散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

人口激減への道~少子化対策は可能か?

2023年04月03日 | 現代社会

少子化対策はこれまでも実施されていたはずだが…岸田首相は少子化対策に関し「時間との闘い」と強調した。これまでの対策は十分な効果はもとらされていなかったのだ。

国立人口研究所の発表によれば、昨年の出生数は見込みより11年も早く、統計開始以来初の80万人割れとなった。少子化のみならず、社会における様々な機能にも綻びが出始める可能性がある。その維持のための対策も識者によって指摘されている。

「出生数減、最低100年は止まらない」一般社団法人・人口減少対策総合研究所の河合雅司理事長の言葉だ。「今から少子化対策を講じても、人口減少が進むことを前提として、社会的機能を維持する対策は即座に求められる」とも。

日本の人口は1億2800万人(2008年)をピークに減少に転じた。
22年9月時点で1億2500万人、一方、国立社会保障・人口問題研究所が17年に示した将来人口推計では、標準的なシナリオとして、53年に1億人を切り、
2110年に5300万人程度と半分以下に落込む一方、42年までは、65歳以上の高齢者が増え続ける。ところが、15〜64歳の生産人口年齢が急減する。
これが「一番きつい20年間」(河合氏)になる。

河合氏は、出生数はシナリオより悪い減少幅で推移していると指摘。「このままいけば恐ろしいほど減り、90年後には年間出生数は18万人になってしまう」と危機感を強調し、近未来を「人口激減社会」と表現した。氏の著作は必読だ‼

 人口激減社会では、労働力が減って内需や経済が縮小し、生活サービスや社会保障の量や質が低下する恐れがある。
例えば介護では、サービスを受けられない「介護難民」が増えかねない。淑徳大の結城康博教授(社会保障論)は「5年後に団塊の世代が80歳を超えると、介護が必要な人が一気に増え、介護人材が不足する」と指摘。年配の職員が引退する一方で人材確保は難しく、孤独死や介護離職が増える可能性があるという。

高齢化が進んだ先にあるのが「多死社会」。国内の年間死亡者数は21年が約144万人、39〜40年にピークの168万人に達する。河合氏は「あと数年で東京都の人口も減り始め、東京が経済をけん引するスタイルも通用しなくなる。極めて不都合な真実を正面から受け止めて政策を考えなければならない」と警告している。

 

 

 

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変動する社会における“倫理”

2023年02月13日 | 現代社会

「同性婚」に対する保守主義の発想(参照2/6付)は、首相自身の「制度を改正…家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」に表現されている。しかし、これは政治的保守主義に対する一つの突破口になるかも知れないが、広がりは限定的であろう。

しかし、女性の社会進出と出生率の低下、ベビーブーム(団塊)世代の減少は、家族観とそれに伴う価値観、それは高度経済成長時代以降、サラリーマン、マイホーム、中流等で表現され、それらは現在、確実に変化している。

今後、その原動力になるのはITの社会全体の滲透に基づく「DX技術」だと言われている。すると人にとって必要なのは「企業精神」となる。何だか、マックス・ウエーバーにおける「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の時代に似ているような!

しかし、“倫理”については今の時代、皆目見当が就いていない世界になっている。

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安倍元首相の死(2)~社会の深淵で何が…

2022年07月16日 | 現代社会

7月8日(金)の昼頃、故安倍元首相が襲撃を受けた事件をテレビで知って以降、暗い気持ちになった。犯人は政治的理由ではなく、個人的、社会的に孤独な中年でマニアックに銃を保持…何でまた?との気持ちであった、

それ以降、強い違和感を持って事態の推移と様々な見解を追っていた。その中で、会田弘継氏(ツイッター:7/11)の言葉に「ズバリ」の衝撃を受けた。以下の記述だ。

『「民主主義の否定」とか「言論への暴力」に違和感を持ったのは、それよりもっと深刻なことが起きている気がしたからだ。』…『「政治制度ではなく、もっと奥深いところでなにかが壊れてしまっているような思いがしています。」

