昨夜TVの報道をみてふと思ったのですが、特に東海地方は今年と来年の夏は大型台風襲来に警戒して、防災意識を高めたほうが良いのではと・・・。
特に名古屋は金城埠頭とか中部国際空港とか、伊勢湾の開拓利用が進んでいます。
経済の発展はそれはそれですばらしい事なんでしょうけれども、どうも住んでいる人々や利用する人々の潜在意識化で大型台風への怖れとか自然界への畏れ(穢れ)が低下しているよう気がします。
個人的には59という数字は素数なので約数がありません。また60は、12の倍数であり(干支)様々な自然のリズムと共鳴し易い周期でもありますね。
古来より59、60、61は前厄、本厄、後厄といって畏れられて来ましたね。 本来何も無いはずの周期だったのでしょうか?そこは不明ですが、人間の潜在意識の共通概念として薄れて来ているとは思えますが、まだ脈々と時を刻んでいる気がしてなりません。
補足 伊勢湾台風は1959年(昭和34年)9月26日に上陸。東海地方に甚大な被害を与えた。今年は59年目の年にあたると思われるが、起点の解釈によりずれもあるみたい。
スピ系の有名な方が書いておられるように、皆が意識をしておれば、大難は小難になり小難は消えて行くという潜在意識化の量子力学があるそうなので、名古屋はダサいとか文化意識が低いとか云われても、地味に一歩一歩進む姿勢が自然界の大難を小難に昇華させているのかも?
ま、静かに大自然と向き合う時間を今後三年間は持ちましょうよってお話です。
正直、オリンピックで浮かれている場合じゃー無いのでは?
で妄想的この夏の傾向ですが、 上陸台風は少ないものの大型化する傾向になりそうな予感。 科学的根拠はありませんよ。
今の気流(高気圧)の流れですと十分ありそうです。
さて自然界の流れは必ず経済にも反映されます。 すでにお気づきでしょう。 消費増税にカンフル剤のオリンピック。
国内には問題が山済み・・・。
なぜか周期と合致して見えるのは僕だけでしょうか?
いつの時代にも問題は山済みだったとは思いますが、人々の寿命も今ほどは長くは無く、またこれほど経済第一主義ではなかったのでは?と思いますね。当然グローバル社会では無かったですね。
きっとこの3年間は大いなる自然界が人々の潜在意識を観察されることでしょう。
特に名古屋は金城埠頭とか中部国際空港とか、伊勢湾の開拓利用が進んでいます。
経済の発展はそれはそれですばらしい事なんでしょうけれども、どうも住んでいる人々や利用する人々の潜在意識化で大型台風への怖れとか自然界への畏れ(穢れ)が低下しているよう気がします。
個人的には59という数字は素数なので約数がありません。また60は、12の倍数であり(干支)様々な自然のリズムと共鳴し易い周期でもありますね。
古来より59、60、61は前厄、本厄、後厄といって畏れられて来ましたね。 本来何も無いはずの周期だったのでしょうか?そこは不明ですが、人間の潜在意識の共通概念として薄れて来ているとは思えますが、まだ脈々と時を刻んでいる気がしてなりません。
補足 伊勢湾台風は1959年(昭和34年)9月26日に上陸。東海地方に甚大な被害を与えた。今年は59年目の年にあたると思われるが、起点の解釈によりずれもあるみたい。
スピ系の有名な方が書いておられるように、皆が意識をしておれば、大難は小難になり小難は消えて行くという潜在意識化の量子力学があるそうなので、名古屋はダサいとか文化意識が低いとか云われても、地味に一歩一歩進む姿勢が自然界の大難を小難に昇華させているのかも?
ま、静かに大自然と向き合う時間を今後三年間は持ちましょうよってお話です。
正直、オリンピックで浮かれている場合じゃー無いのでは?
で妄想的この夏の傾向ですが、 上陸台風は少ないものの大型化する傾向になりそうな予感。 科学的根拠はありませんよ。
今の気流(高気圧)の流れですと十分ありそうです。
さて自然界の流れは必ず経済にも反映されます。 すでにお気づきでしょう。 消費増税にカンフル剤のオリンピック。
国内には問題が山済み・・・。
なぜか周期と合致して見えるのは僕だけでしょうか?
いつの時代にも問題は山済みだったとは思いますが、人々の寿命も今ほどは長くは無く、またこれほど経済第一主義ではなかったのでは?と思いますね。当然グローバル社会では無かったですね。
きっとこの3年間は大いなる自然界が人々の潜在意識を観察されることでしょう。