折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

再び「天声人語」への疑問

2012-08-21 | 日常生活


8月19日付本ブログで「天声人語」の言葉の使い方に関して、小生なりの疑問を呈したが、今回も「天声人語」への一つの疑問である。

写真は8月18日付の天声人語の全文である。

お読みいただくとおわかりのとおり、この日のテーマは、将棋の話を引き合いに、現在の政治状況と来るべき総選挙について様々な角度から考察し、一人ひとりへのメッセージとして

▼A党はイヤだからB党、B党がダメなのでC党・・・。かれこれ20年、有権者は早指し将棋よろしく「直感の一票」を投じてきたが、いよいよ長考の時である

と結論の部分もまた将棋の話で『締め』ている。

「今こそ大切な時だ、この際、これまでと違って一人ひとりが立ち止まってじっくり考えて行動すべきだ」というメッセージを将棋の「長考」になぞらえた意図は痛いほどよくわかる。

問題は、「長考」という言葉の使い方、用い方である。

というのは、本コラムの冒頭で

将棋で、長考に好手なしという。時をかけても巧い手は浮かばないと。

と長考について余り肯定的でない書き方をしている。(「下手な長考、休むに似たり」という格言に近い?)

この冒頭の話とコラムの結論の部分の「いよいよ長考の時である」という論旨が、何ともチグハグに思えてならないのである。(例えば、「今こそ好手に結びつける長考の時である」などはどうだろう。)

将棋や囲碁と言った勝負には、しばしば「見落とし」、「錯覚」といったことがつきものだ。

また、「上手の手から水が漏れる」という格言もある。

今回の将棋を引き合いに出した天声人語も、コラム担当者の「見落とし」、「錯覚」あるいは「上手の手から水が漏れる」類の話なのかなと思った訳だが、ひょっとして全くもって小生の「ひとりよがり」、「揚げ足取り」なのかもしれないが・・・・・。


写真&俳句VOL87~猛暑の潮目

2012-08-20 | 写真&俳句



猛(たけ)き夏     潮目変わるや    空と雲


今年の夏の暑さは尋常でない。

じりじりと照りつける日差しは、肌に突き刺さって痛い。

「猛き夏」という表現がぴったりだ。

数日前も猛烈に暑かった。

そこで「猛暑」を体感して見ようと、一番暑い午後の2時過ぎに表に出てみた。

そこには、ぎらぎらと照りつける太陽と抜けるようなブルーの空と真っ白い雲が三位一体となっていた。

そして、その空の青さと雲の形を見て、この「猛き夏」もいよいよ終りが近づきつつあるのかなと感じた次第である。

その後、暑さは依然として続いているものの、あの日を境に朝、晩は吹く風に涼しさが感じられ、また、それまで全くなかった「夕立ち」が続けてあるなど、猛暑の勢いも少しずつながら衰えを見せ始めている。

『耐える夏』ももうしばらくの辛抱か。

「天声人語」の言葉の使い方をめぐり「喧々諤々」

2012-08-19 | 日常生活
問題の『うまい具合』という言葉が使われている、8月10日付の天声人語の抜粋


少し前の話になる。

夏休みで我が家に遊びに来ていた孫たちが、宿題をやるというので、小生も何日分も貯め込んでいた「天声人語書き写しノート」を一緒にやることにした。

8月10日分を書き写ししていて、ある個所に来て手が止まってしまった。

その個所とは、▼長崎からの放送を、エアコンのない部屋で見た。うまい具合に涼風が吹くこともなく、セミの合唱だけが網戸を抜けてくる。節電が習いとなり、暑さには多少の免疫ができた。

という文章の中のうまい具合に涼風が吹くこともなくというくだりである。

この「うまい具合」という言葉の使い方に大いに違和感を感じ、

そばにいた息子に

「うまい具合」という言葉は、『うまい具合に涼風が吹いた』という時に使うんで、うまい具合に涼風が吹くこともなくという使い方は、おかしいんじゃない」

と率直な疑問を呈する。

「確かに、こう言った使い方は余り見たことも、聞いたこともないけど、間違った使い方だと決めつけられないんじゃない」

と冷静な息子。

「そうかな、オレは絶対おかしいと思うよ」

と一歩も引かない小生。

「天声人語ともなれば、言葉の使い方には厳しいチェックが入ってるんだから、間違いなんてありえないんじゃない」

とかみさん。

「そう言われれば、そうなんだろうが、オレの文章感覚からすれば不自然で何とも納得がいかない」

と、まだ自説に固執する小生。

「おとうさんたら、言い出したら後に引かない『頑固者』なんだから。おとうさんの『独りよがり』よ」

と追い打ちをかけるかみさん。

「夏休みの自由研究にしてみたら」

と子どもたちに水を向ける息子。

「自由研究には、ちょとならないんじゃない」

とKくん(小学6年生)

「自由研究でなくても、先生に聞いて見ればいいじゃん」

とSくん(小学5年生)

「おぉ、それはいいね」

ともろ手を挙げて賛成する小生。

かくして、コピーされた8月10日付天声人語は孫たちの先生に託されることに。

果たして、先生はどんな見解を示してくれるか、孫からの返事が楽しみである。

写真&俳句VOL86~セミの命

2012-08-17 | 写真&俳句
公園の横断歩道のところで一生を終えたアブラゼミ。


儚さや     セミ命終え     時めぐる


朝の散歩の帰り道のこと。

家までもうちょっとという所にある公園にさしかかると、それまで喘ぎ喘ぎ後ろを歩いていた愛犬のパールが綱を引っ張って前に出ようとする。見ると路上にアブラゼミの死骸が横たわっている。車にひかれた様子もないので、死んで間もないものと思われる。しかし、もうその体にはアリたちが群れていた。

パールが食べないように注意深く通り過ぎてしばらく行ったところで、

「待てよ、このままだとあのセミは誰にも看取られることなく土に還ってしまうが、カメラに収めてブログに掲載すれば、少なくとも小生の記憶の片隅に残ることになる」と愚にもつかない考えが湧き、急いで引き返して写真に撮った次第である。

写真&俳句VOL85~迎え盆

2012-08-14 | 写真&俳句



田舎道    孫楽しげに     迎え盆


お盆の13日、息子、娘、孫たちを連れて実家に行って来た。

午後3時半過ぎ、みんなで揃ってお墓に。

孫たちは、途中で用水をのぞき込んで「ザリガニがいる」「メダカもいるぞ」とたびたび道草を食いながら、田舎の行事にちょっと興奮気味。