折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『フルトヴェングラー熱』再び

2008-08-19 | 音楽
夏休みで遊びに来ていた孫たちも帰り、かみさんの夏休みも終わって、ようやくいつもの日常が戻ってきた。

10日ぶりの「一人だけで過ごす自由な時間」である。
早速、この間中断していたフルトヴェングラーの「復刻盤」CDを聴く。


そのフルトヴェングラーの復刻盤だが、それを収集するきっかけとなったのは、オーディオ談笑会のメンバーの一人Mさんからの、「冷やかし半分にふらっと、のぞいたCD店で<ウィーンフィル・ライブレコーディング・エディション>と言うシリーズ物の中にフルトヴェングラーが1952年11月30日 楽友協会で指揮したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のライブ盤を見つけて、衝動買いしちゃった」という一通のメールであった。

「ええっ!そんなライブ盤あったっけ」と急いでネットで検索すると、Mさんが知らせてきた1952年11月30日のライブ盤をはじめ、「擬似ガラスCD」方式や「復刻盤」方式による、いわゆる「ウラニアのエロイカ」と呼ばれる「英雄」や、同じく擬似ガラスCD方式や復刻盤方式による「運命」、「新音源」による「バイロイトの第九」などフルトヴェングラーの歴史的名演といわれる演奏が、さまざまな最新録音技術によって続々と「復刻」されているではないか。

そんな情報を見ているうちに、「これは聴かなくっちゃあ!」という気がむらむらと湧いてきて、ネットショッピングでこれら一連のフルトヴェングラーのCDを衝動買いしてしまった。


                
3枚の「英雄」(写真上)
学生時代に愛聴したレコードをCD化したもの(上)、1952年11月30日のライブ盤(左)
ウラニアのエロイカと呼ばれる1944年12月のライブ盤(右)

2枚の「バイロイトの第九」(写真下)
新音源によるもの(左)、学生時代に愛聴したレコードをCD化したもの(右)


今、「新音源」と「復刻盤」による2種類の「バイロイトの第九」を聴き比べながら、こんな古い録音をこれだけの音質で甦らせた、技術の進歩に驚嘆するとともに、これはフルトヴェングラーファンにとっては、この上ない贈り物であるとうれしくなった。


フルトヴェングラーとの出会いは、今を遡ること43年前の大学時代に、たまたま、レコードを買った時に入っていた、1枚のチラシであった。

そこには、こう書かれていた。
「世紀の大指揮者フルトヴェングラーの歴史的名盤、擬似ステレオで蘇る」

フルトヴェングラーが、ウイーン・フィルを指揮した、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」が、ドイツのエレクトローラ社で開発された「ブライトクランク」と言う技術で、ステレオ化されて、発売されると言うものであった。

その当時、小生は恥ずかしながら、フルトヴェングラーと言う指揮者を知らなかったが、「世紀の大指揮者」、「運命」、「歴史的名盤」と言う、宣伝文句に惹かれて購入した。

当時の小生にはアルバイトをしてやっと購入した、ちっぽけな卓上型ステレオしかなかったが、それでも、そこから、溢れ出るベートーヴェンの圧倒的な音楽の迫力に、ぐいぐいと引き込まれ、聴き終わった時は、完全に「打ちのめされ」、身動きもならず、その後、涙が込み上げてきたのを、今でも鮮明に覚えている。

その後もベートーヴェンの交響曲「英雄」、「第7」、「第9」を次々に買い、下宿の4畳半の部屋で毎日のように聴いたものである。

これがフルトヴェングラーのレコードとの出会いであり、第一次<フルトヴェングラー熱>の始まりであった。


その後は、フルトヴェングラーのCDは録音が古くて音が悪い、それであれば学生時代に愛聴したレコードをCD化したもので十分と思っていたので、フルトヴェングラーの録音にはほとんど関心を払ってこなかった。

こうして今、一連のフルトヴェングラーの「復刻盤」による演奏を聴いていると、その飛躍的な音質の改善が、音楽的感動をいやがうえにも高めており、これまでの認識を改めさせられると同時に、もう一度フルトヴェングラーの演奏を聴きなおして見たいと強く思った。


学生時代にH君と熱に浮かされたように毎日聴いたあの頃を第一次<フルトヴェングラー熱>の時期とするならば、新しい『音源』や『復刻盤』が出てきて、もう一度フルトヴェングラーを聴きなおそうという気持ちになっている今は、<フルトヴェングラー熱>再びという思いである。