(原題:Breaking and Entering)
----アンソニー・ミンゲラ監督と言うと
確か『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だよね。
『コールド マウンテン』もそうじゃなかった?
「うん。
『リプリー』もね。
この映画は、その『イングリッシュ・ペイシェント』のジュリエット・ビノシュと
『コールド マウンテン』『リプリー』のジュード・ロウが共演。
そこにロビン・ライト・ペンも加わって、
現代に生きる男女の、それぞれの愛の姿が描かれる」
----ニャんだか、
味も素っ気もないニャあ。
よくある話って感じ……。
「ただね。
この映画を観ると、
いまやだれも
自分の<性>としての<愛>のみに生きることができない。
みんなが<人生>の問題を抱えている……
そういうことを感じずにはいられなかったね。
その意味では、アンゲラ監督が設定を現代としたのもよく分かる。
男女の愛と言う普遍的なテーマを扱いつつも、
これはきわめて今日な映画だと思うよ」
----あっ、そうか。
ミンゲラ監督にしては久しぶりに現代の話ニャんだ。
「うん。主人公はロンドンのキング・クロス再開発地区で
そのプロジェクトを担う建築家ウィル(ジュード・ロウ)。
彼は美しい恋人リヴ(ロビン・ライト・ペン)と
彼女の娘で13歳のビーと一緒に暮らしている。
ビーは、心のバランスを崩して学校へは通わず、
夜も眠らずに執拗に体操の練習を繰り返している。
リヴは娘の病は、彼女の父親と別れてウィルと一緒に暮らす自分のせいだと
自責の念にとらわれていて、心のどこかでウィルを拒んでいた。
そんなある日、ウィルのオフィスで窃盗事件が起こる。
事件が度重なることから、オフィスを見張っていたウィルは、
犯人の少年を追いかけてその身辺を探る。
少年はボスニアから戦火を逃れてきた未亡人アミラ(ジュリエット・ビノシュ)の息子ミロ。
ウィルは、事情を隠してアミラに近づくが……」
----ニャるほど。
リヴは娘、アミラは息子。
それぞれに子供の問題を抱えているわけだ。
「そう言うこと。
愛情の示し方の違いはあるにせよ、
母親である彼女らは、
我が子に対する思いの深さでは一緒だ。
<女性>としての自分の愛にばかり
かまけるわけにはいかない。
そんな中でふたりの女性の間を行き来するウィルは、
いくら、閉塞的なリヴとの日々の中、
心が空虚とは言え、
チャイルディッシュに見えてくる。
やがて、彼はアミラに自分とミロの関係を知られてしまう。
そこで人生の厳しい局面に立たされるアミラ。
まあ、このあとは言わない方がいいだろうね」
----ということは、ドンデン返しとかあるの?
「(笑)いや。
さすがにそれはないけど、
息子ミロを愛するアミラの大胆な行動、
あるいはそのミロを助けるためにウィルが取った行動、
そしてウィルとアミラとの関係を知ったリヴの取った行動…と、
映画はスリリングに展開してゆく。
ちょっと、作られすぎてはいるけどね。
でも、これが原作ものではなく
ミンゲラ監督のオリジナル脚本と聞けば納得。
まるでヤマカシばりの危険なスタント、
ガブリエル・ヤレドとアンダーグラウンドのコラボなど、
見どころはいっぱい。
ただ、これまでのような叙事詩的世界ではないので
ミンゲラ節を期待している向きには少しガッカリかも」
----このキービジュアルを見たら、
だれもそうは思わないんじゃニャい?
「それはそうだ(笑)。
そうそう。ベッドシーンもちょっと驚き。
厳密に言うと、ベドシーン前だけどね」
----ニャにニャに?ドキドキ。
「言えるわけないじゃない(笑)」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「う~ん。大人だニャあ」
※こんなベッドシーン、ちょっとない度
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☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
----アンソニー・ミンゲラ監督と言うと
確か『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だよね。
『コールド マウンテン』もそうじゃなかった?