ハッとさせられ、そうだったのか!と感じた。相模原老人施設での殺人事件、京都アニメスタジオ放火事件が挙げられていた。
更に後に、『「未明に米国の友人から届いたメッセージに添えられた以下の詩の引用が、自分の感じていることを幾分か的確に言い当てている気がしたので、書きとどめておく、との発言もあった。

( https://facebook.com/photo/?fbid=10159683 )

筆者も自分の衝撃を思い直し、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から四半世紀の後、社会秩序への集団性暴力が「個人」へと解体したような、そんな気がした。しかし、相模原、京都との違いは、個人の思いが…どのような思考を辿ったか不明だが…政治指導者個人へと及んだことだ。

おそらく、直感的判断であって、熟慮ではないと筆者は考える…(『ファースト アンド スロー』(D・カールマン著)早川書房)なお、著者はノーベル経済学賞を2002年受賞、いかにして人は認知的な錯覚に陥るのか?どのようにすれば合理的な判断ができるのか?」についての研究!

特に、孤独、マニアック、被害者意識、が重なるとファースト思考に陥る可能性が高いように思われる。

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安倍元首相の死~社会的孤独な犯人像

2022年07月10日 | 現代社会

安倍元首相が亡くなられた(22/7/8)。ご冥福をお祈りする。

昼頃、心肺停止の報をテレビで知って以降、暗い気持ちで時がたった。犯人のことも僅かながらに伝えられたが、政治的理由ではなく、個人的な気配が感じられた。そこには「社会的に孤独な中年像」が現れるだけで、自分の暗い気持ちは、その像によるものだったのではないか?

安倍氏は心肺停止で大学病院へ運ばれたが…回復の見込みがどの程度?と思いながら、読みかけの分厚い本(江藤淳は甦る)を読み続け、3時頃にテレビを点ける。ニュースで安倍夫人が奈良へ向うとのこと、やはり、ダメだろうとの気持ちになる。

先に自分史を書いたとき、浅沼稲次郎刺殺事件(当時、小学高学年)を想い出す。友人が卒業ノートに「17才を見たら右翼と思え!」と書いていた。しかし、そのような意味での政治的確信犯の姿は、今回は到底浮かんでこない。あの時は…犯人・山口乙矢が確信犯として壇上に駆け登って短刀で浅沼の腹を刺す場面…写真が雑誌に掲載されていた!

翌朝、土曜日、ツイッター上、当時の池田勇人首相による国会での「浅沼追悼演説」を紹介する方がおられた。その素晴らしい演説を改めて想い起す。今回の事件で発言した政治家並びに政治関心層の政治感覚は、当時の“庶民的政治感覚”からかけ離れたものへ変質した様に思える。

先進国・日本の選挙運動風景から、期日前投票を終えた筆者は、美辞麗句で飾られた多くの政治家及びその志望者と、圧倒的多くの、無言で孤独な個人の集合体を改めて思い浮かべる。それが犯人像、社会的孤立の中年像と結びつき、事件から暗いイメージを感じたように思える。

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日本は恒常的な電力危機!~歪んだ体制を是正へ

2022年03月28日 | 現代社会

今月の20日過ぎ、急に東電の電力が最大供給ギリギリになり、テレビでしきりに節電を呼びかける事態になった。何で急に?しかし、止まったら大変!急いで器具の利用をセーブした。原因は気温低下による暖房需要増加、及び3/16発生の地震の影響で福島県新地発電所等の火力発電所が損傷を受けたことであった。

しかし、一両日で「節電呼びかけ」も解除、その後は何も話題にならない。それは疾風のように現れ、疾風の様に去って行った、月光仮面のように…。そして何事もなかったように、マスメディアはウクライナ/ロシアのニュースに集中する。


何かおかしい、大雪、地震は今後もあるだろう。しかし、電力供給体制については、国会及びマスメディアでは話題にもならない?…去年もあったような?
そこで過去のファイルを調べてみる…昨年の冬。以下の論をチェックしていた!。

「ブラックアウトの危機!「電力緊急事態宣言」を出すべきだ」
  竹内 純子 言論プラットホーム アゴラ 2021.01.10
以下、要点を筆者としてまとめてみる。

