端正に作られた映画であった。中村勘太郎の道元がすっきりしていて、イヤミがないのである。ただ、おりんが何故、簡単には入門が許されないのか、それが、臨終間際になって、どうして、ようやく認めたのかとか、時頼に対しては、丁寧であったりと、一部抵抗感があるのだが、全体としてみれば、よくできているといえる。
いつも、思うのだが、ボロボロの状態のときの真実味と、それなりに成功して、仏具や袈裟や、仏像、建物など、いろいろ付加されてくると、真実の道からどんどんずれて行ってしまう、という感じがある。
道元が、白い毛を房にした仏具を、振ったりするシーンなどは、まさに、そんな気分にさせられた。大伽藍がそれ自体権威の象徴であることは、否めないのだが、本質はそこにはなく、思想そのものにあると思うが、それが、前面にでてこないし、それを描くことは、非常に難しいのだと思う。
エライ坊さんを描いた作品は今までにもあったが、そういう意味で成功した作品を知らない。だれを主人公にするかが大事なのかもしれない。一休さんや、良寛さんなどはその意味では、適役かもしれない。
真に、仏教思想の根本に触れる作品を見たいものである。
いつも、思うのだが、ボロボロの状態のときの真実味と、それなりに成功して、仏具や袈裟や、仏像、建物など、いろいろ付加されてくると、真実の道からどんどんずれて行ってしまう、という感じがある。
道元が、白い毛を房にした仏具を、振ったりするシーンなどは、まさに、そんな気分にさせられた。大伽藍がそれ自体権威の象徴であることは、否めないのだが、本質はそこにはなく、思想そのものにあると思うが、それが、前面にでてこないし、それを描くことは、非常に難しいのだと思う。
エライ坊さんを描いた作品は今までにもあったが、そういう意味で成功した作品を知らない。だれを主人公にするかが大事なのかもしれない。一休さんや、良寛さんなどはその意味では、適役かもしれない。
真に、仏教思想の根本に触れる作品を見たいものである。