時効をなくすことは、犯罪者のニゲドクを許さないという意味では、当たり前のことだと思う。科学技術の進展で、いろんなことが可能になってきた。物証が、昔には、思いもつかぬことが可能となり、足利事件のような冤罪事件が、キチント対処できるようになったことは、すばらしいことである。
オーム事件の時にも、被害者でありながら、警察の思い込みによって、犯人にされかけた人もいた。マスコミもこれにのって、被害者に大変な思いをさせている。時効制度をなくすと、冤罪事件の場合、無実を立証する証人がいなくなってしまうことがあるという弁護士もいるが、そのケースは、事件そのものが冤罪であれば、そもそも犯罪の立証そのものが不可能であり、論理的には成立しない。
それよりも、犯罪をおかして、逃げ切るということ自体を許すべきでないと言う方が世のため人のためには、いいのではないか。そして、殺人に限らず、刑法犯については、時効は必要ないと思う。悪いことをしたのは、事実であるが、もはや時効であるなどと、犯人が主張できることは、不思議でならない。
特に、破廉恥罪など、許してはならない。
オーム事件の時にも、被害者でありながら、警察の思い込みによって、犯人にされかけた人もいた。マスコミもこれにのって、被害者に大変な思いをさせている。時効制度をなくすと、冤罪事件の場合、無実を立証する証人がいなくなってしまうことがあるという弁護士もいるが、そのケースは、事件そのものが冤罪であれば、そもそも犯罪の立証そのものが不可能であり、論理的には成立しない。
それよりも、犯罪をおかして、逃げ切るということ自体を許すべきでないと言う方が世のため人のためには、いいのではないか。そして、殺人に限らず、刑法犯については、時効は必要ないと思う。悪いことをしたのは、事実であるが、もはや時効であるなどと、犯人が主張できることは、不思議でならない。
特に、破廉恥罪など、許してはならない。
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