空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

野党が対案出しているのに出ていないという強弁

2019年07月10日 12時13分13秒 | 思考試行

 嘘はいけない。民主主義における基本中の基本。にもかかわらず、民主主義の何たるかを知らないままに、日本はすすんできたのか、政権与党になって久しい自民党は、いまだに嘘をつく癖がなおらない。もともと、嘘つきだったのだが、最近は、うそをつくことをなんとも思わなくなってきた。

 野党が対案を出しているにもかかわらず、どんな対案かも知らないのだろう。聞いてはいないのだから。自分の言い分はいうけれども、どんな反対があって、どんな対案が出ているのもしらないのではないか。

 自民党の政見放送は、嘘にまみれて、まことに醜い姿をさらしている。あれでは、票を減らすのではないかと思うのだが、結構、支持率は高いという。国民はかしこいはずなんだが、いやそうでもないのか。うそをつくのは、お互い様とでも思うか、それとも、まとものことだと信じているか。できれば、前者であってほしい。うそとしりつつ支持しているとおもわないと救われない。

 なんにも考えずに、野党が政権をとったときはひどかった、の連発をする。当時の状況は、よく知っている。今頃は、あんまり活躍ぶりが目立たないが、当時の石原幹事長なんて、論理なし、何を言っても聞こうともしない、とにかく反対、何でも反対だった。当然賛成すべきことも反対。無茶苦茶だった。すべてに反対し、邪魔をした。

 政権に返り咲いて、歴代有数の長期政権になっても、いまだに、野党時代のことをいう。自分たちが蒔いた種の後始末をさせておきながら、(原発事故など)その、処理さえ、させないような邪魔をする。当時の自民党のことを考えるとムナクソ悪い。

 彼らは、国民のことを基本的にはバカにしている。たいていのゴマカシは通る、とみている。財務省の真面目なノンキャリアの人が自殺するぐらい、平気の平左である。

 高級官僚はだれが見ても、嘘っぱちの答弁をしても、マスコミも司法も検察もみんな忖度して、スルーしてしまう。怖いものはない、と思うのも無理はない。そして、国民は、いくら自分たちがひどい目にあっていても、自分のせいだ、と思ってくれるというのだから、笑いがとまらないのではないか。

 もっと悪くなったら困るから、現政権を支持するということらしい。嘘がまかりとおり、強いやつの嘘は、真実となり、弱者はひどい状態が続く。何が小さい声か。でっかい声を聞かせてやるべきだ。

 だが、選挙前となると、事情は変わる。この時期の判決、国の対応を観察すればいい。必ず、弱者側に有利な状況を出してくる。

 かれらは、弱者が目を覚まし、自分の考え方を疑いだしたら困るのである。そうならないように、彼らは配慮してくる。選挙前だけはな。発言もそうするのだ。


政治がどこを見ているか

2019年07月09日 18時46分59秒 | 思考試行

 政治がどこを見ているか。有権者は、そこをはっきりとしらなければならない。大企業を優先すれば、労働者への分配は当然減り、中小企業もその割を食う。

 中小企業主も、経営者である。かれらとその従業員とは、その成果を、どう分配するかは、その力関係で決まる。特段の企業では、従業員のために、社長自らの報酬を抑えている人も確かにいるが、もちろんそうではない経営者もいる。

 従業員を、使い捨てにすることをなんとも思わないような、社長をみたことがある。ひとたびことがあれば、しつこく、その従業員をいじめまくる。見せしめとして、従業員をしめまくる。会社支配の道具とする。

 社長の視線はどこにあるか。社会的には、いわば公の役割があるにもかかわらず、彼にとっては、儲けだけであり、従業員はその道具にすぎない。

 政治家、官僚、資本家、裁判官、みんなどこを見ているかである。本当に庶民の側をみているだろうか。エリートでない人の暮らしにどれだけ視線をむけているだろうか。

 日常的に、どのようにすれば、国民の暮らしがよくなるかと、真剣に考えているだろうか。そこに視線はないのではないか。

 選挙の時だけ、みんな同じようなことを言っているとしか思えないという意見がある。その通りである。みんな同じようにいう。しかし、それは選挙対策で言っているところと、その思い方に差がある。

 そこを見抜かないと、世の中、なかなかよくはならない。本当の庶民の味方は誰か、それによって政治はどう変わらなければならないか。そういう意見を国民が持つようになって、始めて、支配階級は、政策を変更せざるを得なくなる。

