ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古いぞ古市古墳群6

2019年07月15日 21時38分27秒 | ウォーキング

では誉田八幡宮に入っていきましょう。

と、その前に歩き始めに
修理した靴のもう片一方も調子悪いです。
これも残っているガムテープで
修理していきましょう。

う~ん、もうこの靴はお役御免ですねえ。
帰宅したら廃棄ですねえ。
お疲れさんでした。

そしてもう一つ修理すべきものがあります。
それが歩き始めにもらった
古墳の地図です。

この辺りの地形がわかりにくく
頻繁に地図を広げていますので、
折り目が破けてボロボロになってきました。
これはどうにかしないとなあ
と思っていたら、ああそうです、
これもガムテープで補修すればいいんです。

幸い地図は二枚もらっていますので
予備を使えばいいのですが、
保存用に置いておかないと
これもボロボロになりそうですからね。

こんな感じで修理しました。



ああ、それにしても靴の事といい、
地図の事といい、なんか
ついていないようですが
何となく乗り越えていきます。

この先で転んでひざもケガしましたが、
ああこれもガムテープで
修理しておきましょう、
ということにはなりませんがね。

急遽買ったガムテープが
とても役に立ちました。

では誉田八幡宮にに入っていきましょう。



すぐに誉田林の古戦場
の跡の碑があります。



大坂夏の陣で、真田信繁も
この近くに先陣を気づきましたが、
うまく戦えず撤退してゆきます。
豊臣方の敗走が始まっていくのです。

この辺りは夏の陣の激戦区でしたねえ。

さらにこの神社の東の方に
行きますと大きな石の橋が
架かっていました。



これが放生橋です。

この誉田八幡宮から応神天皇陵の方に
進む橋で、昔はこの神社に
古墳の拝所があったのです。

これが河内名所図会の中の
応神天皇陵と誉田八幡宮の絵です。



天皇陵にずっと階段が付けられ
その上に施設のあったのが
わかりますねえ。
昔はこんな感じであったのですねえ。

でもまあこの施設のおかげで、
この天皇陵の緑が残っていく
ことになったんですねえ。

当然、この八幡宮の主祭神は
この応神天皇なんだそうそうです。

ではこの誉田八幡宮を出て
次の古墳に進んでいきましょう。
次は応神天皇陵の東側にある
小さな古墳です。

まず最初が「栗塚古墳」ですねえ。



住宅街の中にデンと小山が
残っています。

これが応神天皇陵の陪冢で
方墳の栗塚古墳です。



見た目、中々方墳とは見えません。
樹木等で崩れているのもあるのですが、
発掘時に埴輪が方墳の形で
ずらっと直線的に並んでいたので
方墳だと分かったそうです。



そしてこれが東馬塚古墳です。

あえて応神天皇陵の外壁の上に
作られていたので、
応神天皇と関係の深い陪冢だ
といわれています。

それにしてもこの辺りは
住宅がいっぱい立っていて、
それでいて道もくねくねで
わかりにくいですねえ。

それぞれの古墳を探し当てるのに
とても時間がかかりました。

それにこちらの気持ちも
ちょっと萎えてきましたねえ。
今日はこれくらいにしておきましょうか。



資料のこんな感じの赤の
マーカーのところを見てきましたよ。

世界遺産に登録される古墳は
あと10基です。
今日は気持ち的にもこれくらいにして
引き上げることにしましょう。

ここからだと道明寺の駅に
近いので歩いていくことにしましょう。

そうして歩いていると、
以前雨の中を歩いた記憶が
よみがえってきました。

道明寺のそばを歩きながら
駅へ向かいます。

今日はこんなコースを歩きましたねえ。



せっかくここまで世界遺産を
訪ねてきたので、
あと残りの古墳も近いうちに
訪ねてきましょう。

道明寺から電車に乗り、
次の古墳のあるあたりを
ちらっと見ながら、藤井寺迄。

置いてあった車に乗り、
つかれたあとか思いながら、
修理した靴で帰宅した
doironだったのでした。

古いぞ古市古墳群
とりあえず6話終わりです。


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