「戦争をしないために、戦争できる国になる。」それは、戦争を本当にやらない、と覚悟し、決心している国のいうことであろうか。
相手から威嚇され、チョッカイをかけられ、侮蔑されるなど、動きが変わってくると、ジットしていられなくて、これに対抗する手段をとりたいとする。
相手も同様であるだろう。どちらかが、以前とは違う動きをすれば、黙ってはいられないとなる。当初はさほどでもなかったギクシャクさ加減が、意地を張り合っているうちに、にっちもサッチもいかなくなる局面をむかえる。
武器産業の興隆、戦争経済の始まり、これに依存する勢力は、さらなる紛争を求めはじめる。かくて、事がおきれば、歯車は回り始めて、戦争反対勢力は、弾圧の対象となり、世論誘導が始まる。
そもそも、違憲の自衛隊が、正規の軍隊となり、今や、防衛省がある。小出しに、発足当初は、警察予備隊といっていたのが、自衛権はあるんだと、自衛隊になり、さらに、自衛隊は軍隊ではないか、憲法がおかしいなどと言い出し始めた。
今度は、集団的自衛権である。これで、他国と手を組めば、戦争できることになる。戦争できる国になるということで、一人前の国として、扱われると考えているようだが、それは、警戒対象の国として、いつかは、闘う相手として、見られることになる。
かくて、あの犠牲のなかで、戦争はしないと誓った憲法9条は蹂躙され、普通の国になりさがることとなる。