折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「たら」、「れば」の世界の物語だが・・・~映画「ベンジャミン・バトン」

2009-03-16 | 映画・テレビ
戦争で息子を死なせてしまった一人の時計職人が「逆」に時を刻み続ける時計を作る。

そして、時計が逆回りで秒を刻み始める。

映画「ベンジャミン・バトン」はこんな場面から始まる。

そして、この逆回りし始めた時計に合わせて、「老人」として生まれ、「赤ん坊」として死んでいくという宿命を背負わされた一人の男・ベンジャミン・バトンの「逆回り」の人生が始まる。

「おぎゃっ」と生まれ、それぞれの寿命を全うして終わる、それが生きとし生けるものの常である。 

普通の人が時間の経過と共に当たり前のように年を重ねていくのに、映画の主人公だけが一人時間が逆回りして「若返」って行くのだ。
そして、彼が迎える終着駅は「赤ん坊」として、その命を終えることになるのだ。


映画は幾つものエピソードを絡めて、この逆回りの人生の喜怒哀楽を克明に描いてゆく。

特に、この逆回り人生の「悲劇」の象徴が、愛しい人との出会いと別れである。

即ち、若返って行く主人公と年を重ねていくヒロインの時間が「青春」時代にクロスし、二人は結ばれる。

そして、二人の間に子供が生まれる。

普通であれば、子供の成長と共に二人とも年を重ねていくはずなのだが、人と同じ方向に進めない主人公の場合、時間の進行が二人を別っていく。


ヒロインは、生まれた子供と、もう一人これから子供になっていく主人公の二人の子供のことを思い、苦悩する。

そして、二人は「別離」を選択するのだが、お互いに愛し合いながら、お互いを思いやってこの結論を出す場面は、切ないし、逆回り人生の非情さに身をほだされる。


「死ぬ時は、誰しも「赤ん坊」に帰るんだ」とはよく耳にするが、そして映画ではまさにその通り、肉体的に「赤ん坊」に戻った主人公が年老いた愛しい人の腕の中でその一生を終えるのであるが、小生としては人生の終わりは、やはり年老いて迎えたいものだとしみじみと思った次第である。

そして、当たり前のように普通に年をとり、あるがままに生きていけることの尊さと素晴らしさを改めて噛み締めた次第である。


その意味では、一見「荒唐無稽」なお話しながら、見終わった後色々と考えさせられるところの多い映画であった。

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