カダフィ大佐がついにその人生を終えた。若き日に、権力を握り、したたかに、大国と、あるときは対立し、力関係をみながら、あるときは、妥協するなど、うまくおりあってきたが、民衆の怒りを買い、ついにその末路をむかえた。
中東におきた、一連の展開で、どこの独裁者たちも、莫大な個人資産をもっていたことが、あきらかとなった。彼等独裁者たちの共通項である。適当にしておけば、善政をしいたことになり、国民の信頼を得ることも可能とおもえたが、彼等自身が資産以外を信用できなかったのだろう。
そのことが、結局、国民の怒りを買い、どうしょうもない破滅の結果を招くこととなった。権力者は、まずは、自分のことが中心になる。それは、人間一般に言えることかもしれない。しかし、それでは、うまくはいかない。いつの日にか、その矛盾が問題になる日がくる。
資本の都合は、世界中に行き渡り、巨大な力となって、うごめき、弱者をくいものにしながら、ますます自己増殖を続けている。アメリカでも、職を求める人々が、この矛盾に声を上げ始めた。富裕者は、黙ってこの事態を眺めていてはならない。自らの、儲けすぎを還元する努力を開始しなければならない。そのことが、カダフィの教訓を生かすことである。