空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「きことわ」に、そういえば・・・

2011年02月12日 16時34分37秒 | 思考試行
夢だったり、現実だったり、過去、現在が入り組んで・・・不思議な感じだが、そういえば、そんな感覚は、始めてではないようなこと、自分にも覚えがあるようなこと、に思える。

それが、人間の仕組みなのかもしれないが、こういう世界を、よく文字にしたものだと思う。これが、才能というものか。

選者の感想というか、評が出ていて、これも面白い。文学に疎いので、知らない言葉が出てくると、辞書を引いたりしながら、言わんとするところを、追っかけてみる。

そうしていると、なにかしら、書いてみたい気分になる。テーマができれば、挑戦してみるか。


文藝春秋のような雑誌は、日本には、他にはない。記事を読んでいると、こういう雑誌がある日本という国は、なかなかイイ線いってると思う。

これが、文化というものだろう。毎月購読はしないけれども、たまに、買うのが楽しみだ。買うと、結構時間を取られることになるので、毎号をとる気になれないのだが、悩ましいことである。

真相は!

2011年02月12日 07時16分38秒 | 思考試行
真相は、ほとんどの人が知っている。しかも、それほど、問題にしていない。大相撲がそうだ。真面目に相撲に取り組む者。取引しながら、泳いでいくもの。いろいろいるのは、あたり前で、人間という動物は、そういう者なのだ。

何にもせずに、クリックひとつで、マネーを動かし、大金を得る。こんな連中が、リーマンョックを起こした。国を危うくした。それで、その連中が、世界中の富を、お互いで、分配している。弱者をさらに追いつめ、そこから、奪う。こんなもの市場でもなんでもない。

大変な、個人資産を持つものは、すべて、ウラがある。説明できないような資産を持つものは、それを投げ出すべきである。どこまで、ということはあるかもしれない。それでも、貧しい人を一掃するぐらいのことは、しなけりゃ!

どこの世界も、格差があっても理由をつけて、公平ではないが、一応、公平ということになっている。真相は、差をつけなければ、人は動かない。差を楽しみに、人は動くという面もある。それは、公平を主張する者に中にもいる。

要は、程度問題ということだろうか。徹底すると、世の中、まことに住み辛いのである。タテマエだけが横行する世界などは、なんの魅力もない。その中に、本音の世界も、存在していなければもたない。塩梅ということかもしれない。


今朝は雪!

2011年02月11日 09時27分09秒 | 思考試行
文藝春秋は、3月号をいつもよりは、多く売り出しているようだ。書店の平積みの量がいつもの倍はあるのではないか。芥川賞が2本あるということで注目を集めているのだろう。主婦が立ち読みしていた。あまり見ない光景である。

小生も昨日早速購入。「苦役列車」を読み上げた。出だし、見たことのない漢字が登場。早速辞書を引く。自己紹介で、作家は、中卒を強調しているが、この漢字は、その後の努力の証拠を示しているかのようだ。ナメンナヨというところか。

さもありなんという内容で、私小説をうたっているだけに、そのさらけ出し具合が、小気味いいぐらいに、なんの制限もしていない感じがある。ここまでやるか、というスタイルである。

違和感が、現在の自分の地点の豊かさを感じさせてくれる。作家が、駄目なヤツがいるもんだ、と思ってもらえたら・・・、などと書いているが、まともに、そうとも思えないが、クスグリを感じるのは事実である。

雪は、まだまだ降っていて、庭の風景は、何年来見たことのないほどの雪化粧。静かである。鳥の声は聞こえず、妻がみるテレビの音のみ。

さて、次は、「きことわ」を読んでみようか。

マニュフェストの「破綻」か、国民生活か

2011年02月10日 09時29分59秒 | 思考試行
もし、仮にマニュフェストが破綻しているとすれば、それがどうしたという話である。いろんな条件で、変わることはよくある話である。

時事刻々事態は、変わる。条件が変われば、対処の仕方も当然変わる。また、変わらなければならない。4年間で、マニュフェストの正否を判断すべきであって、途中で、何もさせずに、解散を言うのは、フェアとはいえない。菅さんは、絶対に解散なんぞしてはならない。

