Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

東京サンケイビル、サンケイ新聞の鎧兜

2005年09月05日 22時27分08秒 | Journal
 朝日新聞を散々に悪く言ったが、購読紙は朝日。毎日眺める新聞だから注文もしたくなる。そこへいくと、サンケイ新聞(産業経済新聞)は数えるほどしか読んだことがない。今の作品を書くようになってから、時々、歴史問題の照合のために駅の売店などで購入して読む。往々、ちゃちな主張を展開しているが、何年か前、会社の同僚が「日本人の本音がそのまま出ていて分かりやすい」と評した通り、大人びてひねくれた朝日などよりも単純明解だ。
 写真の東京本社が入る東京サンケイビル(2000年11月完成)の前は、工事中の頃から経団連ビルへ行く道すがら、週に1回は通った。いかにも不安定な構造だ。子供が積み木遊びで不安定を好むように、危なっかしい。腕白、我がまま勝手な論調が、一定の読者(200万ぐらい)を獲得しているのだから、ちょうど似合った制服、いや、庶民に手ごろなオピニオンを勇ましげに見せる鎧兜といったところ。あの程度の言論機関でも、こうした立派なビルが建つのだから、資本主義は恐い。

 COMMENT: サンケイ新聞は、1913年、大阪にて、前田久吉が新聞販売業として創業。1922年「南大阪新聞」創刊、1923年「大阪新聞」に改称、1933年「日本工業新聞」創刊、1942年、新聞統廃合令で「産業経済新聞」となる。1950年、東京へ進出し、紙面を経済紙から一般紙へ変更。以後、この全国紙化で多額の借金を抱え、財界に支援される一方、労使協調路線で大リストラの「産経残酷物語」が始まる。そういえば、「サンケイは記者の数が非常に少ない」と元記者から聞いたことがある。こうして見てくると、大阪の新聞販売業から「経済紙」発行、経済紙から経済界の協力で「全国紙」に成り上がってきたことが分かる。いずれにしても来歴からして、第三者性を持てるリベラルな新聞ではあり得ないのだ。この金まみれに肥大化したフジサンケイグループの一角にホリエモンが果敢に買収チャレンジしたというのも、今は昔の可愛い話だ。
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