空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

あたりまえの「誓い」の値打ち

2009年07月30日 09時10分03秒 | 思考試行
約束は守る、そうすれば、信頼は得られる。約束すれば、違えることはない。こういう人にあえば、嬉しい。そうして、大抵の人は、そのようにしている。約束すれば、守ってくれるのである。

ところが、事情の変更と称して、簡単に前言を翻す向きもある。政治家は特に油断ならない。公約なぞ、破られるためにあるものだ、ぐらいに考えている。真剣な約束とは思っていない。小泉クンがその適例だ。

郵政民営化がすべてであるかのように、大芝居をうって、若者達を苦しみのどん底につきおとし、貧富の差をもちこみ、非人間的な世相を作り上げた。酷薄無情を絵に描いたような政治手法であった。

日常生活において、誓いをもっていることは、生活に芯を与える。小生の場合は、家内を裏切らないことを、自らの誓いとしている。それは、ある種の束縛であり、正直にいって、常に、それを念頭においているわけではない。動物的な、心の揺れも自覚するときもある。だが、誓いをもつ。そのことによって、混乱や破綻の可能性は確かに減じている。

思うままに、行動したとしたら、そこに見えるのは、修羅場であろう。裏切りによる、家内の悲しみは、明らかである。であれば、ここは、誓いをたてて行こうと思う。本当は、言葉にして、家内に伝えることが正直というものであろうが、それは、不言実行としたい。もしか、裏切った場合の、ショックの度合いの計算ではなく、それは、自らの誓いとして、チャンと守りたいと思う。

なくなった父は、生涯において、どういう誓いをもっていたのか不明であるが、小生の思うような誓いをもっていたとしたら、やり遂げたといえる。だれも、そのようなことを評価してはいない。しかしながら、小生は、仮定のことであるが、父を評価する。今の生活は、父の、おかげで成り立っている。