なぜ神社の名前が「大潟」なのか、
これも調べてみましたが
わかりませんでした。
もしかしたら、さっきの広い川が
海に注ぐ前に大きな干潟を
作っていたのかもしれませんねえ。
この大潟神社に入っていきますと、
右手に本殿に登っていく
階段が続いています。
その階段の入り口のところに
こんな碑があります。
「安政津波の碑」です。
右側には津波の高さが刻まれています。
調べたら標高7m。
ウヒャー、こんなところまで
押し寄せたんですねえ。
でもその上にはさらに驚きの碑が・・・。
なんとそこには「宝永津波の碑」があります。
安政より150年くらい前ですねえ。
高さは13m以上で、ここまで
津波が来たらもう町は全滅だったでしょうねえ。
でもねえ、周期的に考えたら
次の津波はというと、まさに
今くらいですねえ。警戒しないとねえ。
そんな石碑を見ながら
本殿に出ていきます。
そこの高さはこんな感じ。
まあここまで来たら
津波も大丈夫でしょう。
さあ、ではお参りをしたら
山を下りて大辺路をまた
進んでいきましょう。
道はここから山の方に
登っていきます。
う~ん、結構な急坂。
きっとこの後の台風21号の時には
倒木で通れなくなったかもしれませんね。
どんどん上がっていきますと
道は国道の上を超えていきます。
山道ですねえ。
道にはトカゲなんかも数多くいます。
そして出てくるのが道わけ地蔵ですね。
中をのぞいてみますと、
地蔵さんが二人います。
向かって右側の地蔵さんの背が
道標になっていますよ。
「右ハ大へち道」
「左ハ熊野道」と刻まれています。
周りは静かな山なので、
昔の人は結構たよりにしていたんでしょう。
こんな看板もありますよ。
なんかほんとに猫おやじみたいな人が
経営してそうなお店ですねえ。
道にはこんなヤマユリが咲き、
黄色いカラスウリも実っています。
鳴いている蝉もツクツクボウシでしたねえ。
夏は終わり秋がジンワリと
広がり始めています。
山道を下っていきますと、
にぎやかな場所に出ていきます。
こんなヒシがいっぱいはびこっている
その池の横に峠の高地蔵が祀られています。
もともとは手前の山の峠に
あった地蔵なんだそうですが、
かなり登っていかなくてはならなかったので、
今はこうして低いところに
移動させているそうです。
う~ん、峠の高地蔵だからなあ、
ちょっと微妙な移動ですねえ。
広い広場の奥にお堂があり、
見た感じ変わった彫り物が見えていましたが、
全貌はわかりません。
周りにはこんな石も積まれていました。
その先で道はなんか見覚えのある道ですねえ。
ああそうかあ、中辺路を歩きに行くときに
車でよく通った道ですねえ。
この道を左折して進んでいきましょう。
左折して右側を歩いていましたが、
この時反対側の道路沿いに
峠の大師堂がありました。
道の向こう側やしなあ、
中身はなんかよくわかりません。
車の通行が多くて、なかなか渡れません。
道の向かい側から写真を撮っておきました。
大師堂だから弘法大師でも
祀ってあるんでしょうねえ。
この辺り弘法大師とは
何か関係があるようで、
この先に弘法大師が彫ったという
弘法井戸があると資料には出ています。
どこかなあ、とか思いながら
探しましたが見つかりません。
何か立て看板でもあるのかなあ
と思いましたが何も見つかりませんでした。
もしかしてこんな家の庭にある
井戸がそうかなあとか思い、
写真をこっそりとっておきましたが、
これがヒットしましたねえ。
あとでネット見てみたら
民家の軒先にあるこの井戸が
どうやら「弘法井戸」なんだそうです。
まああちこちキョロキョロする眼が
役に立ちましたねえ。
あの斑鳩で見た弘法大師の彫った
500番目の井戸である
「在原業平姿見の井戸」と
どちらが古いかなあ、
なあんて考えてしまいます。
続く