「うん。
『リプリー』もね。
この映画は、その『イングリッシュ・ペイシェント』のジュリエット・ビノシュと
『コールド マウンテン』『リプリー』のジュード・ロウが共演。
そこにロビン・ライト・ペンも加わって、
現代に生きる男女の、それぞれの愛の姿が描かれる」
----ニャんだか、
味も素っ気もないニャあ。
よくある話って感じ……。
「ただね。
この映画を観ると、
いまやだれも
自分の<性>としての<愛>のみに生きることができない。
みんなが<人生>の問題を抱えている……
そういうことを感じずにはいられなかったね。
その意味では、アンゲラ監督が設定を現代としたのもよく分かる。
男女の愛と言う普遍的なテーマを扱いつつも、
これはきわめて今日な映画だと思うよ」
----あっ、そうか。
ミンゲラ監督にしては久しぶりに現代の話ニャんだ。
「うん。主人公はロンドンのキング・クロス再開発地区で
そのプロジェクトを担う建築家ウィル(ジュード・ロウ)。
彼は美しい恋人リヴ(ロビン・ライト・ペン)と
彼女の娘で13歳のビーと一緒に暮らしている。
ビーは、心のバランスを崩して学校へは通わず、
夜も眠らずに執拗に体操の練習を繰り返している。
リヴは娘の病は、彼女の父親と別れてウィルと一緒に暮らす自分のせいだと
自責の念にとらわれていて、心のどこかでウィルを拒んでいた。
そんなある日、ウィルのオフィスで窃盗事件が起こる。
事件が度重なることから、オフィスを見張っていたウィルは、
犯人の少年を追いかけてその身辺を探る。
少年はボスニアから戦火を逃れてきた未亡人アミラ(ジュリエット・ビノシュ)の息子ミロ。
ウィルは、事情を隠してアミラに近づくが……」
----ニャるほど。
リヴは娘、アミラは息子。
それぞれに子供の問題を抱えているわけだ。
「そう言うこと。
愛情の示し方の違いはあるにせよ、
母親である彼女らは、
我が子に対する思いの深さでは一緒だ。
<女性>としての自分の愛にばかり
かまけるわけにはいかない。
そんな中でふたりの女性の間を行き来するウィルは、
いくら、閉塞的なリヴとの日々の中、
心が空虚とは言え、
チャイルディッシュに見えてくる。
やがて、彼はアミラに自分とミロの関係を知られてしまう。
そこで人生の厳しい局面に立たされるアミラ。
まあ、このあとは言わない方がいいだろうね」
----ということは、ドンデン返しとかあるの?
「(笑)いや。
さすがにそれはないけど、
息子ミロを愛するアミラの大胆な行動、
あるいはそのミロを助けるためにウィルが取った行動、
そしてウィルとアミラとの関係を知ったリヴの取った行動…と、
映画はスリリングに展開してゆく。
ちょっと、作られすぎてはいるけどね。
でも、これが原作ものではなく
ミンゲラ監督のオリジナル脚本と聞けば納得。
まるでヤマカシばりの危険なスタント、
ガブリエル・ヤレドとアンダーグラウンドのコラボなど、
見どころはいっぱい。
ただ、これまでのような叙事詩的世界ではないので
ミンゲラ節を期待している向きには少しガッカリかも」
----このキービジュアルを見たら、
だれもそうは思わないんじゃニャい?
「それはそうだ(笑)。
そうそう。ベッドシーンもちょっと驚き。
厳密に言うと、ベドシーン前だけどね」
----ニャにニャに?ドキドキ。
「言えるわけないじゃない(笑)」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「う~ん。大人だニャあ」
※こんなベッドシーン、ちょっとない度
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そうなんですよね、ジュード演じるウィルがどうしてもコドモに見えてしまう というか 「お前 イライラする!」って見てて思ったのですが ジュードだから 仕方ないよなぁ・・・と そのうち 許してしまいましたw
でも 実は エンディングはあまり 買っていません。どうも 都合がよすぎて・・・。ミンゲラなので 仕方ないかもしれませんが。
あのエンディングはどうなんでしょうね。
後半、ウィルの感情の動きによって、
すべてがあたふたと動いて行く。
そのことを知ってしまった時の
リヴの微妙な表情が瞼に焼き付いて離れません。
あれはロビン・ライト・ペン、一世一代の演技だと思います。
(※ここから少しネタバレ。ご覧になっていない方は
その後に読んでいただけると幸いです)
あらら、ウィルのためにそこまでやっちゃうの?
と思ったら、車から降りて……。
この後も二転三転。
ウィルに抱きついた時には、
頭をポカっと叩いたような気がしたのは、
自分の気のせいかなあ。
いろいろあったけど、
ぼくたち大丈夫だよね……って感じで、
人種問題も格差社会もボスニアも
雲散霧消したような。
見かけは新しくとも
そこがアンソニー・ミンゲラ。
クラシックな作家ですね。
「壊れゆく世界」の中の希望を描いたってことで、あの終わり方は嫌いではありませんでした。
結局、ウィルに都合よく終わってしまった感じはありますけれど。
映画の終わり方ってホント難しいですよね。
ぼくも一般的には
あのような収め方は好ましく思うのですが、
ただ、ウィルがあまりにも調子よすぎて
「この色男め~」って…。
まあ、これはモテない男のやっかみですかね(笑)。
久しぶりに、映画に日参しています。この映画は、情報なしだったので「いいものを拾った」感じでした。
テーマが重いと、ラストでは、更にずっしりと重たいものを貰って帰路につく…というような映画が、多くなっていたりしたので、これは(多少作為的ではあっても)なんだかさっぱりした気分になりました。ロビン・ライト・ペンの「証言」から後の演技は、実に魅力的で、シンパシーを覚えます。
お久しぶりです。
ぼくも、ラストは明るい
前向きな作品の方が好きです。
この映画の場合、
覆水盆に戻ったわけで、
その功労者は、ロビン・ライト・ペン。
彼女の度量の大きさが光る分、
ジュード・ロウが甘ったれに見えてしまいました。
ある種、さわやかなのですが、
どこか引っかかってしまったのでした。