 気付いていないとなれば、「政治の安定」などと、ワケのわからないことをいってればいいのだ。自分の生活の苦しいことを、自分のせいだ、などと思ったり、これ以上悪くならないようにと、与党政権に投票する人がいる。

 こういう人は、考えを変えてもらいたい。自分たちの苦しい境遇は、間違いなく、政治が作ったものであり、それを変えるのも政治である。

 政治を変えるのはいつか。それは、今である。選挙の時こそ、最大の機会である。この機会をいかさないようでは、悲惨な状況が続き、より、かれらにとって、都合のいい方向へと誘導されることとなる。

 同じようなことを言っているということは、嘘をついていると見なければならない。かっこいいパフォーマンスや、微笑や、そんなものには騙されてはならない。


韓国との課題解決のために

2019年07月08日 22時56分48秒 | 思考試行

 これだけこじれて、しかしながら、隣国として、このままでいいわけはない。韓国と、どうすればいい関係になれるのか。それには時間がかかるだろうし,かけなくてはならない。

 話し合おうといえば、ウンともスンともいわず、いよいよ、これはたいへんだとなったのか、ようやく大統領が口を開いた。それでも、日本の主張など一つも聞いてはいないような、ピント外れの発言であり、これでは話にもならない。

 こじれるだけ、こじれて、とことん行くところまで行って、そこから再スタートするのもいいが、その前に、そもそも、お互いの言い分を十分にいいつくしているのか。それをはっきりと、すべてをあきらかにする討論をやればどうだろうか。

 無制限にに時間をかける。ごまかしはなしにするため、小出しに言い分をいうのではなく、それこそ秀吉時代からでも、歴史観を出し合えばどうか。世界の当時の考え方、力関係のなかで、どのように国家間の出来事があったのか、第二次世界大戦の前後、韓国を日本が併合した事実があったこと、その間どんなことが起こったのか。

 戦後、日本との関係、日韓基本条約のこと。すべては解決されたのか、それとも積み残したものがあったのか、徹底的に論議する。つつみかくさず、論点を明らかにしていく。

 韓国は、反日教育をしているといわれている。その中身はどうなっているのか。それにたいする日本の反論はあるのだろうか。韓国の大統領が辞めた後、なぜ、犯罪者の汚名を着せられることとなるのか。この国情はどこからくるのだろうか。

 隣国でありながら、わからないことばかりである。その辺を徹底的に討論するとどうなるのだろうか。すべては行き違いで、話にもならないことになるのであろうか。誤解や、曲解はないのであろうか。

 事実や、前提がちがっていれば、議論は平行線をたどる。それでも同時代を生きているのである。放置して、平行線のままでいいわけはない。

 韓国と日本は、隣国として、地理的にも近い。徹底的な論議を「はじめから」したらどうだろうか。あまりにも、事実認識の違いがあり、論理的な話し合いができないまでに、世論の常識が違い、国民の意識にも、違いがありすぎる。

 どこにその原因があるのか。そこをあきらかにしていく。まずは、学者からでもいいし、それぞれの論客をだしあって、それを公開する。いろんな意見をだしあう。それぞれの国家を代表する意見でなくてもいい。多様な意見を出し合う。

 隠されていた情報があるのなら、それを明らかにする。それをどのように整理していくのか。まとまらなくてもいい。それが実体なのだから。だが、そのなかで、取りうる方策が、あきらかになるのではないか。

 話にならないような、低レベルでのやり取りは、無用である。世論を情報を歪めて、誘導したり、しないで、ありままの、状況を出し合い、徹底的な討論をすべきである。


韓国は不思議な国だ

2019年07月07日 22時05分11秒 | 思考試行

 国と国との関係は、協定を結べば、それでいくというのが自然だと思うのだが、韓国は平気で、それを反故にしてくる。これは、理解に苦しむ。

 なんで、国と国との約束を平気で破ってくるのか。それでは、なんの約束もできないし、相談もできない。日本政府が怒るのも無理はない。

 韓国は、前政権と現政権は、なんの関係もないという考え方のようだ。そもそも、韓国で大統領をやって、やめるとなると、タダではすまない。

 犯罪者として弾劾されたり、自殺したり、こんな状態をいつまで続けるつもりなのだろうか。こうしてみると、無茶苦茶な理屈をつけてくる韓国は、連綿と続く、同一国ではないのだろうか。政権が変われば、別の国となって、また新たに話をしなければならないのか。

