趣味と節約と時に妄想の記録

節約を通して未来を創造するブログです。
時に妄想も書いたりします。時々趣味の写真もUPします。

食の自由

2010年01月25日 09時23分15秒 | つぶやき
今日は思い出話。しかも、単なるぼやきかもしれない。

子供の頃、特に小学生の頃、私は、給食の肉がどうしても食べられなかった。家でも肉がどうしても食べられなかった。野菜も家の畑で少し作っていたが、親父が農薬をたっぷりかけて作っていたので食べる気があまりしなかった。

食べられる食材は、海苔と魚と貝類に、ふりかけと少量の野菜だった。

給食では酷い目にあった。肉を残したら担任の先生に無理やり食べさせられた。

それでも、食べたく無くてパンに挟んで家に持ち帰った記憶がある。

兎に角、肉を口に入れると吐き気をもよおしたのだ。

私が、病気がちになったのも肉を食べられるようになってからだ。

今は吐き気はもよおさないが、美味しいと感じた事は無い。

家族があるので、自分だけ別なメニューを食べる訳には行かないが、ほとんど肉がメインになる事は無い。


月日が流れ、今は逆に、菜食主義やマクロビオテックが見直されている。

人が信じる物とは一体なんだろうと思う。

今なら、給食は食べられる物と食べられない物の自由性が認められているようだ。

当然な話だと思う。約40年前は、全く自由が無かったのだろう。

好き嫌いの自由さえなかった。

それだけ、社会そのものが様々な考えを理解できるまで成長したのであろうか。

とは言え、禁酒、禁煙、おまけに肉も食べない生活をしている人は少数であろう。

だが、しようとしてそうなった訳では無い。自然にそうなったのだ。酒と煙草は体が受け付けない。肉もそうであった。

たんに生まれながらにそうであっただけ。

本当は、当時の先生に対する批判を書きたかったが、彼ら彼女らも所詮は、大勢の組織の一員にしか過ぎない。

約40年が過ぎ、肉を食べなかった少年は、菜食主義の立場から見たならば、正しかった事になる。

そんな私だが、鶏肉だけは食べられる。厳密には鳥も4つ足になるのだが、何故食べられるようになったか?

実は、それにはドラマがあったりするのです。気が向いたら書いてみようかな・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天気図から妄想へ | トップ | 古代の遺跡より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

つぶやき」カテゴリの最新記事