今回の橋下発言は「日本政府による慰安婦の強制連行の有無」関するものだ。しかし、それが人権問題に拡大されている。韓国政治学・浅羽祐樹氏は憲法学・木村草太氏との対談で「慰安婦問題は女性の人権問題として(世界に)捉えられ、日本軍の関与の有無は、国際社会ではまったく争点になっていない」と述べる。
先ず、慰安婦は軍への対応であるから、施設、衛生等に関して日本軍が関与していることは確かで、日本政府も認めている。従って、確かに争点ではない。しかし、「政府による連行は“日韓”の間では争点」なのだ。
浅羽氏も橋下氏の発言を読まずに、マスメディアの報道を鵜呑みにして、人権問題として捉えているのだろうか。そこから政治的イデオロギーに<還元する発想>と、「他人への思いやりがない」と断定する<短絡思考>に繋がることは先に記事にした。
『「人権問題」という原理主義的反応130622』
処で、人権問題は、その国内の問題を超えて、世界全体の問題であるから、直接には関係のない国でも発言は許されるとの考え方がある。一方で上記の考え方を見とげるが、先ず、該当国が考える問題だ、との考えもある。
同じようなことが、米国を始めとして諸外国にもあったし、ベトナム戦争での韓国軍にもあったとの指摘に対し、それはその国が考えるべき問題であって、日本の慰安婦問題とは別、との見解が示されるからだ。
そうであれば、政府による連行は、先ず“日韓”の争点である。しかし、米国はそうでもないらしい。日本に対する議決を下院、あるいは州議会で行っているからだ。では、米国に広く人権問題は発生していないのか?そんなことはない。
かつて、カーター大統領が人権外交を展開したが、それも個別に選択をすれば「偽善」になるし、すべての人権問題を取り上げれば「自己破壊」になるとの批判を受けた。即ち、人権問題は総論で賛成ではあっても、各論に取り上げれば国益に絡んだ現実問題が必ず浮上してくるからだ。
戦後、今日に至るまで、国際紛争あるいは国内の内紛によって様々な戦争・内戦の中で多くの暴力行為があったはずだ。おそらく、米国、ロシア(旧ソ連)、中国を始めとして人権に関して手を汚している国家・指導者は少なくないはずだ。従って、人権問題を取り上げるときの各国の態度は、ブーメランの如く、自らに跳らないように、ということになる。
その点、太平洋戦争で負けた日本を対象に、民主主義対全体主義のイデオロギーをたてに、日本軍の行為を特殊化(象徴的には性奴隷という言葉)し、叩くことは韓国、米国にとって極めて安全なアプローチになるのだ。その意味で人権問題は世界全体の問題で有りながら、今後も、具体的に政治問題化することによってしか、議論されることはないであろう。
慰安婦問題に関しても、歴史的事実と基金等による対応を含めて、正確に主張しながら対峙することが肝要であろう。
橋下氏は6/28のツイッターで朝日新聞の記事「慰安婦決議「各州議会に要請中」米下院のホンダ議員」を引用し、次の様に主張する。
「慰安婦の利用を正当化してはならない。反省し謝るところは謝る。しかし事実と異なることを言われれば、しっかり異議を出す。ホンダ議員の認識は間違っている。」
「このようなアメリカの政治家の動きに対して、日本の政治家は何も異議を申し立てしないのか。このまま黙っていたら日本が国家意思として女性を拉致・人身売買したことが事実になってしまう。」
日本は依然として<黙殺の文化>を維持するのだろうか。
先ず、慰安婦は軍への対応であるから、施設、衛生等に関して日本軍が関与していることは確かで、日本政府も認めている。従って、確かに争点ではない。しかし、「政府による連行は“日韓”の間では争点」なのだ。
浅羽氏も橋下氏の発言を読まずに、マスメディアの報道を鵜呑みにして、人権問題として捉えているのだろうか。そこから政治的イデオロギーに<還元する発想>と、「他人への思いやりがない」と断定する<短絡思考>に繋がることは先に記事にした。
『「人権問題」という原理主義的反応130622』
処で、人権問題は、その国内の問題を超えて、世界全体の問題であるから、直接には関係のない国でも発言は許されるとの考え方がある。一方で上記の考え方を見とげるが、先ず、該当国が考える問題だ、との考えもある。
同じようなことが、米国を始めとして諸外国にもあったし、ベトナム戦争での韓国軍にもあったとの指摘に対し、それはその国が考えるべき問題であって、日本の慰安婦問題とは別、との見解が示されるからだ。
そうであれば、政府による連行は、先ず“日韓”の争点である。しかし、米国はそうでもないらしい。日本に対する議決を下院、あるいは州議会で行っているからだ。では、米国に広く人権問題は発生していないのか?そんなことはない。
かつて、カーター大統領が人権外交を展開したが、それも個別に選択をすれば「偽善」になるし、すべての人権問題を取り上げれば「自己破壊」になるとの批判を受けた。即ち、人権問題は総論で賛成ではあっても、各論に取り上げれば国益に絡んだ現実問題が必ず浮上してくるからだ。
戦後、今日に至るまで、国際紛争あるいは国内の内紛によって様々な戦争・内戦の中で多くの暴力行為があったはずだ。おそらく、米国、ロシア(旧ソ連)、中国を始めとして人権に関して手を汚している国家・指導者は少なくないはずだ。従って、人権問題を取り上げるときの各国の態度は、ブーメランの如く、自らに跳らないように、ということになる。
その点、太平洋戦争で負けた日本を対象に、民主主義対全体主義のイデオロギーをたてに、日本軍の行為を特殊化(象徴的には性奴隷という言葉)し、叩くことは韓国、米国にとって極めて安全なアプローチになるのだ。その意味で人権問題は世界全体の問題で有りながら、今後も、具体的に政治問題化することによってしか、議論されることはないであろう。
慰安婦問題に関しても、歴史的事実と基金等による対応を含めて、正確に主張しながら対峙することが肝要であろう。
橋下氏は6/28のツイッターで朝日新聞の記事「慰安婦決議「各州議会に要請中」米下院のホンダ議員」を引用し、次の様に主張する。
「慰安婦の利用を正当化してはならない。反省し謝るところは謝る。しかし事実と異なることを言われれば、しっかり異議を出す。ホンダ議員の認識は間違っている。」
「このようなアメリカの政治家の動きに対して、日本の政治家は何も異議を申し立てしないのか。このまま黙っていたら日本が国家意思として女性を拉致・人身売買したことが事実になってしまう。」
日本は依然として<黙殺の文化>を維持するのだろうか。
私も慰安婦問題と橋下発言についてはいろいろと記事にしているので、トラックバックを入れました。