 国民にたいする教育についても、反日教育をつづけ、その意味はどこにあるというのだろうか。正しい歴史教育をするべきだ。無用の対立をあおり、敵愾心を育てて、どうするつもりなのか。理解に苦しむ。

 話が分かる相手であれば、話し合えばいいが、理屈のとおらないことを言い募る相手は、敬遠するほかない。おたがいが助け合って生きていけるならいいのであるが、そうではない相手とは、きっぱりとそれなりの対処をせざるを得ない。

 日本が、敗戦後、韓国に何をしてきたのか、いつまでも戦前の、今は、生存者もいないような時代のことを繰り返し、恨みつらみの対象にしている。話をつけて、国家間の協定を結んでも、それは無効だなんて言い出す国はまともではない。

 韓国政府は、どういう考え方をしているのか、今の今、自分たちはこう考えると、だから、過去の政権がやったことは全部無効だという。政権が変わるたびに、取り決めをやりなおさないといけないことになる。それが正しいという考え方だというのなら、もはや、つきあうことはできない。

 福沢諭吉も韓国は信頼できないと言っていたらしい。明治の時代から、韓国はそうだったのだろうか。約束はまもらない国だったのか。そういう国民性なのか。


これからが問題

2019年07月05日 10時47分42秒 | 思考試行

 日本の政治がどうなっていくのか。論理だてて、国民の暮らしをよくする方向へ、うごいているのだろうか。

 議論をしても、いっこうにかみ合わせない風潮があって、テレビは、時間を区切るものだから、尻切れトンボの内容になる。初めからそうなることを計算しているのかもしれない。

 自由に討論させると、何時間でもしゃべるから、真に討論するという形になりにくいのだろうが、そもそも、本当に論議をかみ合わせるための工夫があるのだろうか。

 反論といいながら、過去の実績を誇ってみたり、論点がすれちがう。これからの方策についての意見のくいちがいにメスをあてていない。発言から深めていくことはしないから、その場その場を言いつくろうような形で、政権側は、議論にしない技をくりだしている。

 議論を深めるために、どんな工夫をするのかが、テレビサイドの仕事だと思うが、そこに、力をいれてはいないから、番組がもう一つ盛り上がらない。

 これでは、選挙への関心があがらないし、そういう意味では、政権側の意向をうけての演出かもしれない。おもしろくないように作っているようにさえ見える。

 政治に関心を持たなければ、どういうことになるか。ヒットラーがどんな具合にして、独裁化していったか。国民はどんな風に誘導されていったのか。

 民主主義は、一部富裕層の繁栄のための舞台ではない。人類が助け合って生きていくための考え方だと思う。機械的な多数決で物事を決めてよし、とする安倍政権は、多くの意見を組み入れることはしない。むしろ、重要問題を矮小化して大事なことを、議席の数を背景に、討論もせずに、次々と重大な採決をしてきた。

 知らないうちに、戦争のできる国への準備が、憲法を除いて、ほとんど完成しつつある。あとは、自衛隊の合憲さえいれてしまえば、自衛権のもと、なんだってできてしまう体制になってしまっている。

 戦争が嫌なら、自民党には、はっきりとノーと意思表示をしないと、戦争賛成票を投じたこととなる。

 戦争しなければ食ってはいけない人達がいる。軍需産業である。かれらは、新しい兵器を開発し、売りつけてくる。

 人類はここからどのようにして、彼らの狙いを見破り、平和を世界のあたりまえにできるだろうか。


安定?小さい声?

2019年07月04日 00時05分51秒 | 思考試行

 自民党は「安定した政治」という。公明党は「小さい声」を聞く力といっている。政治が安定するということは、国民に不満が少なく、その暮らしぶりが、いい、という意味になるだろうか。

 それならそういうべきであって、いかに苦しくとも、政治的に安定していればいいというのは、自民党の本音であって、国民は、現状肯定で静かにしていてほしいということだろう。暮らし向きを「良くしようという」意欲はない、ということだ。

 事実、自民党は年金を減らす案を出してきているが、それは、大きな問題としては扱わない。

 年金資産の運用に、株式運用をとりいれており、株価を支えるという手法をとっており、いかにも危なっかしい。運用益が出ている、と喧伝するが、損もでる可能性があり、事実そういう時期もあった。将来的に安定しているわけではない。

