機械やなんかをみるとき、ほとんど何も知らないのに、平気でそれを使っているものがある。そのすべての機能を知っているわけでもなく、その仕組みもほとんど知らない。
だが、人間の作ったものであるから、誰かは、その全貌を知っているはずである。ところが、そういえるかどうかは疑問のような気がする。
機械を設計しても、その部品がどのようにして作られているかどうかを、その設計者は知っているだろうか。そして、注文をうけて部品を作る人は、その部品がどのような機械のどこに使われるのかも知らないケースもある。
所定の材質、寸法、が指定されているだけで、全体の機械を知る必要はなく、また、知られてはいけないのかもしれない。
コンピュータなどは、機械的な仕組みを知らなくとも、ソフトを作るのは、可能である。もちろん段階はあるだろうけど、一般ユーザーにとっては、実用的に使用できればいいのであるから、中味の技術的なことは、どうしても必要な知識とはいえない。
そうなると、個々人は、何がなんだか、よくわからないでも、世の中は進行しているようだ。
昨日、小生のコンピュータに、スピードが速くなるとかで、メールがきた。どんどんダウンロードしていくと、金銭の支払いをするところも出てくる。ままよ、とさらにすすめていく。
何本かのソフトがインストールされ、確かに、スピードは速くなったようである。だだし、簡単に、買い物をさせられてこれでいいのだろうかという気分が消えない。問題ないと踏んで、実行したのだが、思えば危ない橋であるかもしれないのだ。
昔なら、当然しなかっただろうが、もはやそれほど守るべきものもない。そんなに臆病でなくてもいい、という気持ちがどこかにある。
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