地球がどうなろうと、生物がどうなろうと、どうってことはない。太陽系だって、その命は永遠ではなく有限であることを人間は知っている。わずかキリストさんが生まれて、2000年やそこらの歴史しかない人間が、そんなことを言うようになっている。
キリストさんの生まれたあたりは、地球上でみれば、遅れてきた地域で、はるかその以前にインドや、中国あたりには相対的にすすんだ文化がすでにあったし、そうしてみれば、人間の文化文明は、まだまだ「ハシリ」なのかもしれない。
それでも、間違うと、地球上全体の命も危うくなるような技術をもち、すでに二度も、何十万という人を殺した体験を、、もっている。
一方では、証明不能なことを、「信じ込み」絶対化して、その信条のもとに生活している人々もいる。その総体をコントロールできる人もいる。恐るべき実態がある。
人は、おたがいそれぞれの役割、力をだしあい、生きているのだけれども、本音のところで、そうではない人もいる。他者を、たんなる利用できる道具としてしかみない。命を大事などとは考えてはいない。こういう人は、その本音を言わないから、なかなか見抜けない。
言わなくとも、その行動が示している。政治家や、企業経営者、資本家、資産家、およそ大小に関わらず、ちょっとした「力」をもつとき、その行使の仕方をみれば、わかることである。
人類は、すでに、かなりの技術を身につけているのだから、根本のところで、人間が変わるとき、その生きる世界は、格段に変わるはずである。もっと、住みよくできるはずである。今、その前段階にまできているのではないだろうか。
人間、その気になれば、方向性は見えてきているのではないだろうか。しょうもないことに、コダワリを持ち続けているのではないか。