空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

貧富の差のこと

2011年10月06日 09時10分47秒 | 思考試行

利権を持つか、才覚か。

少しの違いが、大きく変わる。貧富の差がでてくる。富者は貧者を食い、道具とし、ますます富む。放置すれば、その差は、いくらでも広がる。

配分を考えなければならない。富者は、税金をドンと払うべきである。あるいは、貧しい人々への事業を展開するべきである。

それでなければ、「生きがい」がないではないか。

タップリ儲けたら、今度は、その分奉仕すればいい。孫さんらは、今度の大震災で多額の寄付をすると言った。他にも有名人が多数そう発言している。

この寄付をどう管理して、どうながれていってるのか。総体が、あまり報告されていない。マスコミの報道には出てこない。評価をする動きもない。これはどういうわけだろう。

国民全体の金融資産のうち、10%を拠出すれば、10兆円が出てくる。少しの負担で大きな金額となる。寄付が普及するなら、かなりのことができてしまう。

税金は、その使い方が問題となる。軍事費に使われるだけだとすれば、それは、最悪である。みんなが、幸せにくらすことができる仕組みのために使われるべきである。

地球上どこでも、あたりまえのことをすべきである。「ショックドクトリン」、まだ途中であるが、どうやらその方向が指し示されているようだ。


判っているようで・・・

2011年10月05日 07時14分57秒 | 思考試行

機械やなんかをみるとき、ほとんど何も知らないのに、平気でそれを使っているものがある。そのすべての機能を知っているわけでもなく、その仕組みもほとんど知らない。

だが、人間の作ったものであるから、誰かは、その全貌を知っているはずである。ところが、そういえるかどうかは疑問のような気がする。

機械を設計しても、その部品がどのようにして作られているかどうかを、その設計者は知っているだろうか。そして、注文をうけて部品を作る人は、その部品がどのような機械のどこに使われるのかも知らないケースもある。

所定の材質、寸法、が指定されているだけで、全体の機械を知る必要はなく、また、知られてはいけないのかもしれない。

コンピュータなどは、機械的な仕組みを知らなくとも、ソフトを作るのは、可能である。もちろん段階はあるだろうけど、一般ユーザーにとっては、実用的に使用できればいいのであるから、中味の技術的なことは、どうしても必要な知識とはいえない。

そうなると、個々人は、何がなんだか、よくわからないでも、世の中は進行しているようだ。

昨日、小生のコンピュータに、スピードが速くなるとかで、メールがきた。どんどんダウンロードしていくと、金銭の支払いをするところも出てくる。ままよ、とさらにすすめていく。

何本かのソフトがインストールされ、確かに、スピードは速くなったようである。だだし、簡単に、買い物をさせられてこれでいいのだろうかという気分が消えない。問題ないと踏んで、実行したのだが、思えば危ない橋であるかもしれないのだ。

昔なら、当然しなかっただろうが、もはやそれほど守るべきものもない。そんなに臆病でなくてもいい、という気持ちがどこかにある。


映画の面白さ

2011年10月04日 08時30分45秒 | 思考試行

「読むべき」本がたまる。放送大学の放送教材3冊と、ショックドクトリン、そのほか手持ちの古い本で、チラッと読みかけの本。

というのも、新聞広告にひかれて、wowowに登録したものだから、いっぺんに映画にとられる時間が増えてしまったからである。

昔、映画は3本立てで、近所に映画館があって、値段も安かったのだろう、よく行った。観客はいつも多かった。立ってみるのは、あたりまえであった。

座席は狭く、トイレは古い。本当に今昔の感がある。

それが、今は、自宅で高画質、高音質の画像が見られる。なんという贅沢であろうか。俳優の演技がすばらしい。ストーリーも意表をくつがえしてくる。

かつて、みた映画ほど面白い、というか見落としていたもの、忘れているものがあるので、演出のネライ、筋立てがようやく理解できるので、面白いのである。

新聞広告にひかれて、無料映画をみはじめたら、画面に登録を宣伝するコーナーが現れて、まことに邪魔である。ならば、登録せよ、テナ具合だ。なるほどと、感心しつつも、気になる。

家内が電話するも、つながらない。ショウガナイ。パソコンを起動させ、登録した。15分ほどで、コーナーは消えた。そこで、付き合いが始まったというわけである。

あれやこれやとみていたら、12時半である。11時半には寝るようにしているので、タイムオーバーだ。ペースを考えないといけない。


みぎかひだりか、あれかこれか

2011年10月03日 08時21分04秒 | 思考試行

信条が人生の方向性をきめる

その信条は どこで仕入れたのか

周囲をみながら 感化されながら 自分でも考えて 

気付けば そういう具合になっていた

それを 点検しているか みなおしているか 

ヘンだと思えば 変える勇気が いると思う。

 

変える勇気 それは どこからくるか

自分で決めなければ 誰も決められない 

他人頼みは いけません 自分で決めてください


原発事故の情報は正確か

2011年10月02日 07時57分00秒 | 思考試行

原発問題で、国民がパニックになっていないことは、事実を知らないからだろうか。それとも知っているけれども如何ともし難く、どうしてもということだけを、やるより他なしということだろうか。

