政治がどこを見ているか。有権者は、そこをはっきりとしらなければならない。大企業を優先すれば、労働者への分配は当然減り、中小企業もその割を食う。
中小企業主も、経営者である。かれらとその従業員とは、その成果を、どう分配するかは、その力関係で決まる。特段の企業では、従業員のために、社長自らの報酬を抑えている人も確かにいるが、もちろんそうではない経営者もいる。
従業員を、使い捨てにすることをなんとも思わないような、社長をみたことがある。ひとたびことがあれば、しつこく、その従業員をいじめまくる。見せしめとして、従業員をしめまくる。会社支配の道具とする。
社長の視線はどこにあるか。社会的には、いわば公の役割があるにもかかわらず、彼にとっては、儲けだけであり、従業員はその道具にすぎない。
政治家、官僚、資本家、裁判官、みんなどこを見ているかである。本当に庶民の側をみているだろうか。エリートでない人の暮らしにどれだけ視線をむけているだろうか。
日常的に、どのようにすれば、国民の暮らしがよくなるかと、真剣に考えているだろうか。そこに視線はないのではないか。
選挙の時だけ、みんな同じようなことを言っているとしか思えないという意見がある。その通りである。みんな同じようにいう。しかし、それは選挙対策で言っているところと、その思い方に差がある。
そこを見抜かないと、世の中、なかなかよくはならない。本当の庶民の味方は誰か、それによって政治はどう変わらなければならないか。そういう意見を国民が持つようになって、始めて、支配階級は、政策を変更せざるを得なくなる。
気付いていないとなれば、「政治の安定」などと、ワケのわからないことをいってればいいのだ。自分の生活の苦しいことを、自分のせいだ、などと思ったり、これ以上悪くならないようにと、与党政権に投票する人がいる。
こういう人は、考えを変えてもらいたい。自分たちの苦しい境遇は、間違いなく、政治が作ったものであり、それを変えるのも政治である。
政治を変えるのはいつか。それは、今である。選挙の時こそ、最大の機会である。この機会をいかさないようでは、悲惨な状況が続き、より、かれらにとって、都合のいい方向へと誘導されることとなる。
同じようなことを言っているということは、嘘をついていると見なければならない。かっこいいパフォーマンスや、微笑や、そんなものには騙されてはならない。