その意味で、朝日の「天声人語」は、話にならないほど、低劣である。こんな見やすい論理を、投げ捨てて、自公の肩をもつイイグサは、まことに腹立たしく、乱暴であり、程度が低い。

谷垣さんも、こんなに低劣だとは思わなかった。事態は、「回り道なんてしている暇はない。」とすれば、直ちに、事態を好転させるための手立てをとらなければどうするのか。「急がばまわれ」は、聞いてあきれる。

同じことをやるのに、自分達が、政権をとらなければ、イヤだというのは、オサナスギテびっくりする。参議院選挙でも、議席では、多数をとったが、総得票数では、民主に負けているのだ。ここは、建設的に、対処することが、延命どころか、それが、民意にかない、自民党の再生への道でもある。

今の状況では、ともかくも、民主の政策を中心に、変更を加えて、いくほかないと思うが、それとも、またもや、選挙なんぞしていて、どうにかなるのか、と言いたい。

民主の子供手当は、政策である。やってみなければ、どんな効果が出るのか、それは解らない。とすれば、それで、やってみることである。やらないで、解散をいうのは、筋違いも甚だしい。

北野誠さん復帰おめでとう

2011年02月09日 20時19分39秒 | 思考試行
読売テレビにコメンテーターとして出ていたのを発見。よかったね、といいたい。なんで、テレビ界から、去ったのか、理由がイマイチ解らなかった。今日が再開後、初の出演ではないのかもしれないが、久しぶりに元気な姿を見た。ともかく良かったといいたい。

芸能界のウラ事情を、ラジオで、言ったことが原因だったと、以前にインターネットで流れていた。本人の謝罪会見もあったりして、それでも、なんのことやらさっぱり解らない事件ではあった。

世の中、こうしたウラ事情がまだまだある。その読売の番組で、街角トレジャーなんとか、というコーナーで、マスダ君が、突然訪問して、アレコレ、素人と交流するというものだが、相撲の八百長騒ぎも、その番組で話題にしていたあとで見ただけに、そんなに、「突然」を強調されると、いささか、つっこみたくなる。

事前に、訪問を打ち合わせをしているヤロ!と言いたい。これも、ヤラセの一種で、読売テレビの体質を、示しているともいえる。事前に訪問を打診しているという情報を得ているのだ、こちとらは。

インチキは、いかんのである。バレルのである。ウソをつくのは、慣れてしまえば、何ともないのかもしれないがそういうことをしていると、真実を語れなくなってしまうし、本当の感動なんて生まれないと思う。

「7%の支持でいい」これは正しいよ菅さん

2011年02月09日 11時05分56秒 | 思考試行
政権を取ったのは、衆議院選挙である。まだまだ、なにも、主張したことの行動が充分できているわけではない。それは、主には、主体的な条件ではなく、いろんなアカ落としであったり、邪魔だったり、自公のイヤらしい攻撃、マスコミの意地悪であったりした。

人間社会、みんな賢いわけではない。はっきり言って、大部分の人は、騙されやすい人びとである。支持率で一喜一憂していても仕方がない。自分が投げ出すと言わなければ、菅政権は続く。女関係、金銭関係に気をつけていれば、つけいる隙はない。

この際、いろんな意味で、膿を出すためにも、ここは、頑張るべきところである。世界は、まさに混沌として、人間社会の未熟さが、いよいよ明確になってきている。アメリカ、ロシア、中国、・・・、おかしな国は、山ほどある。

どこも問題を抱えている。本音とタテマエが、交錯しながら、世の中がすすんでいる。菅内閣のどこが、悪いのか、決断が遅い?独裁?悪口は、言おうとすれば、何とでもいえる。

問題は、その方向がどこへ向かっているかである。その方向が、最小不幸社会となれば、現実をよくみて対処することだから、理念だけではない。イデオロギーだけではない。そこには、妥協や、曖昧さや、高度な判断が要求される。

ただし、健康なものの見方が要求される。それが、ある限りにおいて、ひるむことはない。現実対応の中で、どんどんと、行動してほしい。

自公は、政界から出て行け!

