放送大学のテスト(単位認定テスト)の日が近づいて、テキストを読み込み始めている。勉強するのは、主に、この時期になる。いつまで経っても、テストがなければ、やる気が出ないという感じである。
今度受けるのは、3科目である。内2科目が合格となれば、また、卒業となる。
以前アフリエイトを、ブログ上でしていたのであるが、ブログのスタイルを変えたトタンにすべては消えてしまった。このなかで、放送大学の宣伝もしていた。結構クリックしている人がいたが、資料請求までする人はいなかったので、残念な気がしていた。
卒業となると、チョットした感動があって、少し自分を褒めてやりたくなるのが、ミソなのだ。これを勧めるのだが、知り合いで卒業まで行くのは、今までいない。
競争ではなく、まさに、自分だけの評価であるから、デキフデキは、他人の知るところではない。気が楽なのである。そして、利害には何の関係もない。
それにしても、専門家というのは、たいしたものである。その成果を、全部とはいわないにしても、幾分かのエキスを教えてもらうのは、まことに、贅沢な気分である。
放送大学は誰でも入学できるし、やめるのも簡単である。小生も、休んだ時期もあるが、かれこれ17年ほどになる。はっきりした効能はないのかもしれない。それでも継続していると、常に時代の最先端を、見せていただいている感覚があって、いつまでも、現役の気分が変わらないのである。
今度受けるのは、3科目である。内2科目が合格となれば、また、卒業となる。
以前アフリエイトを、ブログ上でしていたのであるが、ブログのスタイルを変えたトタンにすべては消えてしまった。このなかで、放送大学の宣伝もしていた。結構クリックしている人がいたが、資料請求までする人はいなかったので、残念な気がしていた。
卒業となると、チョットした感動があって、少し自分を褒めてやりたくなるのが、ミソなのだ。これを勧めるのだが、知り合いで卒業まで行くのは、今までいない。
競争ではなく、まさに、自分だけの評価であるから、デキフデキは、他人の知るところではない。気が楽なのである。そして、利害には何の関係もない。
それにしても、専門家というのは、たいしたものである。その成果を、全部とはいわないにしても、幾分かのエキスを教えてもらうのは、まことに、贅沢な気分である。
放送大学は誰でも入学できるし、やめるのも簡単である。小生も、休んだ時期もあるが、かれこれ17年ほどになる。はっきりした効能はないのかもしれない。それでも継続していると、常に時代の最先端を、見せていただいている感覚があって、いつまでも、現役の気分が変わらないのである。