なかなか事態は変わらない。しかし、失望しているわけにはいかない。全体の設計は誰がやるのか。官僚か、政治家か、自治体の首長か、公務員か、評論家か、マスコミか、経済団体か、あるいはその総体か。
全体の設計が、必要な時代を迎えているのではないか。少なくとも、どのような世の中にするのかのコンセプトが必要である。自由に任せると、とんでもない大儲けの手段を見つけた者が、実経済と関係のないところで、暗躍して儲けだけをカッサラテいくわけだから、こんなものは、社会のなかで、なんの値打ちもない。
現に、動いている会社であっても、当面の儲けのために、会社を潰して、売り飛ばして、金にかえて持ちにげすることも可能なのだから、ビジネスとは言いがたい。それが、今の世界不況を招いたのである。エライ時代がきたものだ。
そこで、始めて、人間とは何か。生存とは何か。生きるとは、と正面きって、検討する時代に入ったと思う。単純に、それぞれが勝手に動くことはできない。それなりの規則が必要であり、その内容が検討されなくてはならない。それを検討するとなると、先に述べた哲学が必須のことになるのである。人間研究がされなければならない。
全体の設計が、必要な時代を迎えているのではないか。少なくとも、どのような世の中にするのかのコンセプトが必要である。自由に任せると、とんでもない大儲けの手段を見つけた者が、実経済と関係のないところで、暗躍して儲けだけをカッサラテいくわけだから、こんなものは、社会のなかで、なんの値打ちもない。
現に、動いている会社であっても、当面の儲けのために、会社を潰して、売り飛ばして、金にかえて持ちにげすることも可能なのだから、ビジネスとは言いがたい。それが、今の世界不況を招いたのである。エライ時代がきたものだ。
そこで、始めて、人間とは何か。生存とは何か。生きるとは、と正面きって、検討する時代に入ったと思う。単純に、それぞれが勝手に動くことはできない。それなりの規則が必要であり、その内容が検討されなくてはならない。それを検討するとなると、先に述べた哲学が必須のことになるのである。人間研究がされなければならない。