散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

追悼 山崎正和~戯曲から文明批評まで

2020年08月22日 | 回想
劇作家・評論家で文化勲章受章者の山崎正和が8月19日に亡くなられた(86歳)。

若い頃に社会の見方、そのなかでの自己の位置付けを考えるうえで、その著作を集注的に読んだ方のひとりだ。永井陽之助、山口昌男、江藤淳、吉本隆明…と共に。合掌!

最近ようやく書き上げた「自分史」の中で、氏の著作との出会いを次の様に表現した。

 タイトルに惹かれ、「後白河上皇対清盛」の対決を描く戯曲を読む。大学四年生、その日の実験が一段落つき、図書館で暫しの休息、傍らの新刊雑誌から中央公論を取って目を通したときだ。生い茂る「夏草」のなか、「野望」を賭けたツワモノどもが空しく蠢く様相が頭に浮かぶ。後白河上皇に、どこか現代に通じる冷徹な政治家像を感じる。


  副題「脱産業化の芽生えたときを掲げた60年代同時代史を新鮮な試みと感じる。世相史に載るような断片をコラージュしながら社会全体の流れを構成する。著者の時代認識を基にその方向性を示す。副題がそれにあたる。

 但し、BB世代はほぼ学生時代に対応する。社会にどっぷりと浸かってはいない。関心を持ったのは70年代の自分自身と関係する部分だ。サラリーマンの意識調査で従来の「勤勉型」「実直型」と異なる新しい二つのタイプを挙げる。ひとつは「商業文化適応型」で従来型に対する反逆派だが、従来型と表裏の関係にある。しかし、もう一方の「多趣味開拓型」は前者を超え、最も都会型の意識と評価する。

 更に関連して「60年代は政治学と文化人類学が大衆化した時代」と述べ、永井陽之助、山口昌男をそれぞれの学のスターのひとりとして紹介する。更に、この現象を「…戦前のような哲学の流行はなかったが…物事を根本的に考える態度の芽生え…」と評価する。

 何だ、自分もその型の範疇か?永井政治学ゼミの面々を想い起すが、卒業後は散らばる。しかし、著作が売れているから関心を持っている人も多いはず。世間は広い、仲間も何処にいると考え、改めてカルチュアスクールなどに行く気になる。

「或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民」(私家版)
 第9章(3)山崎正和と時代精神~変貌する社会の中で

 今、本棚を見て氏の『このアメリカ』と『アメリカと私』(江藤淳)が並ぶ。
 タイトルの差、正面からアメリカに挑む前者と、私の視点からアメリカと対峙する後者との差が、このふたりの命運を暗示しているように思える。

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活用不足と検証回避~『生活保護制度』の問題点(3)

2020年08月10日 | 地方自治
重冨たつや議員(川崎市議会)主宰、市民参加可能な研究会(6月)の続きになる。
筆者が見出した以下の問題点の三番目「捕捉率」について述べる。

1)生活保護との表現が意味する処→個人の活動領域(=生活)全体を監理する
2)憲法25条における「文化」とは→生存権の中での位置
3)捕択率(保護世帯数/保護水準以下の世帯数)が低い(~15%)→何故?


 以下、読売新聞『原記者の医療・福祉のツボ』「貧困と生活保護」から原正平記者の記事を引用する。
 https://yomidr.yomiuri.co.jp/feature/hara-hinkon/
 厚労省は民主党政権下において、生活保護の捕捉率の推計を初公表(2014/4)した。
(同省ナショナルミニマム研究会第8回資料「生活保護基準未満の低所得世帯数の推計について」) 


 厚労省「国民生活基礎調査」2007年をもとに計算
 世帯総数          (A)  4802万世帯
 生活保護基準未満の世帯   (B)   597万世帯(12.4%)
 保護基準未満(資産考慮)の世帯(C) 229万世帯( 4.8%)
 当時の生活保護世帯数    (D)  108万世帯
 所得のみで判定    D/(B+D)=15.3%


ここで用いた保護基準額は、生活扶助、教育扶助、高校就学費の合計、住宅扶助、医療扶助は、保護基準額に入っていない。実際の低所得世帯はもっと多く、生活保護による捕捉率はもっと低い。制度の「活用不足」は明白だ。更に、その後の厚労省の調査公表はなく、「検証回避」の姿勢は明らかだ。


一方、研究者の推計でも捕捉率は2割に満たない。
戸室健作准教授(山形大学)は総務省「就業構造基本調査」から貧困率、捕捉率、都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、貧困率、捕捉率を検討した。所得のみで判定した2012年の捕捉率は、全国平均15.5%であった。最後に以下のように述べる。

貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率は、関西以西と東北以北の地域で、恒常的に数値が高い傾向にあった。しかし、重要なことは、それらの地域間格差が、急速に高位平準化の方向で縮小していることである。

 この間、貧困率の地域間格差は、2.94倍(1992年)→1.63倍(2012年)、ワーキングプア率は4.34倍(1992年)→2.06倍(2012年)、子どもの貧困率は5.37倍(1992年)→2.35倍(2012年)へと激しく縮小した。もはや貧困は、特定の地域に固有の問題ではなく、全国一般の問題、日本各地で見られる問題へと深刻化している。
 貧困が全国一般の問題となっているが、各地域レベルでの努力によって貧困の解消を図ることには限界がある。国が率先して貧困の削減を進めるべきだ。
 具体的には、生活保護費の全額国庫負担化を実現するべきである。それによって、本論文で明らかにしたような2.38倍にも上る捕捉率の地域間格差を解消させ、なおかつ全国で10%台にすぎない捕捉率の上昇を期待することができる。

山形大学人文学部研究年報 第13号(2016.3)33-53
「都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、捕捉率の検討」
https://web.archive.org/web/20160731030445/http://www-h.yamagata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/04/nenpou13_03.pdf





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憲法25条における「文化」の意義~『生活保護制度』の問題点(2)

2020年08月06日 | 文化


重冨たつや議員(川崎市議会)主宰、市民参加可能な研究会(6月)の続きになる。
筆者が見出した以下の問題点の二番目について述べる。

1)生活保護との表現が意味する処→個人の活動領域(=生活)全体を監理する
2)憲法25条における「文化」とは→生存権の中での位置
3)捕択率(保護世帯数/保護水準以下の世帯数)が低い(~15%)→何故?

生活保護法の最初は憲法25条から始まることは周知だ。
生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

そして、幾つかの訴訟が最高裁まで進み、生存権に関する判断が下されている。しかし、「文化的」とは何かについて議論された様子はみられない。

憲法のなかで他に「文化」と書かれた箇所を探してみたがなかった。法律・政治の世界では文化は無縁なのだろう。そこで「日本国憲法25条、文化的」でネット検索した処、最初の画面に以下の研究の「レジメ」が記載されていた。

「日本国憲法第25条「文化」概念の研究 ―文化権(cultural right)との関連性―」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6187.html

そのレジメの中で、特に「文化権」の概念及び「憲法成立過程の議論」が生活保護の内容の再定義を迫るものに感じた。特に後者において、その研究で著者は以下のように述べる。

憲法第25条第1項はGHQ案には存在せず、国会審議の過程で社会党提案によって挿入された。日本国憲法成立過程では、憲法第25条に限らず「文化」が論じられる場面が多々あり、その中でも頻繁に用いられたのは「文化国家」論であり、“附帯決議”でも言及された。

憲法25条第1項への挿入の立役者は森戸辰男と鈴木義男だ。彼らは生存をつなぐのに留まらない生活を表現するのに「文化」という文言を用いていた。特に鈴木は「人格的生存権」を提唱し、単なる生存とは明確に区別する立場をとる。

大正期に広まった「文化」概念は文化主義論争等の議論を通じて、人間のよりよい生の実現を目指す理念として、生活と結びついてその理想を語るものとして用いられた。日本国憲法第25条は、生存維持を保障される権利と、文化的生活を保障される権利を一体として生存権として保障すべきという回答を出したと言える。
しかし制定後の学説・判例において、第25条第1項は単なる経済的な生存維持に矮小化していった。その遠因として、生存権と生活権の区別の不徹底が挙げられる。

著者の結論は見事であり、大きな問題的だと筆者は考える。
また、著者は文化権の視点から議論を進めており、法律学者の対応も求められる。

以上の議論を踏まえ、その再定義として例えば、文化的生活の基盤として「平日と休日」の区別、文化人類学的な「ハレ」と「ケ」の循環、具体的には地域における展覧会、音楽会、美術展、遊園地等の休日券配布を考え、また、本人の研鑚、子弟の教育等の援助等の必要制をと筆者は考える。





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憲法25条における「文化」の意義~『生活保護制度』の問題点(2)

2020年08月06日 | 地方自治

重冨たつや議員(川崎市議会)主宰、市民参加可能な研究会(6月)の続きになる。
筆者が見出した以下の問題点の二番目について述べる。

1)生活保護との表現が意味する処→個人の活動領域(=生活)全体を監理する
2)憲法25条における「文化」とは→生存権の中での位置
3)捕択率(保護世帯数/保護水準以下の世帯数)が低い(~15%)→何故?

