現状はその象徴だとする。

一方、氏は「統制=危機対応力の強化」ではないとする。しかし、緊急時に私権を制限し、国家が統制を強められる体制づくりをしても危機対応力は高まらない。戦前の政治体制がそうであったように!
根本的な欠点を改めることが必要だと主張する。それは以下の三点だ。

(1)戦略の優先順位をはっきりさせず、泥縄式に対応する体質
(2)行政の縦割り組織の弊害
(3)「何とかなる」という根拠なき楽観思考

TBS放映の「関口宏のもう一度 近現代史」は昨日、「真珠湾攻撃」まで辿り着いた。従って、最近の放映では上記の欠点が枚挙にいとまがないほど挙げられてきた。
コロナ禍における「安倍・管」政権もアベノマスクの奇策は笑い話として残るだろうが、そのほかは残すのは教訓をだけにならないことを期待したい。

 

 

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国民の評価とは~コロナ対応を巡って

2020年06月03日 | 国内政治
国民の評価とは~コロナ対応を巡って

安倍首相のコロナ対応への評価を巡って細谷雄一慶大教授(国際政治)はツイッター(5/23)において以下のように問う。
「コロナは風邪だ」と外出を促し、感染爆発を招いたブラジル大統領(死者2万)。
「消毒剤の注射」を勧めて医療関係者から猛反発を受けた米大統領(死者4.7万)。
外出を続け感染した英首相(死者3万6千人)。
「アベノマスク」配付で「世界最悪」と言われる日本の首相(死者814)。なぜ?

「世界最悪」などとの言葉はスルーすればいいだけで、いちゃもんを付けて意味があるとは思えない。また、伯米英を引き合いに出すのも?と思わざるを得ない。
独首相の演説に感動した人間にとっては!

これに対して竹中治堅政策研究大学院大学教授(日本政治)は次の様に返信ツイートする。
ギャッラップ社の国際比較でも政府の対応に満足している人は他国に比べ非常に低いですね。三つの要因があるのではないでしょうか。
1)国際比較には興味がない人が多い。
2)知事の対応の方が的確だったと思っている人が多い。
3)10万円給付決定など政府内の混乱が露呈してしまった。

これに筆者は納得する。
1)人それぞれの感じ方があるだろうが、先ずは身近な問題であって、国際比較に主要な関心が向くわけではない。
2)は先にも述べたようにこの事象における最大のポイントと考えるからだ。
 『地方主導権』へ向けて~自治体首長のコロナ対応(本ブログ20/6/1)
3)アベノマスクは川崎市の「お知らせ」にも上がっていない。

以上のことから基本的にはコロナ対応は国内政治の問題であり、国際的には学べることに眼を見張り、リーダーを比較して一喜一憂することではない。
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