散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

分配か、成長か、どちらが先か~総選挙のテーマ

2021年10月22日 | 国内政治

先ずは緊急の分配が必要だ。また、本格的な政策議論としては並行に議論を進める以外に道はない。言うまでもなく、コロナ禍の緊急対策として生活に困っているひとたちへの給付が必要だ。例えば、持続化給付金の減収規模に応じて再支給、家賃支援の継続的支給、国民への給付金も特に生活困窮の方には必須だ。これは政府の役割だ。

一方、成長は企業が積極的な投資を行うことが先決だ。そのためには規制緩和等が必要ではあるが、民間の領域のはずだ。従って、その効果が個々の国民にまで回るには、それなりの時間が必要だ。従って、どちらが先と言うことではないと筆者は考える。

しかし、日経新聞(21年10月6日)は、「日本の年収、30年横ばい 新政権は分配へ先ず成長」と主張する。

その論拠は、以下の二つである。

(1)90年代以降の30年間に日本の経済成長は停滞したままだったこと。
(2)日本における富の偏在は米英と比べて小さく、
   「ジニ係数」によれば、2010年代に所得格差は縮小している

(1)については、OECD加盟国平均よりも低いことは勿論だ!
アベノミクス・異次元金融緩和は、企業の内部留保と株価上昇により富裕層の財産を増やしただけで、トリクルダウンなどは起こり様がなかった。

では何故、(2)が起きたのか?いや、「ジニ係数」の魔術なのか?

例えば、年収が一億万円の人及び百万円の人が百人いた場合、
    上記から百万円の人が百人増加して二百人になった場合、
両者を比較すれば、「ジニ係数」の考え方から、前者と比較して後者が小さくなると思われる。
あるいは、年収一億円が九千万円になってもジニ係数は小さくなるだろう。しかし、この場合、日常生活に対する影響はないはずだ。

「記事には2019年の就業者数は10年前と比べて400万人増え、なかでも65歳以上の高齢者。女性の雇用が拡大した」と書かれている。
 しかし、ここまで書きながら、「富裕層も含めた国民全体の生活水準が地盤沈下」とも書いている。確かに間違いはない。だが、貧困層を含めた一般国民の視点から見れば、この記者が詭弁を弄しているように見えるであろう。

次のコメントが読者から「ひとこと解説」として付けられている。
特に日本で深刻なのは、所得が20年、30年停滞する一方、社会保険料や税金、大学授業料などは高騰を続けており、現役世代の生活が厳しくなり続けていることです。

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緩衝政党としての公明党~小さな声を、聴く力

2021年10月03日 | 国内政治

緩衝政党とは筆者の造語だ。政党間における調整機能を有する政党を意味する。

例えば、政党が三つ以上集まる場合、真ん中の政党が仲介してまとめることが挙げられる。55年体制以前、社会主義政党は保守と共産党の間で「共産主義」及び「戦前軍国主義」を牽制する役割を果たしていた。それ故、社会党の成立が保守合同の自民党を導き、自共の激突を抑える位置となった。

一方、55年の共産党六全協で暴力革命を放棄したことで役割が半減するが、それでも自民党の改憲路線を抑える意味で、二大政党制ではなく、1・1/2政党制の1/2の部分を占め、極右・極左を抑える緩衝役を果たしていた。

その後、上記の体制は少しずつ解体していく。
資本主義対社会主義の対立のなかで、社会党を割り、民主社会党(60年~)ができる。一方、高度経済成長とそれに伴う民族大移動の合間を載って、戦後の新興宗教も都会を中心に成長、その中から創価学会を支持母体とした公明党(64年~)が勢力を伸ばす。
この両党が自社の間で一定の勢力を持つ。

高度経済成長後(佐藤政権後)、自民党の派閥争いが「三角大福中」で一巡する。次の竹下以降、平成年代(89年~)では統治能力が衰え、混乱の中の合従連衡の時代となり、公明党も一時、分党、解党、新党などの試行錯誤の後、再結成して公明党を名乗る(98年~)。そこから自自公連立、自公連立政権へ至る(03年~)。
その後、民主党政権(09年)は共に野党、再度復帰する(12年~)。