生活保護法の最初は憲法25条から始まることは周知だ。
生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

そして、幾つかの訴訟が最高裁まで進み、生存権に関する判断が下されている。しかし、「文化的」とは何かについて議論された様子はみられない。

憲法のなかで他に「文化」と書かれた箇所を探してみたがなかった。法律・政治の世界では文化は無縁なのだろう。そこで「日本国憲法25条、文化的」でネット検索した処、最初の画面に以下の研究の「レジメ」が記載されていた。

「日本国憲法第25条「文化」概念の研究 ―文化権(cultural right)との関連性―」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6187.html

そのレジメの中で、特に「文化権」の概念及び「憲法成立過程の議論」が生活保護の内容の再定義を迫るものに感じた。特に後者において、その研究で著者は以下のように述べる。

憲法第25条第1項はGHQ案には存在せず、国会審議の過程で社会党提案によって挿入された。日本国憲法成立過程では、憲法第25条に限らず「文化」が論じられる場面が多々あり、その中でも頻繁に用いられたのは「文化国家」論であり、“附帯決議”でも言及された。

憲法25条第1項への挿入の立役者は森戸辰男と鈴木義男だ。彼らは生存をつなぐのに留まらない生活を表現するのに「文化」という文言を用いていた。特に鈴木は「人格的生存権」を提唱し、単なる生存とは明確に区別する立場をとる。

大正期に広まった「文化」概念は文化主義論争等の議論を通じて、人間のよりよい生の実現を目指す理念として、生活と結びついてその理想を語るものとして用いられた。日本国憲法第25条は、生存維持を保障される権利と、文化的生活を保障される権利を一体として生存権として保障すべきという回答を出したと言える。
しかし制定後の学説・判例において、第25条第1項は単なる経済的な生存維持に矮小化していった。その遠因として、生存権と生活権の区別の不徹底が挙げられる。

著者の結論は見事であり、大きな問題的だと筆者は考える。
また、著者は文化権の視点から議論を進めており、法律学者の対応も求められる。

以上の議論を踏まえ、その再定義として例えば、文化的生活の基盤として「平日と休日」の区別、文化人類学的な「ハレ」と「ケ」の循環、具体的には地域における展覧会、音楽会、美術展、遊園地等の休日券配布を考え、また、本人の研鑚、子弟の教育等の援助等の必要制をと筆者は考える。





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“保護”が意味すること~『生活保護制度』の問題点(1)

2020年08月01日 | 地方自治
無所属で若手、重冨たつや議員(川崎市議会)が主宰、市民の参加が可能な研究会(月1回)に出席している。テーマを設定し、各10分程度の発表、質疑応答・議論する。特にまとめはないが、重冨議員の議会での一般質問(議員個人質問)へと昇華される。

4月から新コロナウィルス感染対応で延期になったが、6月に再開、7月に入ってZoom会議となる。出席者は6,7名程度、少人数で議論も活発になる。

先ずの報告は6月テーマの『生活保護』、
筆者が見出した問題点は以下の三点。

1)生活保護との表現が意味する処→個人の活動領域(=生活)全体を監理する
2)憲法25条における「文化」とは→生存権の中での位置
3)捕択率(保護世帯数/保護水準以下の世帯数)が低い(~15%)→何故?

本稿では1)を論じる。
普段は何も考えないで「生活保護」という言葉を聞き、また、使うこともあっただろう。
しかし、改めてこの言葉に向き合うと違和感が湧いてくる。何故だ!?
個人にとって、「生活」とはその人の活動すべてを含む表現になる。それを丸ごと保護するとはその人全体を監理する発想に繋がる。例えば保護監察、保護司などの法律用語が思い浮かぶ。「生活支援」、「生活補助」との呼称であれば穏やかなのだが。

筆者は地域の民生委員を2年間務めたことがある。市長から任命を受けるが、援助業務の対象のトップには生活保護者が挙げられていた。今から思うとナルホドそうか!とのおかしな納得になる。当然、暖かい眼…だが、公的機関による監察の側面も否定できない。

更に監理・監察は「隔離」の発想に結びつく。
戦後の欧米先進国は「精神病患者」を施設に隔離するのではなく、地域社会のなかに居場所と働ける場を用意する政策を主流にした。一方、日本は病院に隔離する政策を変えていない。それが「精神病床数」となって表れる。

欧米はグループホームを受皿にして、患者が社会復帰を目指す出口戦略に切り替える。これによって「精神病床数」は70年代以降、各国共に急激に下がる。一方、日本は病院に患者を隔離収容する考え方を変えず、病院の営利政策、生活保護費を当てにしてベッド数で稼ぐモデル、に任せたままだ。
(『日本国・不安の研究』PHP研究所、2020年)。

<民生委員制度>と<精神病院システム>は「保護思想」を介してどこかで繋がっているように、筆者には思える。これが日本的近代の遺産の一つかもしれない。
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