ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』

2014-05-01 15:35:10 | 新作映画
(原題:Inside Llewyn Davis)




----このタイトル、やたら長くニャい。
それだけで、ちょっと引けちゃうニャあ。
「そうだね。
ぼくもこれがコーエン兄弟の映画って気づかなかったら、
後回しにしていたかも。
でも、これをて改めて思ったけど、
コーエン兄弟ってのは、
やはり映画が好きなんだな…」

----ニャに言っているの?
そんなの当たり前じゃニャい…。
「う~ん。
それはそうなんだけど…。
どう話したらいいのかな。
彼らコーエン兄弟は、
映画作家として地位を確立しているけれど、
じゃあ、その作風は?と問われると、
ちょっと待てよ…になっちゃう。
同時代の監督で言えば、
タランティーノやウェス・アンダーソンのように、
一目見ただけですぐ分るような個性に欠けている」

----作家性がないってこと?
「いや、そうじゃないんだ。
その作品にあった撮り口、語り口を持っているということなんだ。
自分らの個性を前面に押し出すよりも、
その映画に見合った話法の映画を撮る…。
本作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』
その姿勢から生まれたものと言える。
主人公ルーウィン・デイヴィスは、
ボブ・ディランが憧れた伝説のフォーク・シンガー、
デイヴ・ヴァン・ロングがモデルとなっている。
映画は、冒頭、コーヒーハウスで歌い終わったルーウィンが
店の外で見知らぬ男に殴られるところから始まる。
彼の視界から遠ざかっていく男。
その姿に、
廊下を歩く猫の後ろ姿がオーバーラップする。
いやあ、もう惚れ惚れ。
映画は、物語よりも何よりも
“<画>で見せる”ことだと思っているぼくにとって、
これは最高の導入。
そして<映画>は、この猫に導かれるように進んでいく。
いわば猫版『ふしぎの国のアリス』
この形式を使うということは、
ある意味、そこから先の物語は
どこまでが真実かは怪しいとも言えるんだけどね」

----そんな嘘っぽいことが起こるワケ?
「いやいや。
そうじゃなくて、
ことの真偽はさして重要じゃないってこと。
まず猫から説明しよう。
この猫はルーウィン(オスカー・アイザック)の友人で
大学教授のゴーファイン夫妻が飼っている猫。
名前をユリシーズと言う。
ルーウィンはその器用ジュ夫妻の部屋に泊めてもらっていたワケだけど、
部屋を出ていく際に、その猫も一緒に外へ出てしまう。
中に戻ろうにも鍵がない…
というわけで、彼はそのユリシーズを抱いたまま
行動しなくてはならなくなる。
賑やかな通りを歩くのも、地下鉄の中に座るのも猫と一緒。
ところが、その猫が途中で逃げ出して…。
う~ん。
まあ、ここまででいいか。
話し始めたら、これ、
エピソードを一つひとつ
言わなくちゃいけなくなるからね。
まあ、ともあれ、ルーウィンは、
かの『ハリーとトント』のように
猫を抱いて、そこで仕事が待つはずのシカゴへと向かう…が」

----ふうん。
つまりはロードムービーとなるワケだニャ。
「うん。
しかもそこには常に<音楽>が付いて回る。
金のために軽薄なポップ・ソングのレコーディングに参加したり、
客の前で歌えとしつこく頼む友人夫妻に激昂したり、
髭を剃って身ぎれいにする条件をプロデューサーから出されたり、
痴呆症の父の前で彼の好きだった歌を歌ったり。
その一つひとつのエピソードの中に、
彼の音楽家としての矜持と人生観が伺えるという構成なんだ」

----ニャるほど。
で、そのルーウィンという人の個性って?
「まあ、
これはいまの若い人が見たら
ただただあきれるしかないだろうね。
せっかく歌うチャンスがありながら、
自分のスタイルに固執してご破算に。
しかも、他のミュージシャンのステージには
敬意を払うどころか野次を飛ばす始末。
プライベートの方でも
ミュージシャン仲間のカップルの女性に手を出して
妊娠させてしまう。
ただ、この風来坊的な生き方、
なんともその匂いが懐かしくってね。
さっき、ディランが憧れた…と言ったけど、
映画の舞台は1961年。
これからアメリカが大きく変わろうとする、まさにその前夜。
この後、愛と平和と自由の旗印の下、
既成の価値観を覆す若者たちが次々と出てくる。
この映画は、その大爆発の寸前の
ドロドロとしたマグマを描いたような
不思議な熱を帯びた作品。
結果的に、有名になっていくのは
彼よりも後のディランであったり、
ウォーホルであったりする。
その先駆者ゆえの寂しさ。
そう彼は<名もなき男>。
こういう映画には、ぼくはどこか共感を覚えてしまうな」







フォーンの一言「キャリー・マリガンジャスティン・ティンバーレイクが歌うシーンもあるのャ」身を乗り出す

※フォークの名曲「500マイル」だ度


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4 コメント

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こんにちわ (にゃむばなな)
2014-06-05 10:48:49
この主人公を憎めないのは、無名のまま消えていくアーティストへの敬愛がきちんと描かれているだけでなく、そこに音楽や映画を愛する魂まできちんと描かれているからだと思いました。
映画好きの我々も芸術を愛する一人。そのシンパシーを感じる作品なのでしょうね。
返信する
 (ナドレック)
2014-06-14 17:02:05
なんといっても猫が可愛いですね!
朝は猫に起こされて、どこに行くにも猫が一緒なんて、素敵な生活だと思いました:-)
返信する
■にゃむばななさん (えい)
2014-06-23 22:26:24
こんにちは。

>映画好きの我々も芸術を愛する一人。そのシンパシーを感じる作品なのでしょうね。

同感です。
ぼくの場合、そこに、あの頃(と言ってももう少し後ですが)に対するノスタルジーも加わりますが…。
返信する
■ナドレックさん (えい)
2014-06-23 22:27:57
もう、そのとおりです。
この映画の猫、最初の登場シーン、
あの「歩く」姿から愛おしい。
もう、それだけでたまりません。
返信する

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