自分の緊張をなくすために、高飛車に出て、それがうまくいくと、自分の気持ちが楽になるという効果があるのかもしれない。従業員が年上で、しかも経験豊富なために、遠慮がちとなり、名前をよぶのも「さん」付けであった社長が、本人の了解をえて、「呼び捨て」にすることの了承をとりつけ、そうしたところが、気が楽になった、という。
言われるほうにすれば、雇われているのだから、給料をもらわなければ生きてはいけないのだから、と思えば、呼び捨てにされるぐらいのことは、了承するだろう。しかし、社長の気が楽になるというのは、相対的には、雇われる方が、命令に従わざるをえないという、従属関係を思い知らされることになる。
ナンダカネー、の世界があらわれる。
医師にも、いろんなタイプの人がいる。エラそうにする者、ものすごく丁寧な人。フランクな人、医師と患者の関係は基本的には、変わらないと思うが、この違いはどこからくるのだろうか。
おそらくは、医師の側の考え方にある。「診てやろうか」というのと、「診させて頂く」と思う人では、医師の態度は、相当変わるにちがいない。エラそうにされると患者は反発を感じるのが普通だろう。
いずれにしても、エラそうにすることは、エラそうにされる人の気持ちを考えてはいないわけで、使い方を誤ると、たいへん危険であることを知らなければならない。