2011年02月08日 11時03分19秒 | 思考試行
どうしても、ゴチャゴチャにしたいらしい。それぞれ、思惑があって、国会は動かない。特に自民党、公明党は、まったく話にならない。

これで、よく政権を持っていたものだと思う。

官僚の指し示すところを、動くだけなら簡単だが、菅内閣のように、一旦、国民の方にすこしでも、目をやるとなると、すさまじい官僚の抵抗、既得権益者からの、攻撃にさらされ、いかに、秩序が乱れようと、困難になろうと、知ったことではない、という姿勢である。

愛知県の動きは、既成政党にたいする失望感が出てきているのは間違いないが、本当に、政治が、国民目線となる日は、くるのだろうか。

河村氏のように、自らの歳費を削るなど、政治に対する姿勢が、既成政党とは、全然違う。そもそも、政治家がなんで、高い報酬が必要だろうか。あたりまえの主張が支持されたということだろう。

公務員、議員も同様である。まずは、こういう特権的な状態を変えて、世の中の変なところを、次々と改革することが、重要である。それが、なければ、人間社会は、継続できない。

自公が一切、熟議にはのらないとなれば、行く先は、決まったも同然である。そして、次の政権を取るのは、誰であるかであるが、自公以外でなければならぬ。

彼らは、悪の根源である。民主主義の何たるかを理解していない。話ができる相手ではないのである。道理が、まったく通じない。こんな連中は、政界どころか、地上から出て行くべきである。

人をこきおろして快感?

2011年02月07日 14時04分59秒 | 思考試行
仙谷さんの記事が出ていた。どうも、自民党と、政策についての、すり合わせをしようとしても、単に、人をこき下ろしたりすることに、快感をもっている人がいてうまくいかないと、嘆いている。

これは、ひどい状態である。よく、学校や職場である、まさにイジメである。国政に関与する政治家にあるまじき行為である。

それにしても、この程度の低さは、驚くばかりである。マスコミも、いい加減に、まともになってもらいたいものだ。小さい記事だが、こういう問題をとりあげたのは、少しはひどさに気付いているようではある。

問題意識を持って、対処するなら、どんな問題も解決できるものはできる。国の予算なんてものは、人為的なものだから、これが、できないわけがない。

こんなことで、国政に不具合が生じるとすれば、自民党、公明党は、政界から永久放逐だ。資格がない。利権と宗教が結びついた、とんでもない連中の正体が、いよいよ明かになるということである。

人間誰しも間違いはある。反省して、立ち直ればいいのだ。それが、できれば、いいのであって、それが、できないから苦労するのである。ちゃんと気付いて、真っ当になりなさい。

我慢ならないとは・・・

2011年02月06日 10時22分37秒 | 思考試行
食べるものがあれば、眠る場所があれば、そして、愛する人がいれば、・・・それで人は生きられる。

それを、とことん奪って、自分だけのためにする。人にどれほどの痛みを、与えているのか、考えようともしない。こういう連中が、地球上には、まだまだたくさんいる。

よほどのことがなければ、人は、暴動なんて起こさない。そこには、よほどのことがある。

そこまで、放っておく神経が、腹立たしい。人の気も知らないで、自己本位にふるまう連中のその生き様が、問われている。

国益のみのアメリカの本音。自己主張に偏重する価値観。多様で、ひろい世界を、これからは、体験、学習してもらわなければならない。

しっかりしないと、世界は、おかしくなる。そういう時代を迎えている。

菅さんの最小不幸社会というのは、ネーミングとしては、あまりセンスがいいようには思えないが、それでも、言おうとするところは、よく本質をついている。

現実的であり、具体的である。

今、解散を叫ぶ、自民、公明の非生産的な姿勢と比べて、健康的である。しっかりと仕事をさせてあげたいと思う。

昔から・・・

2011年02月05日 09時48分51秒 | 思考試行
大相撲が揺れている。これは、昔から言われていることで、こういう仕組みは、当然できるのはあたりまえだと思う。