電力緊急事態、電気不足。理由は二つ。

「その1」寒波による電力需要増大
寒波で電力需要が伸びていること。
日本海側は雪が積もり、太陽光の多くが何日間も(何週間も)“戦力外”。

「その2」燃料不足
発電設備の量不足は、電力需要のピーク時を抑制して凌ぐことが必要。

電力の特殊性…需要と供給のバランスが崩れると一部だけの問題ではなく、全体が崩壊する。2018年9月の北海道で起きたブラックアウトを想起!そこで、工場等の大口顧客に電力使用を止めて頂く(電気代は通年で割引く)等が必要。

今回(昨年冬…筆者注)の問題は、二つ目の理由。LNG(液化天然ガス)の不足。
LNGの調達不足が全国的に深刻化している原因は、中国での寒波や炭鉱事故、中国と豪州の政治問題から中国が豪州産石炭の輸入抑制措置を取り、その代替として天然ガス依存が高まったこと、韓国でも公害対策として石炭火力を16基停止させて天然ガスの利用が増えたなどの事象が重なり、東アジアのマーケットが影響を受けたとの推測が可能。
豪州やカタールなど天然ガスの産地でトラブルがあったという話も仄聞。
東日本大震災後、「日本のLNG調達は長期契約で割高な買物」と批判を受けた。電力会社が「殿様の買物」をしているという批判だったが、長期契約減の影響とも推測できる。

「事態に備えて備蓄をしておけば」?…天然ガスは-162℃の超低温で液化、輸送・貯蔵する。だが、低温冷却用タンクを大量には持てず、LNGは長期保存には向かない(1-2カ月)。
石油は半年分国内備蓄(オイルショックの後の石油備蓄法)、一方、LNGは2週間分程度の国内在庫。更に、LNG船から陸にLNGを荷揚げする際、太さ数十センチのパイプの接続要。冬の日本海側荒海での接続作業はNGの日もある。冬ではこの作業は不安定。

欧州では、域内に天然ガスのパイプラインが走り、その必要はない。地続きの国は安価に安定的に(欧州もロシア産の天然ガス依存度を高めて、痛い目を見た)調達できる。日本は液化して輸送、ガスに戻して利用する。コストも安定供給リスクも他国と同等に語れない。再エネ比率など含めて、エネルギー政策を他国と安易に比較することはできない。

LNG調達のリードタイムは通2カ月程度、早く国民に周知、電力節約しなければ燃料が底をつく。この危機を報じているメディアは一部、各電力会社のHPには節電のお願いを出していない。異様!危機は深刻になってからでは遅く、一刻も早く国民の協力を仰ぐべき。

こういう危機に対応するのは、
1)「原発無くても電気は足りる」と言う
  原発反対の方たちでもなく
2)「CO2を大量に出す石炭火力をまだやっているの?!」と言う
  温暖化対策に熱心な方たちでもなく
3)「既存電力は腐っている。自由化して競争させなきゃだめだ」と言う
  電力システム改革をした政治家や官僚の方たちでもなく
4)「石炭火力の比率が高い電力会社からは投資を引き上げる」と言う
  金融関係の方たちでもありません。

エネルギーミックスの必要性を訴えていた、電力会社の人たちです。そして何かあった時に責任を押し付けられるのも、その人たち。

なお、既存電力に腐った部分が多くあるのは知って、批判的に見ている。ただ、それと安定供給の担い手、担える制度・体制を作ることは別問題。
 政府(規制機関)が出す権限は「電力緊急事態宣言」ではなく「節電要請」!

竹内氏の論稿をまとめてみると、関係者の間に歪んだ体制を読み取ることができる。政府のリーダーシップの基に、しっかりと体制を組む必要があるのではないか?

