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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

散歩の途中で

2011年10月18日 08時15分33秒 | 思考試行

ようやく体調がもどり、このところ、散歩を再開している。いつもと違うコースをとっていたら、小さなキリスト教会の戸口が、突然あいて、なかから人々が出てきた。部屋の中が少しみえて、かなりの人数が、帰り支度をしたりしている。

この教会は、前からあるのは知っていたけれども、人が集まっているのをみたのは、始めてであった。どういう集まりで、何をしていたのかは、わからないが、「仲間」としての行事であるから、そこには、外部の人にはわからない世界があるのだろう。熱気のようなものが、押し寄せてきた。

この感じ。

おそらく、これが魅力の源泉だろう。

仲間、セクト、・・・、親しみ、・・・

しかし、ここに病理もあると思ってしまう。なにかゴマカシてはいないか。そこを越えたところに、人間の目指す地平があるのではないだろうか。

 


ネコとの同居で

2011年10月18日 07時35分12秒 | 思考試行

もう何年にもなる。三匹の子猫が、親と別れて、居ついてから。それ以来、入れ替わりたちかわりで、とぎれることなく、今は5匹いる。ウチ猫三、ニワ猫二。多くのであい、別れ。涙の事件もあった。

病気もすれば、(いま、膿のニオイにつつまれているのが一匹いる。)障子をガリガリやるし、トンデモナイところに、コロコロと、ころがし、カーッペットは、気持ちいいのか、ときおり湿らす。騒ぎになっても平然としている。「犯猫」が誰かは、観察して、こちらもわかっているから、対処はしている。寝室の布団だけにはさせないように、厳格な配慮を、家内がしている。

それでも、ひたすら眠るその姿は、「癒し」をくれていることは間違いなく、調子の悪いときのガマンの姿勢は、哲学者か思想家か、ジッと動かず、ただただ座禅瞑想していて、なんぼこちらが鈍感でも、騒がない姿は、なにごとか感じさせ、教えてくれる。

それぞれがそれぞれの思いをもって、群れない。おなかが空いて、要求する姿は、まさに要求であって、依頼哀願ではない。それでも、要求がかなうとなれば、いつもは、遠目に見つけると、逃げようとするのに、体をぶつけ、頭をこすりつけ、尻尾を小刻みに震わせ、悩殺ポーズを炸裂させる。

彼らは区別する。家内が一番で、当方は、あきらかに二番手。日頃の世話の度合いが違うし、なんぼなんでも、あれほどの「よびかけ」「こえかけ」は、とてもできないし、家内が外出のときは、当方も当然のごとく相手にしてもらえるのだから、それでよしとしなければならぬ。