(原題:Habemus Papam)
※カンの鋭い人は注意。※映画の核に触れる部分もあります。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。
----この映画のタイトルって、
奇をてらいすぎてニャい。
あの有名な映画をパクってる。
「一見、そう見えるよね。
でも、この邦題は、映画の内容をズバリ言い当てているんだ。
物語は、ローマ法王の死去により
ヴァチカンで開催された法王選挙(コンクラーヴェ)に始まる」
----コンクラーヴェ?
どこかで聞いたことがあるような…。
あっ、『天使と悪魔』だ。
「よく思い出したね。
さて、果たして、新法王は誰なのか?
世界中が注目する中、
投票会場のシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちは
全員が必死に祈っていた。
『どうか私が選ばれませんように――』」
----ニャるほど。
世界のカトリック教徒のトップに立つわけだから、
それはプレッシャー大きいものね。
「うん。
票は割れてなかなか新法王は決まらない。
そんな中、最終的に選ばれたのは
ダークホースのメルヴィル(ミシェル・ピッコリ)。
彼は、さっそくバルコニーで大観衆を前に
新法王としてスピーチをしなくてはならない。
ところが、バルコニーに出るスンz年、突然叫びをあげその場から逃げだしてしまう。
『私は無理だ』。
あわてた事務局は、
セラピスト(ナンニ・モレッティ)を呼び寄せるが効果なし。
頭を悩ませた報道官は、禁を破り、
メルヴィルをローマ市内の外部のセラピストの元へ連れていくことに。
ところが、メルヴィルは彼らの目を盗んで
ローマの街へと逃げ出してしまう…」
----ニャるほど、それで“休日”。
「うん。自由になった彼は、
デパートガールやパン職人と触れ合ったり、
ストリートミュージシャンの音楽に聞き入ったり、
舞台俳優たちとの出会いの中、
若き日の俳優への夢を思い出したり…。
一方、他の枢機卿たちといえば、
こちらは新法王が公表されるまでサン・ピエトロ大聖堂から出られない、
ジグソーパズルする者、タバコをくゆらす者、
ひとりトランプをする者と、思い思いに過ごす。
事務局は、スイス衛兵隊に命じて、
いかにも新法王が部屋にいるように見せかける。
言い方は悪いが、身内をも騙してしまうんだ。
で、このあたりの描き方がユーモアたっぷり。
セラピストは、聖書を引き合いに出し、
うつ病の人ばかりだ…と、枢機卿たちとやり合う。
そればかりか、彼は、枢機卿たちを大陸ごとに分けて
バレーボール大会まで始めちゃう」
----そうか。カトリックへの風刺も入っているというワケだ。
「う~ん。この監督、ナンニ・モレッティ、
イタリアのウディ・アレンと言われるだけあって
確かに、その笑いはシニカル。
風刺というほどでもなかったけど
実に刺激的な体験ではあったね。
ぼくは、これを観ながら
“映画”というものを少し考え直したしね」
----また、大げさな…。
「いや、このラストには頭をガツンとやられた。
普通、
この手の映画は、新法王が街で市井の人々と触れ合いながら
自分を見つめなおし、
一回り大きくなって帰ってくる…
こういう流れを予測してしまいがち。
ところがこの作品、まったく予想もしなかった結末を迎える。
これって
結末ありきの帰納的なものか、
それとも演繹的にたどり着いた結末か?
いきなりのエンドロールにビックリしながらも改めて思ったのは、
人は複雑な存在だということ。
なのに、観る方は“人間かくあるべし”、
あるいは“映画かくあるべし”との思いの中から、
勝手に予定調和的ストーリーを作り上げてしまう。
後でよく考えたら、
一見、予想外に思えるこの結末も、
その二つ前のシーンで
すでに主人公にとっては喜ばしくないシチュエーションを
監督は用意。
そして次のシーンでは、
彼の心の中も映像で見せている。
なのに、あの結末は読めなかった」
----けっこう映画観ているはずなのに
まだまだだニャ。
「うん。
でも、だからこそ映画は常に新鮮でオモシロい。
と、そうも言えるんだけどね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「その結末を知りたいのニャ」
※ここまで読めば分かるはずだ度…
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
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※カンの鋭い人は注意。※映画の核に触れる部分もあります。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。
----この映画のタイトルって、
奇をてらいすぎてニャい。
あの有名な映画をパクってる。
「一見、そう見えるよね。
でも、この邦題は、映画の内容をズバリ言い当てているんだ。
物語は、ローマ法王の死去により
ヴァチカンで開催された法王選挙(コンクラーヴェ)に始まる」
----コンクラーヴェ?
