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折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「2020年東京五輪まで頑張ろう」の合言葉

2013-10-22 | 雑感
「さっきのパーティーで『2020年東京五輪までこのコンペを続けられるよう、みんなで頑張ろう』と申し合わせたけど、どう、自信ある?」

「この歳になると、正直、1年先のこともわからんけど、今の時点でどうかとなれば、希望的観測だけど『いけるんじゃないかな』」



昨日のゴルフの帰り道でのIくんとの車中での会話である。

2020年東京五輪開催が決まってからこのかた、小生の周辺ではこのことが一躍話題の中心となっている。

いま定期的に開催されているゴルフコンペに4つほど参加しているが、そのいずれの席においても交わされる会話は、申し合わせたように

「それまで俺たちゴルフ続けられるかな」
「続けたいもんだね」
「続けなくっちゃ」
「よし、みんなで頑張ろうぜ」


が、合言葉のように語られていた。

幼なじみたちとの集まりでも、同様である。

この歳になると、日々暮らして行く上での目標、励みといったものを、知らず知らずのうちに求めていると言えるだろう。

そんな我々にとって、みんなを「がんばろう」という気にさせてくれる「2020年東京五輪開催」は、一つのはっきりとした、わかりやすい目標をもたらしてくれたという点で、光明をもたらしてくれたように思う。

続「手書き」のすすめ

2013-10-02 | 雑感
昨日の夕刊に、比較的大きな扱いで「『美文字』に憧れて」という囲み記事が掲載されていた。

書道の教室に通っている身としては、興味をそそられてじっくりと中身を読んで見た。

10月1日朝日新聞夕刊に掲載された記事。


それによると、

きれいな字を書きたい―。デジタル化で手書きの機会が減るなか、再びペン字がブームになっている。

とのこと。

また、通信教育のユーキャンの担当者の話として、

97年の開講以来一番人気で、180万人以上が受講

していることを紹介し、さらに

字がうまくなりたい人は昔から減っていません

と。そして、

ブームに勢いをつけたのが「中居正広のミになる図書館」(テレビ朝日系)の「美文字大辞典」コーナーだ。

と続け、ご丁寧にも

今夜、3時間スペシャルを放送する

とまで書いている。

さては新聞とテレビの陰謀にしてやられたか、といささか辟易とさせられたが、結局テレビの方も3時間お付き合いをしてしまった。


新聞記事にあるように、確かに通信教育でペン字を受講している人は多くいるだろうが、それとて全体からすればほんの一握りに過ぎない。毎日の生活の中で、自分で鉛筆やペンを持って字を書くなど、ほとんどの人がしていないのだ。

