台所の洗いものなどは、確実に成果がみえて、精神衛生上極めてよい。奥さんからちょっとしたオコトバなどあれば、なお素晴らしい。だが、気が向いたときだけ、やっているのだから、いちいちその都度、褒めてやらねばというのもしんどい話だから、そんなものは、求めてはいけないのである。
そのなかで、自分なりの工夫をいれていくことで、視野も広がるてなもんだ。たとえば、壁に吊り下げてあるフライパンやら、オタマや、炒め物などに使うヘラ類、調味料の分量をはかるものや、洗剤、などの置き場所について、考察を加えて、小規模の変更を加える。
それなりの、理屈を考えてあるから、合理的なものだと奥さんも気づかずに、そのまま採用となる。たまに、「秩序」が崩れていると、それが合理的でないと判断すれば、直しておく。変更している方がいいとみれば、その変更はうけいれる。というわけで、いつの間にか、台所は、自分の設計通りになっている。
このようなわけで、たまに、なになにはどこにあるのん?などとお尋ねがあったりするが、別に、恩着せがましくいうわけではないが、ちょっとした優越感にひたったりするのもおまけである。ただし、あくまでも、鼻をピクつかせたりして、それを、気付かれてはいけないのは当然である。