新自由主義、新保守主義の連中の考え方は、結局のところ「人間が自己利益に支配される生き物であり、そうした自己利益があらゆる人間活動を支配するとき、社会はもっともうまく機能する」というのである。
助け合いだの、弱者救済などは、とんでもないということになる。
日本も小泉竹中路線で、労働法が大改悪されて、若者たちの労働力を安く買い叩ける制度が非合法であったのが、一転合法化されてしまった。
いったん派遣労働者になれば、スキルをつけることは、困難となり、条件によっては、年金にすら入れない、貧富の格差は拡大し、いまや、目を覆うばかりの惨状をきたしている。人を道具化したのである。
アメリカの99:1の抗議行動は、本質をついている。1の裕福な連中のために、99の人々は貧困にあえいでいる。こんな状況がいいはずがない。それを、誰に文句を言っているのかわからない、などとマスコミはいう。
このシステムに文句を言っているのだ。日本でも、そうなってしまっている。いつ暴動が起きても不思議ではない。子供の虐待、ダレデモよかったといいながら無差別殺人に走った人さえ、でてきている。その根本には、冷たい社会構造にあるのはあきらかである。
エリートのみを優遇し、助け合いを否定し、弱者を切捨てる。こんなことが、いいはずがない。その矛盾がこうした悲惨な事件をうむ背景にある。
人間の本質は、他者のことはどうでもよく、自分さえよければいい、と考える生き物であろうか。自己の利益をすて、まさに他者のために、どれほどの人々が命をかけて努力してきたことだろうか。人間社会の進歩は、こうした努力の積み重ねで勝ち取られてきたのである。
馬鹿な醜い連中に騙されて、この成果を捨て去ってはならない。