自公連立で緩衝政党の強みが発揮されるようになる。
一つには自民党の軍事増強派を抑える役目が挙げられる。

だが、それよりも「国民」と「政権の中核与党(自民党)」を繋げる新しい役目だ。

公明党のキャッチコピー、「小さな声を、聴く力」がそれを示している。

具体的な国民の困り事を政策として提起、政策決定の正式ルートへ載せることだ。与党の一角であればこそ、議員の口利きとは全く違う形になる。両党の政策関係会議で決定、官僚機構を動かし、素早くできることだ。自党の地方議員がいないエリアであっても、地方自治体議員、党員レベルで課題を探し出すことはいくらも出来る。それを中央の与党機関へ結びつけ、国政レベルの具体的政策とする。

その意味で国民と政権との間の「緩衝政党」の役割を果たしている。即ち、自民党が見落としがちな政策を提案、政権として政策の幅を広げる効果がある。

 一方、特に問題となるのは憲法改正の発議であろう。自民党提案との隙間を埋める提案をできるのか?その真骨頂が問われている。

 

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岸田氏の突破力と説得力~自民党総裁選

2021年10月01日 | 国内政治

安倍長期政権のしっぽにぶら下がった形の菅政権のためか、前回の総裁選の内容は全く記憶にない。岸田、石破の立候補についても。今回は四人が立候補、それも混戦模様となり、久し振りの本格的総裁選であった。本格的とは、実質的に内閣総理大臣を選ぶことに他ならないからだ。それでも制度としては単なる一つの「党」だ。

丁度このとき、ドイツのメルケル首相が引退、総選挙が注目されていた。おそらく、ドイツ国民も投票しつつ、結果を注視していたはずだ。それは「党」を選ぶ選挙(連立を含む)であった。翻って日本では、自民党員だけで決める首相選挙の様相を示した。ここに大きな違いがある。

 しかし、マスメディアは党首選挙ではなく、首相選挙として報道する。これに立候補者も巻き込まれる。テレビ放映での呼びかけも、「国民の皆様!」であって、「党員、党友の方へ」ではなかった。
国民も戸惑ったに違いない。当初、菅総裁が無投票で選ばれると多くの方は思ったであろう。ところが菅首相の思惑を外れて、コロナ第五波は急激に発達する。政権は硬直したように見え、世論調査の支持率は大幅に落ちる。しかし、菅は総裁継続を意思表示する。

一方、自民の若手が「首相がこのままでは選挙が戦えない」と騒ぎ出す。これに対して二階幹事長は記者の質問を介して「失礼だろう」「自分がどうするかだ!」と強く反論する。筆者はこの話を聴き、「流石だ!混沌とした政治状況を生き抜いて今の位置を築いた方の言葉だ」と感じる。

一方、選挙公示後、岸田氏は対抗馬として立候補を最初に意思表示する。なかで、党内の閉塞感を打破する方法として党内の役職を「任期一年・継続三年」に定めると述べる。これは二階幹事長の長期留年をターゲットにしたと巷に解説が流れる。その後の経緯は良く知られている…菅の引退、岸田総裁の誕生だ。

今回の結果は岸田氏が決断即行動した結果だ。菅は混乱し、一気に政治活動が縛られ、政治過程は一気に状況化(予測せざる混沌状態)、退任へと追い詰められる。これがすべてだった。皮肉にも、コロナ禍の状況は回復基調となるのだが。

岸田の決断が結果として菅の退任を導く。その後の三名の立候補者は岸田によって新たに作られた「状況」にタダ乗りしたに過ぎない。河野、野田は管体制の中で立候補は慎み、残るは石破が立候補するのか、そんな「状況」だったからだ。

岸田の「突破力」は本物であった。また、その後の活動も地味ながら「説得力」があった。一方、河野は旗印にした「突破力」が本物ではなかった。立候補後の言動も顰蹙を買うことがあり、「取消―陳謝」にも追い込まれた。正直な感想は、人物的な限界を見る思いであった。

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