真面目な人もいる。そうでないのもいる。バレタときには、目も当てられぬ事態となる。

相撲興行などは、昔は、誰が主催するのかといえば、素人が手を出せる分野ではなかっただろう。歴史的な背景がある。

いろんな習慣があり、それらが、現代的に改善、改革されてきているのではないか。今、初めての出来事のように、言うのは、ある種の欺瞞である。

また、この事件について、極端な怒りの表現には、不自然なものを感じる。大相撲全体の存立を云々する話も出ているようだが、それこそ、角を矯めて牛を殺す、である。

システムの改革をすればいい。日本の場合、相撲に限らず、古い習慣から、いろんな悪弊は、山ほどあるのではないか。

検察、警察、政界、財界、・・・とりわけ、外部に対して、力を持つ分野には、こうした問題点が、累々と存在するに違いない。

少しずつ、改革していくほかない。いっぺんにはいかないだろうが、やっていくほかない。

主導権を誰がとるのか

2011年02月04日 09時49分04秒 | 思考試行
蛙を、浅い水の張った皿に入れて、下から、徐々に温めていくとどうなるか。

実際にしたことがないから、本当の所は、知らないのであるが、話としては、いつでも、その危険から逃れる手段があるにも関わらず、蛙は、そのまま、死んでしまうというという。

損保業界などで、リスクに関して、顧客にたとえ話として、出たりする。

今の国会の情勢、日本の情勢は、こういう状況なのかもしれない。民主、自公、野党が話し合って解決策をとれるにもかかわらず、特に野党側が、与党のよびかけに対して、何もしないという姿勢に終始すれば、そのまま、アウトということになる。

そして、もう、話し合いなど意味もないことで、際限なく、多数をとることだけが、解決手段となる。こういう世の中は、まったく魅力がない。議会なんか必要ないではないか。

どちらか多数をとるまで、選挙をやり続けるほかないことになる。

目を三角にして、ののしりあうばかりであれば、こんな世界は、生きている価値すら疑われる。

現実的な、知恵を働かすことをしないで、折角、積み重ねてきた成果も、無駄になってしまうのをみるのは、本当につらいものである。

与謝野さんや、柳沢氏が動き出したのは、この危機感の表われである。自公よ、しっかりセンカイと言いたい。

主導権を誰がとるのか。与党の、邪魔をすることが、主導権をとることではない。問題解決に、動く姿勢を持っているものが持つべきである。それは、今は政府与党である。自公の猛省を促す。

何が「正義」か、「悪」か

2011年02月03日 09時27分23秒 | 思考試行
この問題は、どうも、どうとでも、言えて、正解はない。と、そう思う。ある面から見れば、不公平極まりなくとも、そもそも、公平とは何かの問題もあるが、それも、置いといて、とにかく、絶対的に悪とか、善とか、決めることができない面と、誰かにとっては、善といえても、別のものにとっては、悪と言えることもある。相対的な面がある。

そうであるけれども、何らかの基準、常識みたいなものがないと、世間がうまく回らない。では、それが、何であればいいのか。絶対的には、いいとも悪いとも言えないけれども、多くの人間が、共に生きるについて、どうすればいいだろうか、と考えて、できる基準というべきだろうか、それが、漸く、課題になってきたのではないか。

今までは、個々人なり、集団の利益の争いがあって、その行為の連続のなかで、できてきたルールの感じがある。全体に目を向けて、本当に、人間という動物と、周囲の環境と、それらのなかで、ある種のルールを、作ろうとする、そういう段階にようやくたどり着いたといえる段階になってきたのではないだろうか。

エジプトの騒ぎ、日本の国会の議論、アメリカの価値観、貧富の差、格差社会、中国の病理、・・・・

これらの、問題の解決には、広い視野が必要であり、近視眼的な対策で解決できるものではない。個々の価値観が、単純に、自分の環境からのものだけではなく、全体を視野にいれつつ、解決の方途を探すようになり、解決すべき課題とする考え方が、普通のものとなった時に、解決方向へ、足を踏み出す人類の行動の方向性が、見えてくるのではないか。

