日韓協定がなぜ結ばれなければならなかったのか、といえば、日本の戦争とのかかわりを外すわけにはいかない。日本がどのようにして、戦争に至り、どのように1945年まで過ごしてきたのか。
韓国を併合し、日本名を強要し、日本語を押し付けてきた事実がある。その詳細を、今の日本人は知らない。教育内容として、国民に詳しく教えてきたわけではない。このいきさつを十分に知っているとはいいがたい。
韓国になぜ、恨まれ続けるのか、その根本的な理由をよくは知らない。そもそも、なぜ日本が太平洋戦争、日本がいう大東亜戦争につっこんでいったのか、朝鮮をなぜ併合する事態となったのか。伊藤博文がなぜ暗殺されたのか。
都合の悪いことは、詳らかにせず、したがって、恨まれる理由を明らかにせず、なぜ、ちゃぶ台返しを何度もされてしまうのかがわかってはいない。
なぜ相手がそうするのか。差別され、虐げられた方は、その恨みを忘れることなく、なんど謝られようが、いやされることなく、機会があれば、反撃し続ける決心をしているようだ。機会がなければ、その機会を作ってでも、繰り返し実行してくる。なぜそこまでしてくるのか。
韓国の悲しみ、恨み、その根源に思いをはせたことがあったのだろうか。この価値観はどこからでてきているのか、真剣に考えたことがあるのだろうか。
日本は、アメリカに徹底的に叩きのめされた。なぜ、この勝てるはずのない戦争に突っ込んでいったのか。明治以前から、日本は、欧米列強のたくらみに気付き、なんとかその支配の手から免れようと、必死の努力をしてきた。その努力の継続のなかで、最後の敗戦に至った風に、理解しているが、ついに、その意思は、徹底的に破壊された。
日本の支配層の思いは、絶たれ、今、アメリカ流の、民主主義の価値観のもとにいる。しかし、この民主主義は与えられたものであって、国民自らが勝ち取ったものではない。敗戦によって、もたらされたものである。
封建主義、年功序列的価値観、権力に媚をうる姿勢、本格的な国民主権を国民全体がもたないままに、支配権力の側の論理、価値観は残った。支配する側、される側の構造は残ったままであり、支配する側への通路は、される側にもつながっているものの、世襲であったり、学歴であったり、特殊な事情が必要である。
アジア諸国は、植民地化され、収奪の対象となっていた。いいように利用されその富を奪われ続けてきた。アフリカは、国民そのものが商品化され、奴隷として、アメリカに連れてこられた。現実に、壮大な犯罪の跡が厳然とある。傷だらけの人類の姿がそこにある。
アフリカに、アメリカが賠償したという話は聞かない。家族を連れ去られ、多大な悲劇があちこちであったはずなのに、世代を重ねるなかで、自然消滅した具合にみえる。
アフリカの現状は、どうなっているのか。社会的に大きな進歩を遂げている部分と、そうではない悲劇的な状況というのは、未だに続いているのではないだろうか。なぜそれが放置されているのか。国際的な取り組みがなされないままで推移してきているように見える。
人類は課題を抱えて、滅亡への道を歩んでいるのか、それとも、共生できる道を見つけ、生き延びていけるのか、いまだに、分水嶺の細い道を歩んでいるかの風情である。