亡くなった若い運転手がなぜ、あんなスピードでカーブに向かったのか。職場の風通しが悪いとか、言いたいことが言えない雰囲気とか、なんだか隔靴掻痒のやりとりが裁判ででているようだが、極めて明確な話をさけながら周辺をウロウロしているようにみえる。
肝腎の原因に触れずに、副次的な話になっている。日勤教育のことが、少し出ていたが、これこそ真の原因だろう。極めて懲罰的な、屈辱的な仕打ちを恐れて、若き運転手は急いだに違いないのである。
そのスピードを抑える装置さえあれば、たしかに事故はなかったかもしれない。安全対策は現場任せであり、コスト重視、競争重視、労務管理の過酷な罰則、これらが事故原因の根源だろう。
いずれも、経営陣がかつての国鉄時代の「反省」から導き出した、非人間的経営姿勢から生まれている。真実の原因に向き合わないかぎり、人間を大事にする社会はできない。事故から学んで、よき社会への礎とすることが亡くなった人々の犠牲を無駄にしないことである。