(仏題:Le gamin au velo)
----これってベルギーの映画監督ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟の作品だよね。
「そう。彼らはカンヌの常連。
この映画も第64回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞している」
----これまでも少年とか少女とか描いていたようだけど…?
「うん。
彼らの視線の先には“現在を生きる”ということがあるという気がする。
少年や少女は“未来”へと続く。
“現在”を生きる彼らを描くことは、
すなわち“未来”を見つめている…そんな感じがする」
----そういえば『ある子供』というのもあったよね。
「あの映画では、
20歳のブリュノと、18歳のソニアのカップルの間にできた“赤ちゃん”を、
ブリュノが売り飛ばそうとする。
“子供”というのは赤ちゃんではなくこの若い父親ブリュノのこと。
実は、この映画にはそのブリュノを演じたジェレミー・レニエが出ている。
ここでは、主人公の少年の父親役。
まさに、あのときのブリュノがそのまま大きくなったという感じ。
ここでは、息子であるシリルを児童相談所に預けたまま姿をくらましてしまう。
物語は、まさか自分が棄てられたとはつゆにも思わないシリルが
一生懸命父親を探すところから始まる。
そんな彼の目に入ってきたのは、自分のマウンテンバイク。
なんと、それさえも父親は売り飛ばしていたんだ。
かくして物語は、このシリルに週末だけの里親になってくれと頼まれたサマンサと、
彼の疑似的母子関係を軸に進んでいく。
シリルに、人が社会で生きていくための
決まりごとやルールを教えようとするサマンサ。
だが、愛ゆえのその行動はシリルの耳には届かない。
ある不良グループに目を付けられた彼は、
いつしか、その片棒を担いでしまう」
----どこかで聞いたような…。
「そう思ってもおかしくないかも。
この映画、その物語自体はさして新しいとも思えない。
でも、これが映画の不思議さ、魅力というもの。
映像そのものが息づいているんだ。
その原動力となっているのは少年シリルを演じた新星トマ・ドレ。
ここしばらく、
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』や『ヒューゴの不思議な発明』 など少年が主人公の映画が続いたけど、
このトマ・ドレはその中でもモノが違う。
自分が棄てられたなどという
とても信じたくないことをついには受け入れるまでの
戸惑い、哀しみ、怒り…を全身で表現していく。
そして、その気持ちをハンドルを握る手、
ペダルを漕ぐ脚を通していつも受け止めるのが“自転車”なんだ。
夜の闇、緑の風の中…。
キャメラもその時々に応じて、その位置取り、動きを変えていく。
ダルデンヌ兄弟は本作で珍しく音楽を使用。
また、初めて夏の撮影を行なっている。
それまで抑制に抑制を重ねていた彼らが
まさにここで爆発したという感じ。
暗さの向こうに見えるその光は瑞々しく煌めいて、
とてもまぶしかったね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「少年が着ている服も鮮やかなのニャ」
※タイトルどおりの映画だ度
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
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(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はフランス・オフィシャル・ギャラリーより。
----これってベルギーの映画監督ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟の作品だよね。
「そう。彼らはカンヌの常連。
この映画も第64回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞している」
----これまでも少年とか少女とか描いていたようだけど…?
「うん。
彼らの視線の先には“現在を生きる”ということがあるという気がする。
少年や少女は“未来”へと続く。
“現在”を生きる彼らを描くことは、
すなわち“未来”を見つめている…そんな感じがする」
----そういえば『ある子供』というのもあったよね。
「あの映画では、
20歳のブリュノと、18歳のソニアのカップルの間にできた“赤ちゃん”を、
ブリュノが売り飛ばそうとする。
“子供”というのは赤ちゃんではなくこの若い父親ブリュノのこと。
実は、この映画にはそのブリュノを演じたジェレミー・レニエが出ている。
ここでは、主人公の少年の父親役。
まさに、あのときのブリュノがそのまま大きくなったという感じ。
ここでは、息子であるシリルを児童相談所に預けたまま姿をくらましてしまう。
物語は、まさか自分が棄てられたとはつゆにも思わないシリルが
一生懸命父親を探すところから始まる。
そんな彼の目に入ってきたのは、自分のマウンテンバイク。
なんと、それさえも父親は売り飛ばしていたんだ。
かくして物語は、このシリルに週末だけの里親になってくれと頼まれたサマンサと、
彼の疑似的母子関係を軸に進んでいく。
シリルに、人が社会で生きていくための
決まりごとやルールを教えようとするサマンサ。
だが、愛ゆえのその行動はシリルの耳には届かない。
ある不良グループに目を付けられた彼は、
いつしか、その片棒を担いでしまう」
----どこかで聞いたような…。
「そう思ってもおかしくないかも。
この映画、その物語自体はさして新しいとも思えない。
でも、これが映画の不思議さ、魅力というもの。
映像そのものが息づいているんだ。
その原動力となっているのは少年シリルを演じた新星トマ・ドレ。
ここしばらく、
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』や『ヒューゴの不思議な発明』 など少年が主人公の映画が続いたけど、
このトマ・ドレはその中でもモノが違う。
自分が棄てられたなどという
とても信じたくないことをついには受け入れるまでの
戸惑い、哀しみ、怒り…を全身で表現していく。
そして、その気持ちをハンドルを握る手、
ペダルを漕ぐ脚を通していつも受け止めるのが“自転車”なんだ。
夜の闇、緑の風の中…。
キャメラもその時々に応じて、その位置取り、動きを変えていく。
ダルデンヌ兄弟は本作で珍しく音楽を使用。
また、初めて夏の撮影を行なっている。
それまで抑制に抑制を重ねていた彼らが
まさにここで爆発したという感じ。
暗さの向こうに見えるその光は瑞々しく煌めいて、
とてもまぶしかったね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「少年が着ている服も鮮やかなのニャ」
※タイトルどおりの映画だ度
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
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(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はフランス・オフィシャル・ギャラリーより。
そこでしょうね。
嘘、偽りのない感情をぶつける姿が切なくて。演技とは思えなかったな(たぶん自分の子と重なってるんだと思いますが)。
普段、あのくらいぶつけられてますのでね。 そういう意味でリアリティを感じました。
この映画の少年を見ちゃうと、
いくら、日本の子役が巧くなったと言っても
まだまだだなと…。
よくここまで、痛みを表現できたものだと
ほんとうに驚きました。
こんな経験、誰にだってあるわけじゃないのに、
こんな環境に置かれた子は、こんな表情になるんだろうなと素直に思わせた、
シリル少年の演技に脱帽です。
これくらいの年齢の男の子って、何もなくても扱いにくいところがあったなぁ、と
遠い日の息子の顔を思い出したりしつつ、
自転車に乗ってもいいから、もうちょっとゆっくり走りなさい!と
大声で止めたくなるほどの疾走。
それが彼の感情の発露だとしても、ヒヤヒヤが最後まで途切れませんでした。
とても映画的なツール。
自力で漕いで、
そしてその漕ぎ方一つひとつに
自分の感情が入り込んでいく。
それだからか、
邦洋問わず
自転車のシーンは
かなり鮮明に記憶に残っています。