7年前に掲載した写真の再掲。
つれあいの実家は中山道の傍に今は住む人もなく寂しくたたずむ。左写真の板塀の家。昭和38年ころ
に大瀬康一や大空真由美が出演した映画撮影のロケ地に使わた際の一コマと聞く。門から覗いている
のは義兄か? 下手の家は今では老人ホームに建て替えられた。右写真は家の前から松井田方面を眺
めたものでこれは近年の風景。
実は正月明けから「夜明け前」に取り組んでいる。若き頃有名な作家の本ということで読み始めたが、
あまりに退屈な内容で最初の何十ページかで放棄してしまった。それにしてもこれほどの量とは思はな
かった。10日かけてやっと第一部の上下を読み終わったところ。
あれから半世紀、いろいろな出会いが、体験が、そして様々の本から得てきた知識の絶対量が当時とは
まるで違う。そうした背景で読み進めていくと、同じ本でも入ってくるものは自ずと違う。この本に舞
台になった今では岐阜県に組み入れられたが、つれあいの実家の前から繋がっている中山道の馬籠宿。
この半世紀で歴史本はたくさん読んできた。乱読と言っても良いか。特に幕末から明治にかけて時代は多
くの作家が書いたものを読んできたので溜まった知識も特に多い。しかし大体は俯瞰的に見た歴史であり
、著名な人物が登場するものが多い。本著のように宿場本陣の主という立場の人物が街道を通過していく
多彩な人物や行列を通して、いわば定点観測のように時代の変遷を体験するという内容は新鮮だ。
この宿場では時代を左右するような大事件が起こったことはない。歴史的な事件は他の地域で発生し、こ
の宿場には数日から場合によっては2,3週間遅れて伝わる。旅人の口や手紙でしか伝わってこない。
その分、宿場の知識人がその教養とお役目がらゆえに知った時の驚きは衝撃的であり、時代の変遷につい
ていけない苛立ちは想像できる。知った時点ではすでに事態はあらぬ方向に進展していたりする。
明日から第2部に移る。主人公半蔵がそうした環境の中で、本陣のお役目を果たしながら、(明治以降は
本陣や脇本陣という機能は消滅してゆくが)時代の大きな変化には対応できずに精神を病んでいく過程が
克明に描かれるはずだ。
こんな本の内容を20代の私に理解できるはずもなかった・・・
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