 アメリカに追随し、アメリカとともに、戦争ができる国の体制を作るべく、憲法9条改憲をいっている。これは、庶民にとって、どういう意味を持つか。兵隊として命をかける悲劇の道をたどるのか。

 アメリカは、日本全国に無差別爆撃をおこなった。広島、長崎に原爆投下もした。戦争をするということは、庶民はとんでもない悲劇にあうということだ。戦争は絶対にするべきではない。

 改憲論を言うものは、しばしば、戦争に反対する人を「平和ボケ」などという。

 どうすれば、戦争に巻き込まれないようにするか。ボケてなどいられない。うかうかと戦争への道を歩む傾向を無視してはならない。あの先の大戦の大きな犠牲をどう考えるかである。

 「小さい声」をと公明党はいう。国民の願い、暮らしの実態、戦争への道に、うかうか乗らないように、しっかりしなければならない。小さい声ではない。切実な声をキチンと聞かなければならない。公明党は、池田大作氏のことをとりあげられると、腰くだけとなってきた。そして、司令部が右と言えば右、左といえば左の体質をもったままである。

 今は、とんでもない勢力が政権をもっているのだ。

 


日本を戦争しない国から戦争ができる国にしたいのか

2019年07月03日 11時57分52秒 | 思考試行

 安保条約を廃棄すれば、アメリカのくびきを離れて、いけるかどうかであるが、アメリカは日本を、目下の同盟国として、事実上、なんでもいうことを聞いてくれる、なんでも思い通りに動かせる手下ぐらいに思っているに違いない。

 首都圏には、日本が立ち入れない、アメリカの自由に使える広大な空域があり、全国にアメリカの基地があり、これらがみんな撤退すれば、日本は形のうえで、アメリカのくびきを離れたことになるか、といえば、そういう風にはいかないだろう。

 中国やロシアの圧力にどう対抗するかと考えるだろうし、少しでも弱いとみれば、今の世界は領土拡張意欲があって、日本の場合、沖縄も取られかねないという報道もある。

 にわかに信じられないが、かつて、アジアは植民地化された経験があり、日本が侵略した経験があったように、今度は、かつてやられた国が、やりかえすことになっても不思議ではない。

 そのために、日本は、憲法改悪をなしとげ、自前の軍隊をもち、核武装だってやりかねない。平和国家といっても、そんなものはいつでもかなぐり捨てるだろう。

 人類の歴史は、争いの連続である。アメリカの意向のもと、日本は、憲法9条をもって、法律の文言から、どうやっても戦争できない国として生きてきたのだが、また、これを言い訳にしてきたのだが、トランプ大統領の発言により、アメリカから指示されれば、戦争もやむをえない、という雰囲気である。

 憲法解釈を勝手に変えて、集団的自衛権の名のもと、事実上、戦争できる国となっていると、安倍政権は主張するだろう。法律も強行採決で準備済みである。

 そうなると、あとは自衛隊の文言上の合憲を獲得することだ。それさえあれば、もはや、アメリカにくっついて、どこでも、戦争できるということになる。

 今度の参議院選挙は、これは本当にたいへんな選挙だと思う。このまま、すんなりと、そんな国になっていいのだろうか。いいはずがない。

 文部省の元事務次官の前川氏も、共産党の機関紙赤旗に登場して、共産党の政策に賛意を表明しておられる。 知っている人は知っている。事態がたいへんな状況にあることを。

 だまされている国民が、まだまだ多い。そんなにさしせまってはいないと思っているのだろう。だが、安部氏は、危険千万である。昔の日本を取り戻そうとしているのである。


安保条約を廃棄?

2019年07月02日 22時56分48秒 | 思考試行

 日本は、先の大戦で、完全に敗北し、ボロボロになった。価値観を大逆転して、昨日までの価値観をすべてすて、アメリカ流の民主主義を受け入れることとなった。

 果たして、その民主主義がキチンと日本に、根付いているかどうかであるが、江戸時代から明治、大正、昭和ときて、この間、民主主義とはいえず、民主主義は、日本自らの手で得たものではないから、いまだに、民主主義がわかってはいないのではないかと思われるふしがある。

 このところ、安倍政権になって以来、ロクな論議もなしに、どんな法案も多数決で強引に決めてしまうことばかりだ。議席があれば、論議など必要なしという姿勢である。公務員の人事権を持ち、高級公務員は、政権の顔色をうかがい、忖度をはじめ、司法も国の意向にしたがう判決を出し始めている。

