空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

話の辻褄があっているか

2014年07月13日 17時09分26秒 | 思考試行

「戦争をしないために、戦争できる国になる。」それは、戦争を本当にやらない、と覚悟し、決心している国のいうことであろうか。

相手から威嚇され、チョッカイをかけられ、侮蔑されるなど、動きが変わってくると、ジットしていられなくて、これに対抗する手段をとりたいとする。

相手も同様であるだろう。どちらかが、以前とは違う動きをすれば、黙ってはいられないとなる。当初はさほどでもなかったギクシャクさ加減が、意地を張り合っているうちに、にっちもサッチもいかなくなる局面をむかえる。

武器産業の興隆、戦争経済の始まり、これに依存する勢力は、さらなる紛争を求めはじめる。かくて、事がおきれば、歯車は回り始めて、戦争反対勢力は、弾圧の対象となり、世論誘導が始まる。

そもそも、違憲の自衛隊が、正規の軍隊となり、今や、防衛省がある。小出しに、発足当初は、警察予備隊といっていたのが、自衛権はあるんだと、自衛隊になり、さらに、自衛隊は軍隊ではないか、憲法がおかしいなどと言い出し始めた。

今度は、集団的自衛権である。これで、他国と手を組めば、戦争できることになる。戦争できる国になるということで、一人前の国として、扱われると考えているようだが、それは、警戒対象の国として、いつかは、闘う相手として、見られることになる。

かくて、あの犠牲のなかで、戦争はしないと誓った憲法9条は蹂躙され、普通の国になりさがることとなる。


経済の見方が変わってきている?

2014年07月12日 08時44分45秒 | 思考試行

好景気だと言われても、実感がなく、それほど変わらない事態があったり、マスコミや経済評論家のいうところの実状など、庶民には無縁のことだと思っていた。

金で金を増やすだけで、生活の質が変わらなければ、これはあまり意味がない。しかし、長い目でみれば、永年乗ってきた近くの私鉄やバスなど、そして、ショッピングモールなどを利用するとき、過去と比較して、機能的に、設備的に、まったく違う世界がそこにある。ものすごい進歩がある。

現に、情報分野でも、このようにして、駄文を一個人として、出すことができ、それをどこからでも、読むことができるのだから、これはものすごい状況の変化である。

自分の意見を吐くのに、新聞記者にならなくともよいのだし、ましてや、組織からの余計な干渉を受けることもない。質的に、十分でないから、情報のゴミを撒き散らすだけかもしれないが、それは、仕方がないことで、まあ、多様性の補完とでも考えておくことにしよう。

件名のことであるが、経済状況をみる指標が、人口減少社会にあって、どう考えるかが、抜け落ちていて、問題になっているらしい。指標の捉え方に誤りがあれば、当然対処方法も変わる。

そのことに気づいている人がでてきている。ということは、正しい対処できる道に一歩近づいているということかもしれない。


正義が生き残るか

2014年07月11日 11時23分15秒 | 思考試行

朝日新聞に、デッカイ意見広告が出ていた。安倍内閣の正当性を、疑い、総理大臣を無資格者だと断じている。

そもそも、選挙自体の有効性、その後の裁判のおかしいこと、結果として、正当とはいえない為政者を難じている。

はげしい主張だが、順におって中味をみれば、まさしくその通りである。違憲状態で選出された国会議員、だが、選挙は無効ではないとする矛盾にみちた判決。

まさに砂上の楼閣のような、日本の政治状況。その一内閣が、集団的自衛権をとなえて、世界中どこへでも戦争に出かけたいとする安倍内閣のたくらみ。

国民不在の彼等の国家観の行く末は、世界に何を齎すだろうか。中国との軋轢は、ますますひどくなり、核武装まで話題にとびだす右からの鼻息が聞こえる。

真に、人類社会の共存、共栄を図る考えではなく、狭い、国家主義観は、前向きとはとても思えない。彼らは、日本の伝統を守るといいつつ、まことに狭い、危険な方向を、見すえているようだ。

そこに正義があるだろうか。正義の意味は、狭くとらえてはいけない。全地球上、全人類的立場にたたなければならない。身近な、国家、民族などにいつまでとらわれるつもりか。それでは、考えが狭すぎる。


ブラジルの実態

2014年07月10日 11時49分01秒 | 思考試行

ワールドカップは、サッカーの魅力を伝えるとともに、各国の事情も知る機会となっている。mbsテレビでみたのだが、忍者のスタイルで、アナウンサーが、試合会場周辺を取材している。

ブラジルのリオデジャネイロで、一千箇所にものぼるという貧民街がある。山の上まで、建てまし建てましの住居がまるで要塞のようにぎっしりとひしめいている地区である。

上にあがるほど、危険で、住民以外が近づいてはいけないとされている。なんで、こういう集落ができたといえば、奴隷として、連れてこられた人々の住居が元となっているという。

