若い頃に社会の見方、そのなかでの自己の位置付けを考えるうえで、その著作を集注的に読んだ方のひとりだ。永井陽之助、山口昌男、江藤淳、吉本隆明…と共に。合掌!
最近ようやく書き上げた「自分史」の中で、氏の著作との出会いを次の様に表現した。
タイトルに惹かれ、「後白河上皇対清盛」の対決を描く戯曲を読む。大学四年生、その日の実験が一段落つき、図書館で暫しの休息、傍らの新刊雑誌から中央公論を取って目を通したときだ。生い茂る「夏草」のなか、「野望」を賭けたツワモノどもが空しく蠢く様相が頭に浮かぶ。後白河上皇に、どこか現代に通じる冷徹な政治家像を感じる。
副題「脱産業化の芽生えたときを掲げた60年代同時代史を新鮮な試みと感じる。世相史に載るような断片をコラージュしながら社会全体の流れを構成する。著者の時代認識を基にその方向性を示す。副題がそれにあたる。
但し、BB世代はほぼ学生時代に対応する。社会にどっぷりと浸かってはいない。関心を持ったのは70年代の自分自身と関係する部分だ。サラリーマンの意識調査で従来の「勤勉型」「実直型」と異なる新しい二つのタイプを挙げる。ひとつは「商業文化適応型」で従来型に対する反逆派だが、従来型と表裏の関係にある。しかし、もう一方の「多趣味開拓型」は前者を超え、最も都会型の意識と評価する。
更に関連して「60年代は政治学と文化人類学が大衆化した時代」と述べ、永井陽之助、山口昌男をそれぞれの学のスターのひとりとして紹介する。更に、この現象を「…戦前のような哲学の流行はなかったが…物事を根本的に考える態度の芽生え…」と評価する。
何だ、自分もその型の範疇か?永井政治学ゼミの面々を想い起すが、卒業後は散らばる。しかし、著作が売れているから関心を持っている人も多いはず。世間は広い、仲間も何処にいると考え、改めてカルチュアスクールなどに行く気になる。
「或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民」(私家版)
第9章(3)山崎正和と時代精神~変貌する社会の中で
今、本棚を見て氏の『このアメリカ』と『アメリカと私』(江藤淳)が並ぶ。
タイトルの差、正面からアメリカに挑む前者と、私の視点からアメリカと対峙する後者との差が、このふたりの命運を暗示しているように思える。