正しいと思うことなら、卑屈になる必要はない。姑息な手段を弄していると、それなりの態度、物腰になるのではないか。
人物が評価されるのは、その人の品性である。品が悪ければ、良い評価はできない。白鳳の張り手や肘打ちは、勝つためには手段を選ばないという、汚さを感じる。横綱に対しては、対戦者は失礼にあたるとしてか、張り手や肘打ちなど、決してしない。
誠に不公平というか、本当に見苦しい風景である。批判を浴びて、白鳳は昨日の初日は、張り手などはしなかった。注目を浴びて、さすがにやれなかったのだろうが、相撲そのものは、結構押し込まれて、辛うじて勝ったという体で、横綱相撲には程遠い姿であった。
もはや、普通に戦えば、こうなるとわかっているから、今まで汚い技を使ってきたのかな、と思った。
勝ったあとも、ちょっとカッコをつけるような、ステップみたいな足取りでこれも品がない。こうなるとやることなすこと、なんでも批判されることになるのかもしれない。
そういえば、モンゴル相撲は、完全にお互いが組み合って、白鳳のような卑劣なことができないようになっている。あらかじめ、不正をさせない仕組みになっているのだ。これだと、勝ったものは、本当に強いということになる。それなら、納得できるのだが、面白みも少ないかもしれない。