どこかで聞いたことがあるような…。
あっ、『天使と悪魔』だ。
「よく思い出したね。
さて、果たして、新法王は誰なのか?
世界中が注目する中、
投票会場のシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちは
全員が必死に祈っていた。
『どうか私が選ばれませんように――』」
----ニャるほど。
世界のカトリック教徒のトップに立つわけだから、
それはプレッシャー大きいものね。
「うん。
票は割れてなかなか新法王は決まらない。
そんな中、最終的に選ばれたのは
ダークホースのメルヴィル(ミシェル・ピッコリ)。
彼は、さっそくバルコニーで大観衆を前に
新法王としてスピーチをしなくてはならない。
ところが、バルコニーに出るスンz年、突然叫びをあげその場から逃げだしてしまう。
『私は無理だ』。
あわてた事務局は、
セラピスト(ナンニ・モレッティ)を呼び寄せるが効果なし。
頭を悩ませた報道官は、禁を破り、
メルヴィルをローマ市内の外部のセラピストの元へ連れていくことに。
ところが、メルヴィルは彼らの目を盗んで
ローマの街へと逃げ出してしまう…」
----ニャるほど、それで“休日”。
「うん。自由になった彼は、
デパートガールやパン職人と触れ合ったり、
ストリートミュージシャンの音楽に聞き入ったり、
舞台俳優たちとの出会いの中、
若き日の俳優への夢を思い出したり…。
一方、他の枢機卿たちといえば、
こちらは新法王が公表されるまでサン・ピエトロ大聖堂から出られない、
ジグソーパズルする者、タバコをくゆらす者、
ひとりトランプをする者と、思い思いに過ごす。
事務局は、スイス衛兵隊に命じて、
いかにも新法王が部屋にいるように見せかける。
言い方は悪いが、身内をも騙してしまうんだ。
で、このあたりの描き方がユーモアたっぷり。
セラピストは、聖書を引き合いに出し、
うつ病の人ばかりだ…と、枢機卿たちとやり合う。
そればかりか、彼は、枢機卿たちを大陸ごとに分けて
バレーボール大会まで始めちゃう」
----そうか。カトリックへの風刺も入っているというワケだ。
「う~ん。この監督、ナンニ・モレッティ、
イタリアのウディ・アレンと言われるだけあって
確かに、その笑いはシニカル。
風刺というほどでもなかったけど
実に刺激的な体験ではあったね。
ぼくは、これを観ながら
“映画”というものを少し考え直したしね」
----また、大げさな…。
「いや、このラストには頭をガツンとやられた。
普通、
この手の映画は、新法王が街で市井の人々と触れ合いながら
自分を見つめなおし、
一回り大きくなって帰ってくる…
こういう流れを予測してしまいがち。
ところがこの作品、まったく予想もしなかった結末を迎える。
これって
結末ありきの帰納的なものか、
それとも演繹的にたどり着いた結末か?
いきなりのエンドロールにビックリしながらも改めて思ったのは、
人は複雑な存在だということ。
なのに、観る方は“人間かくあるべし”、
あるいは“映画かくあるべし”との思いの中から、
勝手に予定調和的ストーリーを作り上げてしまう。
後でよく考えたら、
一見、予想外に思えるこの結末も、
その二つ前のシーンで
すでに主人公にとっては喜ばしくないシチュエーションを
監督は用意。
そして次のシーンでは、
彼の心の中も映像で見せている。
なのに、あの結末は読めなかった」
----けっこう映画観ているはずなのに
まだまだだニャ。
「うん。
でも、だからこそ映画は常に新鮮でオモシロい。
と、そうも言えるんだけどね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「その結末を知りたいのニャ」
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