ブラジルは格差社会といわれている。こういう実態というのは、日頃あまり知らされていない。人類の課題は、まだまだ放置されたままであり、改善の余地は、ヤマほどあるということである。

ドイツに大敗したブラジルの代表選手のなかには、こうした地区出身の人が結構いるという。ネイマール選手は、そのなかでも中流階級の出身ということで、話題になっていたといわれる。

ブラジル人の嘆きは、半端ではなく、暴動や略奪などが頻発しているが、これを機会として、ブラジルが、国内の諸問題の解決に動き出すことがあれば、この大敗も決して無駄ではない。


生きがいについて

2014年07月09日 09時00分05秒 | 思考試行

相対的な関係、貧富だったり、地位の上下の関係、住んでいる家の広さ、豪華さ、高層マンションであれば、その階数がステータスになったりするらしい。

公園のママさん社会にあっても、こうした関係が反映されることもあるらしい。

法人税減税をめぐっての議論のなかで、中小企業への優遇策を削減する話が出ているという。弱者切り捨ての論理である。経済の舵取りは、この社会をどのように考え、今後、どのような社会を構築していこうとするのかの見通しに関連する。

競争社会を是認し、そのことが、人類全体にとっても、いろんな歪みが発生するとしても、いい選択であるとする考えが、今や主流であり、今後も、競争を避けるという選択は、とられないだろう。

ただ、その関係のなかで、一旦優劣関係が発生すると、勝者の側は、その関係を維持すべく、敗者を突き落とし、這い上がれない仕組みを導入してくる。固定化を図る。

それが、自分たちの家族なり、グループの利益を守るために有益であると考えるからである。社会に、害悪を齎すにしても、関心の埒外になってしまう。

こうなれば、生きがいについて、こうした関係を破壊することに、求める動きがあっても当然である。怒りを巻き起こし、対立が先鋭化する。あるべき政策の選択に、十分考慮されなければならない。


政治家の討論

2014年07月08日 11時24分30秒 | 思考試行

本当の主張をあからさまには、せず、オブラートにくるんだり、論点を外して質問にはこたえない。よくイエスかノーでこたえてくれ、という質問を野党議員が発しても、そう簡単にはこたえない。かならず、論点を外す。議論の結果は、多数派がその主張どおりに決定する。

それでも、議論の過程で、ことの本質、問題点があきらかになることもある。それが、世論の動向を決めることとなるので、次の選挙でそれが生かされるという民主主義の、筋書きになっている。

いま、集団的自衛権が問題になっているけれども、実際にアメリカから、参戦要請を受けたとすれば、これを断れるだろうか。

どんな理屈建ても可能である。集団的自衛権が行使できるとして、その理屈がたてば、必ず参戦するわけで、これは見やすい見通しである。戦争する国になるという宣言である。

戦争が、庶民にとって、何の益もなく、犠牲をおしつけられるのみであることを本当にはしらないのだろうか。戦争には絶対にいくこともなく、庶民をコマにして、動かしている政治家、富裕層、支配層のごまかしをみぬいて、庶民は、行動しなければならない。


どこまでもいくしかない

2014年07月06日 07時55分01秒 | 思考試行

前へ、進むしかない人生である。過去は、もう取り戻せない。未来はまだ来ない。今を生きるのみの人間である。だが、過去をふりかえることは、無駄ではない。今をどう生きるかに関係する。何を得て、そこから、今の方針にどう反映させるかである。反省のない、ただただ、前を向いているだけでは、同じ過ちを繰り返す。それでは、あまりに、知恵がない。

同時に、未来への見通しを考えることも無意味ではない。仮説をたてる必要がある。微調整を繰り返しながら、ときには、現在において、大胆な方針変更をありうることを忘れてはならない。

そのようにして、現在を生きていく。視野は、狭い自己中心的なものではなく、可能なかぎり、広げなくてはならない。目先のことだけに煩わされるだけではなく、長期の見通しも必要である。そのことが、今の生活の質をあげ、豊かなものにする。

先送りでなく、展望を持ちつつ、生きていく。生きることに、もっと真剣にならなければならない。そのなかで、余分な力のはいっていないリラックス状態が体現されているべきである。難しい境地であるが、人生の醍醐味を味わえる必要条件であると思う。


新しい境地を

2014年07月05日 08時45分26秒 | 思考試行

過去をふりかえり、現実に活かす。温故知新となるが、歴史を学ばないと、未来を語る、その知見は危うく、底が浅い感じが否めないものとなる。

だからといって、あまりに歴史にのめり込むのは、深い泥沼にはいるような気がしないでもない。いい加減にしないと、ミイラ取りがミイラになる。

求めるものは、何かといえば、これからの指針であって、過去の解釈などではない。あくまで、今後の問題が本質なのだ。とはいっても、過去の事件が何を意味するか、その本質の理解、把握は必須である。それが、なければ、いい指針はできない。

