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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

福沢諭吉翁の横顔とお金への基本スタンス(慶應三田キャンパス図書館前)

2008年09月08日 21時55分07秒 | Journal
 写真の横顔、福沢諭吉翁はいやに威厳に満ちている。実際、ここまで立派な顔だったかあやしいが(翁の像を正面から見ると小商人風である)、Wikipediaにある若い頃の写真はなかなかの好青年。福沢は大分・中津藩の下級藩士の息子だったが、小生はたまたま中3と高校時代が大分だったので、福沢のことは耳に届いたし、なんとなく意識していた。歴史的な有名人の少ない大分にあって、福沢は今でも郷土の出世頭だろう。慶應の入試でしくじった恨みよりも、暗い青春時代を過ごした九州の大分という保守的な田舎をどうも好きになれなかったことが、福沢嫌い、慶應嫌いにつながっている気もする。その大分では学校の校長らが自分の子弟が受験した教員試験で贈賄を行っていた。慶應でも医学部准教授が出資法違反で家宅捜査を受けた健康食品会社L&Gから、研究会の「事務局」として多額の資金を受け取っていた。どうも、高校時代に孤立し切って感じていた胡散臭さへの勘働きが今ごろ瑣末なところで現実化している。福沢は大分で育ったが、生まれは大阪の堂島。世界で始めて商品先物市場が誕生した金融の街だ。儒学者でもあった福沢の父親は、商人からの借財を扱う職責にあったという。そうした生まれ育ちが、お金に対する福沢の、慶應の基本スタンスを形づくったのかもしれない。
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