 

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べビーシッター不足が示すこと~時間の稀少性

2022年01月30日 | 現代社会

都市部を中心にベビーシッターの利用者が急増している。国の支援策の拡充が利用を後押しする一方、人材確保が追いつかず、サービス提供が滞るケースも出ている。共働き世帯の増加に加え、新型コロナウイルス禍で保育園休園が相次ぐ中、子育て支援のさらなる充実は不可欠だ(日経01/30)。
 ( 新型コロナ: シッター不足、都市部深刻 支援拡充・コロナで利用増)

保育待機児童が筆者の地元、川崎市において喫緊の政策と公明党、共産党によって主張されたのは、十年前頃、阿部市長時代からだ。それ以降も共働き夫婦が増えている。また、その働き方も多様化する。子育てしやすい環境づくりはどうしても後追いになる。

その状況から現在では資格不要なベビーシッターの世界へ及んでいる。オミクロン禍のなか、保育園、幼稚園の休園も相次ぎ、国の支援制度がある中で支援を求める人たちが急増する。個の自由と効率を追求するなかで、「時間の稀少性」は益々高まっていく。
ここに現代社会における基本的な問題が潜んでいる。
 それは「子殺しの風土」(朝日新聞:1974年9月9日)と呼ばれた時期に顕著となり、その後も続いているように思える。

 

新聞に例示されているのは、都の30代会社員夫婦、行政の補助を受けても月々10万円以上の支出。働き方を諦めるか、シッターをフル活用するかの二択。後者を選ぶと、将来の教育費を貯蓄する余裕がない。しかし、これを贅沢だと思う同世代の夫婦もいるだろう。
一方、シッターの多くは非正規雇用であって、一日数時間の稼働では安定した収入にはならない。担い手が増えないのは当然だ。

 

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日本の人口~2020年(R2年)国勢調査

2021年12月02日 | 現代社会

統計メールニュースNo.1402(2021.11.30)に表題の概要が報告されている。 

 主なトピックスは、
  1)生産年齢人口(15~64 歳)の減少が目立ち、新聞等が一斉に報道。
  2)首都圏人口も東京を中心に膨張、一方、80%の市町村が人口減。
  3)男女共に未婚率上昇 男性50歳…28% 女性50歳17%

令和2年国勢調査:人口等基本集計

1.2020年(令和2年)10月1日現在、日本の人口=1億2614万6千人
  2015年比較、94万9千人減少(0.7%減)、前回調査から引続く人口減少

2.人口最多の都道府県=東京都、1404万8千人
  東京圏人口(東京都、神奈川、埼玉、千葉各県)=3691万4千人、全国人口の約3割

3.1,419市町村(82.5%)、人口減少(全国1,719市町村)

4.一般世帯数=5570万5千世帯 対2015年比較;237万3千世帯増加、
                       :人員/世帯=2.21人(減少)

5.15歳未満人口1503 万2千人/総人口=11.9%(過去最低)
  65歳以上人口3602 万7千人/総人口=28.6%(過去最高)
  15~64 歳人口7508万8千人/総人口=59.5%
    5年前(前回調査)から226万6232人減少
    ピーク(1995年)8716万4721人から13.9%減少

6.日本人人口=1億2339万9千人、2015年比較、178万3千人減少
  外国人人口=274万7千人、2015年比較、83万5千人増加

 

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生活世界は変わったか(3)~コロナウィルスは変身、人は変わらず

2021年05月28日 | 現代社会

先の投稿(20/5/14)、『生活は変わったか』において、

「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」との表現に違和感を示した。

「旧い正常の中に新しい正常の芽のようなものも含まれる」と考えた処、「それが歴史の進歩ですね。」と齊藤誠教授から指摘を頂く。

新しい正常も機能する中で、「ウィズコロナ」の新しい正常も試みられる。しかし、コロナウィルスは英国株、南ア株、インド株等様々な変身を遂げる。自らの身の丈に合せてその構造を変化させる。規制が掛るなかで、東京、大阪は相変わらずの人出、新しい正常も長続きしないようだ。とは言って、米国のように適者生存で、規制はあっても無視して自由な行動を取る人が多い国もある。

しかし、図体が大きく、また知識も豊富な「人」はそれに合わせた行動を取る以外には選択が無い。コロナウィルスへの対抗にはワクチンの活動を促すだけだ。当然、日本の中では一気にワクチン志向の流れができる。これが新しい正常の決め手になる。更に、その上に本当の意味での新しい生活が工夫され日常化するものと考える。