自民党は、救いがたい意地悪だ

2011年02月02日 05時34分26秒 | 思考試行
予算委員会の審議が始まった。臨時国会につづき、民主党の作った本格的な始めての予算である。

前回は、自民党の質疑のやり方をみて、民主党の支持者ではない小生にとっても、まことに意地悪く、気持ちの悪い質問の仕方であり、揚げ足取りはするは、同じことを何度もくりかえすは、とても、見られたものではなかった。

それでも我慢して見続けた。自民党の本質を知るために。

ちょっと見たことがないほどの筋の悪い、品のない議員達のふるまいであった。野次はとばす、まるで、各大臣を犯罪者のような扱いをする。

これが、選良といわれる連中なのか、それぞれ、学歴は立派であるのに、なんだ、実態はこんなものなのか、ある意味、本当の姿を見せてもらったので、余計な思い込みをなくせたから、ある意味、よかったが、なんとも情けない思いをした。

今回は、石原幹事長、石破、野田氏と、政策通を並べて、一応議論らしいものをしだした。だが、その底流は、前回と同じである。なんせ意地悪である。

専門知識の有無をテストし、まるで、口頭試問のような問題を出す。「財政大臣をやっていたんだから、こんなことを知らないでは云々」と、その意地悪さは、前回同様である。

いくら長年の経験があろうと、何もかも一人で、答えろというのも如何なものか。「総理、総理が答えなければ駄目だ!」と大声を張り上げる。

相手を貶め、立ち往生させようとする。自分の専門知識を武器として、相手をへこませようとする。悪意のかたまり。そして、解散を叫ぶ。

菅さんは、今の時期に解散して、どこが生産的なのかと、反論した。それは、そうだろう。初めての予算を、組んで、そこで、解散というのは、スジが通らない。

参議院で多数の議席を、自民党が占めてはいるが、得票数では、民主の方が多かったのである。民主に何にもやらせずに、解散を言うのは、これまた意地悪にすぎる。

ましてや、国民生活がかかっている。自民党の本質が、国民のことを真剣に考えていないことは結局今回明らかとなった。

参議院で、議席の上は、第一党なのだから、自民党が、どうとでもできる状態である。国民生活に影響があるような事態になるとすれば、これは、自民党の責任である。

どのようにしていくのか。事態をみていきたい。

検察の異常さ、拘置所の実態

2011年02月01日 08時32分50秒 | 思考試行
検察が、直接捜査にあたり、起訴する。このシステムが問題にされている。だが、システムというよりも、権力があるところ、まことに、人間が、エラソウナ態度になるのは、人間界の常識だろうか。

厚労省の局長が、課長時代の仕事をめぐって、起訴され、無罪をかちとるまでのドラマがあった。エリート官僚であるが、ふつうの共稼ぎ夫婦と、子供たちの家庭に、突然降りかかった事件。

検察の横暴さ、拘置所の扱い。伝統のなかで、積み重ねられてきた異常さが、よく出ている。検察は、道筋を、シナリオを作り、それにあわせるように、調書を作っていく。根競べに負けると、冤罪事件がおきる。

これを否認すると、長期に亘って、保釈もされない。拷問の連続。仕方がないから、検察のシナリオにのってしまう。

小沢氏の問題はどうだろうか。これは、逆に、検察が起訴できなかった事件である。

小沢氏の問題は、赤旗によれば、今回に起訴に関わる事件よりも、もっと、大きな集金構造問題であるようだ。だが、それらは、法に抵触はしていないようで、今回起訴の、直接の話にはなっていない。

今回、検察審査会が、強制起訴に踏み切ったのは、大きな意味がある。こうした、背景が明らかにされる契機となる可能性がある。

加えて、マスコミの問題もある。さまざまな問題、課題が明かになり、改善の方向が出てくることが、のぞまれる。