その指針が適当かどうか。根本的なヌケがないか。慎重なチェックが必要である。それにしても、集団的自衛権が、今後どのような影響を及ぼしてくるか。現実的には、戦争可能という解釈をして、一線を超えると、歯止めがきかず、平和国家としての信頼はなくなり、現実に戦争をすることになれば、歴史の教訓を活かせなかったことになる。

そのことは、人類の新しい境地をめざす展望を遠のかせ、あらたな悲劇の再来を生み出す。わかっていても、避けられない道を歩み始めている。


いつも注意をしていよう

2014年07月04日 09時07分08秒 | 思考試行

テレビなどみていると、集団的自衛権がどうのこうのといっても、仕方がない、という扱いになっている。およそ、真面目な取り上げ方をしていない。マスコミの本質である力関係の反映がみごとに出てきている。要するに、問題にせず、なかったような扱いにする。戦争勢力の意を受けている。

具体的になったとき、すなわち、アメリカが戦争を始めるときに、声をかけてきたときに、これで、断る理由がなくなったことを意味することを、歯止めがどうのこうの、と言い訳をしていることが、すべてインチキであり、戦争にまきこまれて、はっきり知ることになるだろう。ああ、やっぱりということになる。

それまでは、どうってことはないようにみえるけれども、こうして、問題の拡散、水準の低下が始まる。人類の滅亡へと舵をきり、困難な道がみえてくる。誰が、覇権をもつのか、善良な市民が、平和を求める市民が、権力を自らのものにしなければ、この道を外れることはできない。

それが可能かどうかは、まさに、我々一人ひとりにかかっている。いつも、注意をしていなくてはならない。


集団的自衛権の行先

2014年07月03日 15時33分27秒 | 思考試行

ついに、憲法9条があっても、戦争出来る国になろうとする動きが現実のものになりつつある。本当にそうなってしまうのだろうか。

戦争とは何か。殺し殺され、罪もない人々がいかほど苦しめられることか。人類にとって、明らかに戦争は無意味であり、単に害を齎すだけのものである。

国家意識、民族意識、宗教等々、いずれも命をやりとりするにふさわしいものではない。命をやり取りしなければならないことなんて、何もない。

人智を殺し合いのための武器開発に注ぎ込み、すでに、地球を何回も滅亡できる核爆弾をもちあって、不信のまなこで、にらみあっている人類の姿は、このままで進むのなら、人類滅亡の行先を明確に示している。

公明党が平和の党云々といいつつ、一定の抵抗ぶりをみせていたが、政教分離、政教一致など、宗教政党の弱みを問題にするかもねと、飯島某氏に攻められたら、いっぺんに腰砕けとなった。何が平和の党か。

国民一人ひとりが、本当にしっかりしなければ、戦争できる国への動きは止まらない。平和のために、どうしていくのか。まだ戦争を回避していく道はある。一人ひとりしっかりしていこうではないか。


腹痛は、放散痛であった

2014年07月01日 09時00分12秒 | 思考試行

心臓に変調があると、胸痛だけではなく、肩こりがしたり、他の部分に痛みがきたりする。小生の腹痛は、まさに放散痛であった。

家内と歩いているうちに、頭が白くなってきた。たまらず、座り込んだ。しばらく、道端で腰をかけていたが、これは心臓だと確信した。

危険を感じて、救急車の手配を頼むも、場所が臨時的に利用されているところとみえて、場所の特定ができないらしく、話がすすまない。

そうこうするうちに、症状が軽くなってきた。救急車はとりやめ、自力で自宅へ帰る。いそいで、かかりつけの心臓専門病院に電話し、いく手配をした。

カテーテルの検査をすることとなり、異常があれば、ただちに治療するということになった。検査の結果、以前にステントをいれた場所とは違うところが詰まっており、完全につまってしまえば、間違いなく死ぬところと、あとでいわれた。

あやうく一命をとりとめたが、まだ、執行猶予状態であり、まだ、ほかにも詰まりかけている部分があるという。この治療も、近々、予定されている。

話が変わるが、集団的自衛権について、公明党は脅しに屈し、同意をあたえて、ついに閣議決定へと進む見通しとなった。本当に、憲法解釈をかえて、戦争出来る国になろうとする動きがはじまった。

日本は何処へ行くか。予断を許さない。国民のことを、本当には考えていない、馬鹿な連中が策動している。これも、放散痛であろう。あとに、デッカイ危険が潜んでいる。