 

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五十年後~第二の「解体するアメリカ」論

2020年09月26日 | 現代社会
 米国大統領選を前にして、社会状況とそれに対するトランプ戦略を中山俊宏・慶大教授がnippon.comで論じる(2020年大統領選を前に苦悩する米国:多様性と反動の相克)。
ポイントはトランプの意図的な国内の「分裂・亀裂」の増幅だ。以下の順に内容をまとめる。

 1.「コロナ選挙」では現職不利に
 2.「分断・亀裂」の増幅望むトランプ氏
 3.BLM支持の大きなうねり
 4.「法と秩序」に潜む“わな”

「新型コロナから有権者の視線をそらせたいトランプ大統領は、危機の渦中にもかかわらず、分断・亀裂の増幅を図る姿勢を見せている、と論じる。そこで目を付けたのは、人種をめぐる騒動の激化と対立の先鋭化現象だった。BLMが全米を巻き込む抗議運動に発展して、大きなうねりに帰結していった。それに対してトランプ陣営は、ニクソンの故事に倣って「法と秩序」を強調する。

 その60年代は公民権運動から大学紛争へと大きな運動が発生、その反動がニクソンをして「法と秩序」を「サイレントマジョリティ」へと訴える選挙戦略を生み出させ、最終的に68年のニクソン政権の誕生へと帰結した。更にレーガン政権の誕生に連なる一連の保守主義運動台頭のきっかけともなる。
 まさにそのニクソンのお手本をなぞるかのかのように、ただひたすら「法と秩序(Law and Order)」をトランプ陣営は強調している。

そこで筆者もその時代に戻り、五十年後にして第二の「解体するアメリカ」(永井陽之助、中央公論70年9月号)を読み取った。第一の論文では、米国は基本的に保守的な国、反動化の恐れありと永井は警告していた。即ち、変動の時代における米国の全体像を捉え、その基本動向を予測していたのだ。

 中山も最後に「米国に向く世界の視線は「哀れみ」?」と悲観的に述べる。
 新型コロナの被害は世界の中でも最悪レベル、しかも大統領はそれを認めず、悲劇の最中に国の分断をあおる。それにとって代ろうとする対立候補(バイデン)も、本当に大丈夫なのかと思う。彼らの返答はこうだろう、「どっちでも、大して変わりないではないか」。

 https://www.nippon.com/ja/in-depth/a07002/#.X2K1Lf3dCe8.twitter
 
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生活世界は変わったか(2)~新しい異常から旧い正常へ

2020年05月24日 | 現代社会

先の投稿(20/5/14)、『生活は変わったか』において、
「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」との表現に違和感を示した。更に新しい活動から芽生えていくものが次の時代を牽引すると追記した。

その違和感の正確な表現をツイッター上で認める。問題意識に共通のものがあったと感じたからだ。以下の文章だ。

『コロナで「旧い正常」から「新しい正常」へ移行という解釈がもっぱらだけど、
コロナの前から「新しい異常」で「古い正常」に復するという方がずっと自然。
戦争とコロナを例えるなら、統制体制は、同時進行的には「新しい異常」、
戦後とは戦前の「旧い正常」という秩序に戻る意味合いがずっと強い。』
(齊藤 誠 @makotosaito0724 5月19日)

ナルホドと思う。戦争の例えは判り易く、「新しい異常」から「旧い正常」との表現が大局的に正しい。そこで、納得と共に、「但し、その旧い正常の中に新しい正常の芽のようなものも含まれると考えます」と応答、
「それが歴史の進歩ですね。」との回答を頂く。

『生活は変わったか』に関する筆者の発想を、これで自身として納得する。

齊藤誠・名大教授は経済学者、紫綬褒章受章(2014)。

成長信仰の桎梏 消費重視のマクロ経済学(勁草書房 2006)
競争の作法 いかに働き、投資するか(ちくま新書 2010)
経済学私小説<定常>の中の豊かさ(日経BP社 2016)
を読み、現代社会への経済学的視点を得る。

震災復興の政治経済学、原発危機の経済学(共に日本評論社)は力作(未読)。
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