「議会における議事内容を知れば、自治体行政の全体像を理解できる」というのが筆者の発想の起点であった。そこで、議会改革を目指す、川崎市議会を語る会(世話人:筆者)の中で、『市民による川崎市議会白書』を企画、2010年、2011年に編集・発行した。
議会改革の考え方からは、討論の場であり、予算・決算、条例に関する意思決定の場である議会が、単なる質問の場であり、「議場」とすれば立派だが、機能としての「議会」の姿にはなっていないのだ。議会として最重要の仕事であるの議事は低調を極めるのだ。
一方、情報提供の場としては、行政側の答弁が市政の現状を説明しているという意味で、少なくても質疑の時間の50%は意味があるとも云える。その行政側の情報を引き出す役割をするのが、議員の仕事と云うわけだ。
さて、この場合、選挙の洗礼を受けて、市民の中で活動している議員によって構成される議会の、市政に対する貢献度をどの様に評価すれば良いの?行政に対する質問は、どの程度の意味があるのだろうか。測りかねるものがある。
これに対して、先ず意思決定機関としての機能を果たすために、新たな条例の制定あるいは既存の条例を含めた改定がある。例えば、地方の特産品に関する条例だ。しかし、これはニッチな政策の領域になる。また、新たな社会問題に対応する条例もある。最近の例で云えば、子ども虐待防止条例、自殺防止条例などだ。これは理念条例になり、具体策は行政が対応することになる。
この様に、意思決定機関としての機能を果たすにしても、それはニッチな領域を探すことが主眼になるのではなく、広く市政を知りつつ、その課題を見出し、政策として追求し、練り上げていく能力を身につけなければならない。
従って、個々の議員が、一方で、日頃の議員活動として市民の市政に対する要求等を把握しながら、もう一方で、行政のチェックを厳しく行い、個々の政策の全体像を描き、具体的な問題点を政策に落とし込む必要がある。
しかし、現状は、議会での会派であれ、議員であれ、その質問は大体において、筆者らが云う「状況把握」質問に終始することが大部分である。しおうすると、先にも書いた様に、質問そのものには意味が無く、行政側の答弁だけが結果として残ることになる。
また、かつて、片山前総務相(当時は前鳥取県知事)が、地方議会は八百長、学芸会をしていると述べた様に、川崎市議会での例では、質疑応答は事前の質問者と答弁部局との摺り合わせによって、シナリオが出来上がり、特に答弁側の局長は原稿の棒読みになる。すなわち、単なる結果報告で何が質問から得られた新たな政策なのか、不明なのだ。
そこで、議会は先ず、本会議及び委員会審議での議事を政策毎にまとめることが必要だ。次に、個々の政策に対する議会の貢献度を自ら評価するべきだ。議会改革が進展した地方議会は多くあるが、その結果、その自治体の政策に議会がどの程度に関与したのか、明らかにする必要がある。
例えば、会津若松市議会は「議会からの政策形成」(ぎょうせい(2010年))を謳っているが、それは一つのニッチ条例を作るプロセスに過ぎない。市全体の政策の中で、それらの政策形成のアプローチが、どこまで市政の政策に浸透しているのか、さっぱりわからない。
議会改革が市政の何に影響を及ぼしているのか、これまで報告例がないように見えるし、問題意識としても浮かび上がってこない。議会基本条例が各地の議会で成立し、その数が増えても、結局、何も変わらなかったとの評価を受けない様に、議会による「議会白書」を刊行する議会が増えることを望みたい。
本稿はブログ「住民自治の探検へ」として投稿したもの(2014-09-11)、
筆者としてまとめるために、本ブログへ、今回再投稿する。