夕暮れ時の散歩で見上げた空。秋の気配が忍び寄っていると見るか、近づく二つの台風の影響か?
誰と会っても最初の挨拶の言葉がこの暑さのこと。地球環境の変化からみて、今後しばらくは毎年暑さの
記録を更新し続けそうだ。来年元気で迎えられるか保証はないが、夏が来るたびにため息が出る暑さに翻
弄されるかと思うとやり切れなくなる。
題材が夏枯れになっている。10年続けてそれでも600回を越えた過去の投稿記事を自分以外に読み返し
てくれる人なんかいない。である故にこんな時には過去の記事をリメイクして投稿しても非難されることは
ないと思うのでやってみた。2013年(平成25年)9月に投稿したものリメイク再投稿です。
この手もあるな!
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この2年間で随分と読んだが、最近読んだ浅田次郎著「終わらざる夏」上・下巻は、この2年間で読んだ中
では出色の小説でした。
太平洋戦争は昭和20年8月15日に天皇陛下の決断でポツダム宣言の無条件受け入れで日本は降伏する。
68年前の歴史的事実。 「一億玉砕」の掛け声のもと本土決戦を目論む軍部の方針がこの日もって急停
車した。 この歴史的な日の前後に様々な出来事が出来し、それらの多くは格好な小説の題材として多く
の本が出版されている。 そのいくつかは既に読んでいる。 玉音盤の争奪戦、紫電改(日本海軍の最高
傑作戦闘機)を要して最後の抵抗を目論んだ海軍厚木航空隊、阿南陸軍大臣の自決等々・・・
『終わらざる夏』は本土決戦に転戦したくも、兵や装備を輸送する船がなく25000人の兵隊と磨きぬか
れた兵器、充分な食料弾薬、なにより戦闘意識の高い訓練された陸軍最強の部隊が千島列島最北の占守島
(地図参照)に取り残されていた。 この部隊は昭和20年春にこの島に送られ、終戦まで戦いは経験して
いない。
この島までが当時の日本の領土であり、ソ連のカムチャッカ半島とは10キロほどの海峡を挟んで対峙する
日本防衛線の最北端だった。
google earth から引用
島の守備隊は無条件降伏の知らせを聞き、米軍が上陸すると考えていた。 精鋭部隊は降伏に際し、粛々と
武装解除に応じるべく武器の整理を開始した。 訓練された精鋭はそれゆえに堂々たる降伏に応じようとし
ていたという。
8月18日深夜、突如として予想しなかったソ連軍3000人が対岸の砲台からの援護射撃のもとに侵入し
てきた。 降伏した守備隊にソ連軍は攻撃を加えたのだ。
精強部隊が半年間戦いもせずにいただけにこの攻撃に対して応戦することを指揮官は止められなかった。
ソ連軍は壊滅的な損害を受け撤退した。
この戦闘から一週間経った24日に守備隊は再上陸したソ連軍に武装解除され、多くの将兵がシベリヤに抑
留され極寒の地で命尽きる兵も続出した。悲劇の発端は来襲した軍がアメリカでなくソ連だったこと。終戦
のどさくさにまぎれて、ソ連にとっては地政学上重要な千島列島の奪還を意図したのだろう。
あらすじはまとめてみればこんな経過なのだが、この事実を著者は巧みに架空の人物を各所に配置し、小説
としてまとめている。 過激な戦闘場面があるわけでなく、何かと鉄拳制裁が当たり前だったと言われる陸
軍の中にもいた良質な指揮官、参謀、人間味ある古参兵やロートル兵等が登場し、彼らが内地に残した親、
妻、子供、恋人や勤労動員された女学生等の心理描写、物語が展開する過程で戦争の悲惨さを語りかける。
いわゆる戦記物とは明らかに一線を画す。
絶対に体験できぬ事象を本をひも解くことにより疑似体験できる。小説の醍醐味。
投稿から10年が経過している。ウクライナとロシアの凄惨な戦闘が続いている。今年の8月も暑く、歴史
に残る紛争が絶えない。
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