ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

北アルプス 追悼の涸沢12

2019年09月20日 21時13分16秒 | ウォーキング

doironが大学2年の時のことです。
42年くらい前でしょうか。
一度夏に剣岳から立山、薬師、
黒部五郎をへて槍に登り
上高地へ降りてくるという
登山をしたことがありました。

単独行で、三角形のテントを
かついで行ったのを覚えています。

双六までは順調に行ったのですが、
槍に登った日はかなりの豪雨の日でした。

10時ころに槍ヶ岳に着き、
槍を登った後出ていこうとしたら、
小屋の人が声をかけてきます。

「今日はどこまで降りるのですか」
というので
「上高地まで行くつもりです」
と答えると、
「そしたら伝言をお願いしたいんですが」
とのことです。
いいですよと引き受けると
メモをいただきました。

なにせまだ携帯もない時代のことです。
それが嘉門次小屋の



上條輝夫さんへの伝言でした。
嘉門次の孫にあたりますねえ。

とてつもない豪雨の中
半分走るような感じで下っていきます。

途中の小屋でも
「こんな時に下っていくの」
なんて言われたような気がします。

あの頃は山で何をやっても
しんどいことはなかったですね。
マラソンをやってたら
どんな記録だったかなあ。

暗くなるまえになんとか
小屋にたどり着いて伝言を渡し、
これから上高地でバス停の
横あたりで野宿するといったら
「泊っていけ」といわれました。

まあそういう言葉を
半分期待はしていたんです。

結局そのまま無料で
雑魚寝で宿泊させていただきました。
今にして思えば若い時には
かなり無茶な山登りをしてましたねえ。
雨の中槍沢を走って降りて、
小屋で雑魚寝で寝るって、
周りにどれだけ迷惑を
かけていたんでしょう。

そんなことを考えたら夜も眠れません。

昔、新潟で北アルプスに入って、
岐阜に降りてくるという
20日間ぐらいの山登りを
したときには、さすがに
履き続けていた山用のソックスは
公園で焼き捨てましたなあ。

山屋さんはそれでええんや
なんて考えていましたねえ。

嘉門次小屋にはそんな若い時の
思い出があります。

その建物は今も登録有形文化財です。
そこへ入っていき、
そんな話をしつつイワナでも
いただこうかなと思っていたのですが、
昨夜もう食べたので、
若干貫禄のあるお兄ちゃんと
少し話をしました。

そんな伝言の事とかあってね~
と話すと、そうですかあと
言いつついろり部屋の方なんかも
案内してくれました。



残念ながら伝言伝えた
上條輝夫さんにはお会いできなくて
残念でしたね。

この小屋、なんでも今年は
宿泊業をやっていない
とのことでした。

長年積み重なっていた思い出を、
脳梗塞の隙間から引っ張り出して、
いやあなんだか少しさっぱり
したような気持ちになりました。

そこから明神池の方に行こう
と思ったのですが、T本さんも
なんかあまり興味なさそうでしたので、
あきらめてその明神池の姿を
遠くから眺めておきました。

水面にガスの漂う神秘的な姿でしたね。



梓川の右岸はクマザサの中に
木の道が付けられていました。
これは手間がかかってますねえ。



今回、道の途中でこんな
表示をしている箇所が
10か所近くありました。



なぜ一列で歩くのかというと、
カウンターを置いていて



人の通過の数を図っているようです。

夜中にクマが通ったか
とかいうのではありません。

公園管理のためにこういう
データは必要なんでしょうねえ。

これほど人の多い上高地なら、
きっとdoiron家のある村の方が
人が少ないような気がしますね。

そして右岸のこのあたり
あちこちに水たまりがあったり、
小さな川が流れていたりします。

きっとクマザサ林の底の地面も
何となく湿っぽい感じがするので、
ちょっと暗い雰囲気です。

その先にすこし広くて
明るい河原があったので、
コーヒータイムにいたしましょう。
今回最後のコーヒーです。

続く



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