 こうなると、安部政権の思うままであり、選挙だけが民主主義の表現の場となるべきところ、なんと非正規雇用の人達が、自民党政権であれば、これ以上落ちないだろうと支持する傾向があるというのだ。自分たちの境遇は、自分自身に責任があると思っているという。自民党にとっては、実にありがたい考え方をしてくれているというほかない。

 規制緩和で、非正規雇用を作り出し、賃金の猛烈な低下を招き、労働基準法さえ形骸化していており、この状況を資本は大歓迎し、今や、企業の内部留保は膨らみ切っている。これらは、労働者に当然分配されるべきものだ。労働者に配分せず、内部留保として儲けを蓄えている。そこに不満がないのだろうか。 

 安保条約は、日本を再び軍事国家にさせないように、日本の手をしばりあげ、そして、アメリカの世界支配のために日本に基地を提供させ、金も支払わせてきた。

 日本が本当に自前の軍隊をもち、気兼ねなく主張を始めることを、アメリカは認めたくないので、今の状況が一番だと思っていたはずであった。

 ところが、トランプ大統領は、安保条約の片務性に文句ありと、はっきり言いだした。以前からの彼の主張らしいが、あまり表面化しないように、抑えてきた事情もあるのかもしれない。

 主張の中身は、アメリカが問題にしているのは、片務性だけであり、日本がアメリカについていくといえば、アメリカとしては何の文句もないのかもしれない。アメリカの子分として日本の自衛隊を使い放題できる。

 そのための法的条件は、憲法解釈をかえて、立法処置も多数決のごり押しで決定済みである。あとは、目の上のタンコブの憲法9条さえかえれば、合憲自衛隊は、世界どこでも、アメリカの言う通りに出かけることになる。ことわる術はない。いよいよ憲法9条で、最後の仕上げが完成すれば、世の中変わってしまう。そんなことをさせていいのか。

 


トランプ氏と北朝鮮

2019年07月01日 00時05分04秒 | 思考試行

 「ゆっくりでいい」とは、まあ正直なこと。まだ、再選選挙までには時間があるから急ぐことはないということらしい。コメントも、大統領選挙のことが念頭にあるのだなということが丸わかりである。

 日本との同盟関係も、大分様子が変わってきた。日本は、もう二度と立ち上がれないように、雁字搦めにしてきたのだが、もういいだろう、ということだろうか。

 完全な独立国にして、軍隊も自前のものを持ち、あっという間に、核武装などしようものなら、日本の立ち位置は相当変化する、と安部さんたちは考えているかもしれない。同意したとの報道もあるようだ。

 あれこれと、外から言われることはないと、どうしてもぶつかるようなら、武力の行使もやむを得ない、そのための軍備であると、愛国心をうえつけ、非国民には弾圧を加える、そんな動きが始まるのかもしれない。

 トランプ氏は、大統領選挙のことが頭にあり、北朝鮮は、核を手放すことは、決してないだろう。福沢諭吉が言ったように、必ず、彼らは裏切るのではないだろうか。素直に核武装を解くことはない。

 核武装をやめたときには、体制維持は不可能だと思っているだろう。身内を殺し、粛清をやりまくってきた国である。存続させるわけにはいかないと考える勢力に、まわりは、取り囲まれている。

 なんど話会おうと、変わることなどない。ロシアもそうだ。武力で獲得したものは、交渉でかえしたりしない。力関係が変わらなければ、返す必要などない。

 国内政治は、選挙というルールで、トランプ氏は政権をいつまでも持つことはできない。だが、金正恩は、選挙などない。革命でも起こされな限り、弾圧と監視社会をつづけておれば、政権は安泰である。

 無法千万の国が、まともなことを言っても、信用することなどできない。裏切るとみてほぼまちがいがない。いままで、何度も、アメリカは騙されてきた。

 おかしい国は、やはり変わって貰わなくてはならない。変えようとしないならば、変わらざるをえない状況を作り出さなければならないのだろう。それが人道主義ということだろう。

 選挙さえすればいいのかといえば、そうではない実例を人類は経験している。選挙の結果、監視社会を作り、とんでもない国家を作ってきた経験もある。

 さて、これから、どんな風に世の中が変化していくのか。よくよく注視していかなければならず、また、できる行動をしていかなくてはならない。