その理由を自分の周りの人に聞いて見ると「字を書く必要性、必然性が全然ない」というのが、ほとんどである。

それほど日常生活において字を書く機会がなくなっているのである。

小生は、今、天声人語「603字」を毎日書き写しているが、これを止めてしまったら、字を手書きする機会は、ほとんどないと言っても過言でない。

手書きする際「美文字」であれば申し分ないが(小生は、これを最大の目標にしているが)、美文字である必要はさらさらない。

とにかく「毎日、定期的に書く」ことが大事だと思う。

そのためには、何も天声人語に限らない。そして、書き写しノートといった特別なものもいらない。

各新聞のコラムを一般のノートに書き写すだけで良いのだ。

最後に再び夕刊の新聞記事に戻ると、終わりはこう結ばれている。

宝島社の担当編集・井野澄恵さんのもとには「書くと気持ちが落ち着く」と読者の声が届く。自分と向き合う時間が生むリラックス効果が共有されているようだ。


文字の手書きは、やろうと思えば、その気さえあれば、今日からでもできる。

是非ともお勧めしたい。

なお、同じような趣旨のことを23・2・1付ブログ「手書きのすすめ」で書いているので、2度目のお勧めである。


「幼子に返った」老母を見る「辛さ」と「悲しさ」

2013-06-21 | 雑感
5月に97歳になった老母。

昨年、左大腿骨を骨折し、今はある介護付き施設で日々の生活を過ごす境遇である。

隔週ごとに様子を見に行っているが、梅雨に入ってちょっと体調を崩し気味。

めっきりと食欲が落ちて、自分で箸を取っての食事もままならず、ここ数日は点滴による栄養補給が続いている。

今回様子を見に行った時は、そんな状況の時であった。

何と言っても、食事を摂ることが大事だからという施設の人の話を聞き、食堂から老母の昼食を運んで、自室で食事をすることに。

母の口に食べ物を入れて食べさせるのは、70年の人生の中で初めてである。

「時間をかけて、ゆっくりと」食べさせてあげて下さい、ということで、

食べるもの一つ一つ、

「これは、何、あれは何」

と説明しながら、母の口に運ぶ。

「どう、おいしい」

と聞くと

口の中でゆっくりと食べ物を咀嚼しながら、

「おいしい」

と一言。

そんな様子を見て、ふと小生がまだ幼かった頃、今と同じように小生の口の中に食べ物を与えている母の姿を思い描いた。その母が今度は全く逆に、子どもの小生からまるで幼子のように食べ物を食べさせてもらっている。

「歳を取ると幼児に返る」というが、子どもが幼い時は、母親が、その母親が歳を取って幼子のようになってしまったら子どもが、それぞれ保護する、そう言う巡り合わせになっているのだ、今日のこの時ほどそのことを実感したことはない。

母親が幼子に食事を与えている場面は、「未来」があり「希望」があるから見ていて微笑ましい。

しかし、子どもが幼児に戻った母親に食事を与える場面は、「未来」も「希望」もないだけに、「辛く」「悲しい」

走・攻・守に「らしさ」欠いた日本~WBC・準決勝・プエルトリコ戦

2013-03-18 | 雑感
「何やってんだ」日本中の野球ファンから悲鳴とため息が聞こえてくるような場面だった。

8回、1点を返し、なお走者1死1,2塁、打者は主将で4番の阿部、ここで1塁走者が飛び出して、アウトになった場面である。

反撃ムードが最高潮に達したこの場面は、4番の阿部にじっくりと打たせるところ。
どう考えても、この場面「動いてはいけない」のは、自明の理である。

野球は、走・攻・守のバランスのゲームであると言われる。

WBC日本チームの強みは、このバランスの良さであり、そこにあるのは日本野球の「らしさ」である。

しかし、今日の試合に関しては、上記の場面も含めて、日本チームの良さである「らしさ」を出せなかった1戦と言えるのではないだろうか。

例えば、「走」については、前述のとおりだが、「攻」については、これまでの日本はじっくりと球を選んで、カウントを悪くした投手がストライクを取りに来るボールを痛打する日本の持ち味・「らしさ」で勝ち上がって来たのだが、今日の試合は全く逆で「ストライクからボールになる球」に完全に引っかかって凡打の山を重ねてしまっていた。

「守」においては、これまで「ストライクからボールになる球」をコントロール良く駆使して、対戦相手の強力打線を封じこんできた投手陣の肝心のコントロールがままならず、ボールが先行し、カウントを取りに行った球を打たれるという、本来日本の「攻」がやらなければならなかったことを、相手チームにやられてしまった。
ここでも日本チームの投手陣の「らしさ」が見られなかったのである。

こう見てくると、今日の試合は日本がやりたかった野球を全て相手チームにやられ、日本「らしさ」が出せないまま敗れた1戦であり、見ていて何とももどかしさが募った1戦でもあった。


胃腸炎顛末記 その1 油断と過信

2013-03-11 | 雑感
先日、古希を迎えた際、当ブログで「何と言っても『健康』がベース」と書いた。

その舌の根も乾かぬうちに「急性胃腸炎」になって久しぶりに病院に行った。

原因はどうやら先週少し出歩き過ぎて疲れが溜まっていた(=その自覚がなかったのは「過信」)ところに急激な気候の変化(=これを意識しなかったのは「油断」)に身体が付いて行けなかったようだ。

「過信」と「油断」の結果であり、自業自得であるが、その代償は決して小さくなかった。

即ち、楽しみにしていた幼なじみたちと一緒に行く予定だったコンサート、そして、今回こそ良いスコアで回ろうと手ぐすね引いて待っていたゴルフのコンペをドタキャンせざるを得なかったからである。

食事前に服用する苦い薬を飲みながら、それ以上に苦い思いをかみしめている次第である。

コンサートに行った幼なじみのY子ちゃんから、

「少し、休養しなさいという神さまのお告げ」かもよ、

というメールがあった。

そう言われてみればそうかも、ありがたいアドバイスだと思い、今週はひたすら静養に努めようと思っている。