何か、事があれば、敏感に大騒ぎをする者、落ち着いている者、さまざまに人は、反応するけれども、危険がせまっているにも関わらず、おちついてそのままにしているのはおかしいといっても、人は、往々にしてそういう傾向がある。

徐々にせまる危険に対して、まだ大丈夫とする傾向がある。行動をためらうのである。これは、各種の実験でも明らかである。

北海道のトンネル事故で、煙がひどくなってきているのに、大多数は落ち着き払っていたという。一人が行動を開始したので、みんなもそれに続き、人命だけは助かったのである。その一人の行動がなければ、大惨事は必至であった。

責任を問われる社長が、自殺してしまったが、事故報告を求められて、どうしようもなかったのだろうか。経営が困難で、安全対策が全然できていなかったから、そうするより仕方がなかったのか。安全第一では、食ってはいけない実態があるのだろうか。

チェルノブイリの教訓は、充分に生かされているのだろうか。安全神話を徹底してきた日本では、原発事故というのは、まったく想定しておらず、従って、対策を云々するだけで、その人は、原子力村では、「村八分」になったという。相手にしてもらえないのである。

実際に、事故が起きて、混乱したことだろう。それを、菅さんのせいにしたり、自分達の責任を転化する動きもあった。どうしていいかわからなかった場面があったようにもみえる。

いざ事故が起きて、西日本にいる小生からみれば、どこか対岸の火事的な感覚がどこかにある。放射能汚染で、いますぐどうのこうのと思っていない。しかし、真実はどうだろうか。現実対応について、選択の検討は行なわれているのだろうが、マスコミの積極的なアクションはみられない。

マスコミにも、オピニオンリーダーはいないのだろうか。系統的な取材、体制がとれないようだ。上からの指示待ちであったり、基礎力の不足、が言われている。

マップがでている。では、それでどうするのか。なんとか健康被害がでないままで、行けるのだろうか。現実対応を間違えないためには、正確な情報が不可欠である。

贅沢なんてしたいとは思わない。事態が変われば、その条件下で行動の選択をしなければならない。原発問題は、生き方の問題でもある。原発をやめるにしても技術の継続は不可欠であり、悩ましい問題がつきまとうが、ここは、脱原発しかないように思う。コントロールできない技術は、使い続けるわけにはいかない。


山口なつお氏のこと

2011年10月01日 11時04分13秒 | 思考試行

公明党の委員長である。創価学会の信者である。

東大法学部卒業で、弁護士。弁舌さわやかで、まさにエリート風。どうして、こんな人材がいるのか不思議であった。

創価学会は、行動力があり、少しの縁であっても、ともかく声をかけてくる。選挙ともなれば、あちこちから声がかかる。政教分離など、オカマイナシである。

宗教的な結びつきイコール政治的勢力となって、どこかからの指示のもと一斉に行動を開始する。どちらへ行くかは、池田サンの意向どおりである。

恐ろしい集団としかみえない。日常は、信者同士が結束してよく協力しあい、助け合っているのだろう。街中で挨拶し合っているのをみると、単なる近所付き合いとは違う風情がある。共同体的である。

大新聞には、池田サンの広告がでるし、テレビ番組にも信者として有名な人が、あちこちに登場している。ラジオでも創価学会のコマーシャルが流れる。意図的な勢力拡大の意志が読み取れる。

それで、山口さんは、何で信者なのかと思っていた。これほど異様な集団の信者にどうしてなったのか。

創価学会の信者のウチに生まれたということらしい。あるブログでそれを見つけた。かれにとっては、最初から信者であったということらしい。

歴史があるのだ。キリスト教だって、随分ヘンだと思うが、今もなくなりそうもない。人間社会は、さまざま問題を抱えつつ、すすむということか。

宗教を、どうしても必要不可欠なものと思えない小生にとっては、宗教を基盤に政治的力を持つことに強い違和感を持つ。とても正常とは思えないのである。へんな風にならないように願うばかりである。

 


「片付け番組」をみて

2011年10月01日 09時15分24秒 | 思考試行

部屋が、モノで溢れて、「ごみ屋敷」と化している芸能人宅に、コンサルが訪問。みごとに片付けていく番組があった。

場所ごとに片付けるのではなく、物ごとに片付けていく。まずは、服からということで、一箇所にすべての服を集める。そのうえで、「トキメク」かどうかを尺度として、不用となったものは、感謝をして捨てる、という。

物ごとに選択するのは、なるほどと思わされた。最初は、思い入れがあるが、だんだんと判断のペースが速くなる。決断が早くなるのである。

我が家も、「老前処理」をしなければということで、チョコチョコやっているけれども、番組ほど徹底してはいないから、かなり刺激をうけた。

コンサルの女性は、小柄で若い女性であるが、経験豊富であり、心理的なことまで触れるので、さすがにベストセラー本を出す人はすごいと思わされた。

昔は、物がないことが寂しかったが、今は、使わない物で生活の質が損なわれるという事態になっている。なんともモッタイナイことである。