アサドがどんな人物なのか知らない。調べれば、といってもインターネットで調べるわけだが、そんな意欲もわかない。雰囲気で、独裁国家が次々と倒れたなかで、しぶとい独裁者がでてきたということだ。
21世紀のこの時代に、国家を私物化し、国民を苦労のどん底に追い込むものは、政治の舞台からは退場すべきだが、富の偏在、集中についても、同様な問題がある。
富を持つ連中が、表面にでることなく、仕組みのなかで、多くの人民を貧困においやり、自らは、さらなる富を築いていく。
そのためには、人民がいかに苦しもうと、我関せずであり、その力で、態勢の維持を図ることに熱心である。銃規制に反対したり、公共部門の切り捨てなど、その言い分の一部をみただけでも彼等の、本音が透けてみえる。
こういう連中と、席をならべて、コーヒーでも飲むと想像してみよう。どんな会話になるだろうか。貧者はいかに蔑まされているか、思い知らされることだろう。
それでも戦争で、彼らを駆逐はできない。一人ひとりの良識で、仕組みを変えていくほかない。
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